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麻咲による乙女ゲー風(?)オリジナル小説ブログ

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「Hi♪」

 肩の上に、手が乗っかってきた。

「音楽室って、どこ?」

 質問に答えるより早く、その手をふりほどいた。

 夏のある日、渡り廊下の真ん中で、あの男は馴れ馴れしく声をかけてきた。

 他の男子生徒より頭2つ飛び出した体躯。
 金色の髪と藍色の目。
 只の詰襟がまるで軍服のようだったのを覚えている。

 ああ、これか。
 噂の留学生は。

 特徴的過ぎる。
 すぐにわかった。

「あっち」

 短く答えて、窓の外を指さして見せた。

「あっちって?」

「西棟」

「何階のどの部屋?」

「4階の突き当たり」

「どっちの突き当たり?」
「階段上がって右の突き当たり」

「ここからはどうやって行けばいいの?」

「……」

 簡潔な説明方法を探して一瞬答えに窮したその刹那、

「案内、してよ」

 手を掴まれていた。

「いいよね?」

 軽くムカつくくらい白くて、綺麗な手だった。

「……いいけど」



 「めんどくさいやつに捕まった」、と思った。

 そう。

 「捕まった」んだ。









序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【1】








「大丈夫ですか?」

「え?」

「……少し顔色が悪いようですが」

 いけない。
 仕事中なのに。

 マキナは軽く首を左右して見せた。

「何でもないんです。続けて下さい」


 思考をジャックしていたのは、明け方に見た夢の残像。

 8年も前のことを、どうして今更夢になんて見てしまったのか。

 たかが夢で、いまだにこんなにも動揺してしまう自分はなんなのか。

 まったくもって腹立たしいことばかりだった。

「いいえ、少し休憩にしましょう。お茶を淹れましょうね」

「あ、私がやります」

 慌てて立ち上がろうとしたマキナを、軽い手の動きで制し、マキナの「新しい上司」は応接室を出て行ってしまった。

「……はあ」

 マキナは革張りの椅子に深く腰掛け直し、盛大に溜め息をついた。

 新しい職場で本格的に仕事を始める初日だというのに、こんな調子でいいわけがない。

 仕事の話をしてる最中に上の空になったり、いきなり上司に気をつかわせるなんてもっての他だ。

「……もっとちゃんとしなくちゃ……」

 一週間。
 たった一週間だったが、完全に仕事から離れた空白の時間を過ごしたことが、歯車をひとつ、狂わせてしまったのかもしれない……マキナはそう考えていた。

 短大を卒業して、この業界に入ってから5年。
 思えばガムシャラに突っ走って来た。

 芸能界、音楽業界といえば華やかな響きだが、華やかな世界のけして華やかではない裏側で奮闘する、アーティストマネージャーという仕事こそがマキナの選んだ職業だった。

 それでも、大手というほどではないが、名の通った音楽事務所に就職して、順風満帆というほどではないが、それなりに自信の持てる仕事を幾つかして来た。

 ところがその事務所がこの春、経営者の大変個人的な事情で事実上消滅した。

 「個人的な事情」とは一体なんなのか十分に説明されることなく、所属アーティストもスタッフも、事務所の持つ色々な権利もバラバラに切り売りされて、散らばってしまった。

 法に訴えたら勝てそうな状況だが、スタッフが誰も訴えなかったのは、各々に破格の退職金と、再就職先の厚遇があったからだった。

 マキナもまた、未だかつて見たことのない数列を刻まれた預金通帳に驚嘆しつつ、紹介されたこの新しいオフィスで再出発することになった。

「お待たせしました。コーヒーでよかったですかね?」

「あ、はい。ありがとうございます。頂きます」

 テーブルにコーヒーカップと焼き菓子の載った皿とを並べる仕草が、まるで漫画に出て来る執事のように様になっている、この眼鏡をかけた男性。

 彼がここ「フジムラ・エージェンシー」の社長であり、著名な音楽プロデューサーでもある藤群高麗(フジムラ・タカヨシ)だ。

 年の頃は恐らく30代後半くらいの筈なのだが、外見はまったくもって年齢不詳。

 派手ではないが、品の良い仕立てのグレーのスーツ(高級ブランドのものだろう)に身を包み、背中にかかる長さで緩いウェーブのかかったマロンブラウンの髪を左の肩口で結わえている。
 かけている眼鏡のフレームは黒かと思っていたが、角度が変わると光の反射で、深い紫に見えた。

 前の事務所の社長もたいがい若く見えたものだが、この人ほどではなかったかもしれない。

 加えてこの柔らかい物腰に、優しげな微笑……どこまでも少女漫画的だった。
 さぞかし女性に人気があるのだろうと思うが、未だに独身で通しているようだ。

 マキナは目の前の人物をつぶさに観察しながら、コーヒーを口に運んだ。
 ほろ苦い香りが広がる。

「マキナさんはブラック、なんですね」

 スティックシュガーの先端を破りながら、藤群が口を開いた。

 マキナは、いきなり「マキナさん」とファーストネームで呼ばれたことに一瞬驚きながらも、

「はい……コーヒーはブラックじゃないと飲めないもので」

 と、答えた。藤群は更に重ねて問う。

「では紅茶も、ストレートがお好きなんですか?」

「!」

 カップを握る手がほんのわずかに揺れて、琥珀色の水面が波打つ。

 記憶の扉のひとつが、微かに動き、隙間が生まれる。


――紅茶はストレートで飲む以外ありえないね。……ミルクやフレーバーを加えるなんて、紅茶に対して失礼じゃないか。


 夏の日差しの下。
 他愛もない会話。

 ああ、だから。
 思い出してどうする。

 くだらない男のことなんて……。


「……紅茶は、ミルクを入れます。ストレートでは飲みません……」

「そうですか。私と同じですね」

 言いながら藤群は、コーヒーにもたっぷりミルクを注ぐ。ほとんどカフェラテと呼んで差し支えないような状態だ。

 それを一口飲んで、藤群は満足そうにひとつ息を吐く。

「雇用契約に関しては、お渡しした書類と先程お話したことでだいたい全てです。
待遇について、あなたの今までのキャリアと実績を十分考慮したつもりですが、いかがでしょうか」

「ありがとうございます……ここまで厚待遇で迎えて頂けるとは思っていませんでした」

「私としても今このタイミングで、若くて能力のある方に来て頂けて、とても嬉しく思っています」
 
 思わずこそばゆくなってしまうような賛辞を嫌みでもなくサラッと口にしながら、藤群はまた、にっこりと微笑む。

「新しいプロジェクトには、あなたのような人材が必要だったんです」

 新しいプロジェクト……マキナはカップを置き、何枚も束になった書類の中から、一枚を抜き出し、視線を落とした。

 その書類の見出しには、大きな文字で『Sternebogen・プロジェクト』と記されている。

 英語ではない、ローマ字の羅列。確認するように、マキナはそれを口にした。

「……シュテアネボーゲン……これは、ドイツ語ですよね」

「直訳すると、星の弓となりますが、これは『星虹(セイコウ)』……宇宙の虹という意味で名付けました」

 『星虹』……理系ではないマキナにはそれが具体的にどんなものか、あまりぴんと来ていなかったが、それでも何かの本で読んだことはあった。

 空に虹がかかるように、ある条件下では、宇宙空間でも虹に似た現象が発生すると考えられていると。

 藤群はとても楽しげに笑う。

「理論上の産物、現実にはまだ誰も見たことのない、幻の虹ですよ……ロマンを感じますよね!」

「はあ……そうですね」

 マキナは若干曖昧なリアクションをしつつ、社交辞令を貫いた。

 だがマキナにしてみれば、名前の意味など大した問題ではなかった。

「すみません、藤群さん……この書類だけではあまりに情報が不足していると思うのですが……」

 マキナがこの「フジムラエージェンシー」で初めて担当することになるアーティスト。

 それが「Sternebogen(シュテアネボーゲン)」というロックバンドだ。

 書類からわかるのは、20代の青年たちによる5人編制のバンドであること。パートの内訳がボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムであること。

 プロデューサーである藤群自身が海外からスカウトしてきたボーカリストをデビューさせるに当たり、本人の希望でバンドという形を取ることになったという経緯。

 2ヶ月後の5月末にデビューシングル発売の予定ですでに各方面動き出していること。

 そんな端的な情報ばかりだった。

「プロデュースのコンセプトや、セールス上の戦略もお聞きしたいですし、マネージャーとしてはメンバー個々の情報も把握しなくては……」

「コンセプトや戦略は特に考えてません」

 藤群はこともなげに断言する。

「全て白紙の状態です」

「しかし、2ヶ月後にデビューなら、すぐにでも楽曲を用意してレコーディングに入らなければ間に合わないのでは……」

「そうですね~……しかしその前にメンバーがまだ決まっていませんからね~」

「はい?」

「実はまだ、ギターとキーボードとドラムが決まってないんですよ」

 あまりにもあっけらかんとした藤群の口調に、マキナは思わず頭を抱えたくなった。

「つまり、ボーカルとベースしかまだ決まっていないと……」

「はい、その通りです」

 同じ業界に5年いたのだ、「藤群高麗」なる人物の人となりについて全く聞いていなかったわけではない。

 かなりマイペースで風変わり、掴みどころのない人物で極めて浮世離れしている……有り体に言えば「変人」だと。

 プロデューサーとしての手腕は業界中に轟いていたが、同時に誰もがその「紙一重」っぷりを噂してもいたのだ。

「残りのメンバーについては、順次オーディションで決定する予定です」

 藤群はこの期に及んで、悪びれもなく「順次」だ「予定」だと悠長な単語を連発する。

「メンバーの選出は、すでに決まっているメンバーたちの意見を最優先にするつもりですが、マキナさん、あなたの意見も是非聞かせて頂きたいですね」

「……わかりました。一刻も早くオーディションを準備しましょう」

 この上は自分が迅速に動くことで、少しでも早く計画を推し進めるしかない。

 マキナは、残ったコーヒーを流し込み、立ち上がろうとした。

「まあそう慌てずに」

 藤群は先程と同じジェスチャーで、マキナに椅子にかけ直すように促す。

「実はもうすぐ、ボーカルとベースの子がここへ来る予定なんです。マキナさんに挨拶をしたいと」

「はあ……わかりました」

 マキナは、促されるまま再度椅子に座り直す。

「おかわりを用意しますから、待ってて下さいね」

 空のコーヒーカップを引き下げて、再び部屋を出て行く藤群の背中を視線で追い、扉が閉ざされたのを確認してから、マキナはまた「はあ」と溜め息をついた。

 このペースに慣れるには少々時間がかかりそうだ。

 それにしても。

 前の事務所の社長といい、今度の人といい……「mont sucht(モント・ザハト)」の元メンバーは、なんて変わった人ばかりなのだろうか。

 そして、なぜこうも自分の人生には風変わりな人物ばかり現れるのか。

 あの、藍色の瞳の主のように……。

 グルリと回った思考が、再びあの暑い夏の記憶に辿り着く。

 長い年月を経て、やっと忘れた筈の過去が、理由もなく今になって頭をもたげてくる。

 振り払おうとしているのに、何故か追憶に浮かぶ、あの憎らしいほど綺麗な笑顔。



 後にしてみればそれは予感だったのだろう。


 コンコン、と応接室の扉をノックしてくる音が響いた。


「……はい」

 半ば条件反射的に返事していた。


「入るよ」


 ドアごしに声が聞こえるのと、扉が開くのはほぼ同時だった。

「Hi♪」

 たった今思い出していた、憎らしい笑顔が、すぐそこにあった。















《つづく》
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「Hi♪」

 驚くほど一直線にこちらへ向かって来た。

「次の時間、Japanisch(国語)の教科書、貸してよ」

 日本語ペラペラのくせにわざと母国語を織り混ぜて話すのが鼻につく。

 ただ一昨日、たまたま声をかけられて音楽室まで案内しただけだ。

 それなのに何故そんなに親しげに見つめてくるのだろう。

 藍色の目で。

 そして他の無数の視線が今、四方から突き刺さってきてもいた。
 男女を問わず、教室中のほとんどの人間がこちらを見ていた。

 やめてほしい。
 誤解しないで。

 冗談じゃない。
 こんなもの。

「……なんで私に言うのよ。友達でもないのに」

 藍色の瞳は楽しげに笑う。

「Na und?(だから?) 僕は全く構いやしない」

「私が構うわよ」

「当てにしてたツレが見当たらないんだ。別にいいだろ?」

「よくない。よく知らない人には貸したくないの」

「Ja? じゃあたった今から友達になろう」

「遠慮します」


「Schade(残念)……じゃあ、恋人でも構わないよ」


「……は?」


「君はなかなか可愛いし、僕はすごくいい男だからそれでも構わないよね」

 わからない。
 ドイツ語混じりだったからではなく、そんな言葉をあっけらかんと言い放つこの男の考えていることがわからない。

「だから教科書、貸してよ」

 ただ忘れ物をしただけでしょう?

「いいよね、Mein schatz?(ダーリン?)」

 どうかしてる。
 なんなんだこいつ。

「……っ、もういいからコレ持って自分の教室戻ってよっ」


 国語の教科書を鞄から引っ張り出して、思い切り投げつけてやった。

 無駄に端正な顔面に当たって落ちた教科書をキャッチして、奴はまた、小さく笑った。

「Ja♪」









序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【2】







 そうだ、忘れようがない。

 「教科書を貸してほしいから恋人になれ」と、そう言った男だ。

 マキナの、あまり明るくない青春時代において、唯一無二の強烈なインパクトを残した……奴のあの腹の立つ笑顔が、時空を超越したかのように目の前にあった。

「……アイ、ン……?」

 信じられない。
 いくらなんでもこれは……。

 目を見開いて固まるマキナに、男……アイン・ライスフェルトは、驚く様子もなく口を開いた。

「オリカサ・マキナってやっぱり君か」

 他人のそら似などではないのだと。

 紛れもなくその人なのだと。

 そう証明する言葉だった。

「……君が僕のManager(メニジャ)に、なってくれるんだって?」

「アインの、じゃない。マキナは『Sternebogen(シュテアネボーゲン)』のマネージャーだろう」

 呆然としたまま、物も言えないマキナに静かに追い討ちをかけるかのように、もう1人の青年が彼の後ろに現れた。

「また面倒をかけるが、よろしく頼む」

 左耳にピアスを開けた、小柄で無愛想なつり目の青年……。

「……え?」

 それは確かに記憶の中に存在していた。

「嘘、渕崎(フチザキ)くん……?」

「おや、揃っていましたか。念のため4人分用意した甲斐がありましたね」

 このタイミングで戻って来た藤群は、

「……何かありましたか?」

 室内に漂う何やら異様な空気を察して、3人の顔をそれぞれ見渡した。

 マキナは相変わらず驚き顔で固まっており、アインはにやにや笑っていた。

 もう1人のポーカーフェイスの青年は、至極冷静な口調で答えた。

「藤群、マキナは今、自分の担当するバンドのボーカリストとベーシストが、高校時代の交際相手と同級生だったことを知って驚いているところだ」

「はあ……?」

 何のことやら意味がわからない、という顔をする藤群と対照的に、マキナはさーっと我に返っていった。

 彼の言葉は簡潔に、明確に今の状況を言いあらわしていたからだ。

「『Sternebogen』の……メンバー、なの? ……アインと渕崎くんが……??」



















『リサ@花粉前線上等↑↑:そっかー、すごいじゃん。世の中、広いようで狭いよねえ』

『マキナ@引越し完了★:感心してる場合じゃないって……! 私これから連中と同じ職場で毎日のように顔を合わすことになるんだから!』

『リサ@花粉前線上等↑↑:確かに気まずいよね、元カレと、付き合ってた当時を知ってる共通の友達ってことでしょ??』

『マキナ@引越し完了★:……ありえないよね、やっぱり』

 モニターに映る「書き込んでいます」の表示を見つめながら、マキナはまた深く深く溜め息をついた。

 新しい部屋に引っ越して、ようやくネットが繋がって、2週間ぶりのリサとのメッセが盛大な愚痴の連発になるとはさすがに思わなかった。

 思えば2週間前も、前の事務所のことで盛大な愚痴を聞かせてしまっていたことだし、流石に申し訳ないような気もしたが、誰かに愚痴らなければやってられなかった。

 顔も知らない、ネットだけで繋がった女友達は、愚痴の相手としてはこの上なく便利な存在とも言えた。

 まだ荷解きの半分終わっていない段ボールの積まれた1DKで、悶々としたまま、ぶつぶつ夜明けまで独り言を続けるよりは、いくらか健全だし、建設的な行為だった。

 リサの言葉は前向きで、いつも励まされる。


『リサ@花粉前線上等↑↑:いっそのこと、ヨリ戻しちゃえばいいじゃん』

 前向き過ぎることもなくはなかったが。

『マキナ@引越し完了★:絶っっっ対無理!!』

『リサ@花粉前線上等↑↑:なんで??』


「なんで、って……」


『マキナ@引越し完了★:嫌いだから。あんな最低なやつ。たった1ヶ月とはいえ、付き合ったこと自体後悔してるんだよ、私!』


 1ヶ月……自分がキーボードで打ち出した言葉だったが、改めて考えると本当に短い時間だ。

 短い時間だが、アイン=ライスフェルトと折笠マキナは確かに恋人同士だった。

 思い出したくなくても。

 認めたくなくても。

 それは事実だった。


『リサ@花粉前線上等↑↑:でも、そんなこと言いつつ、仕事は引き受けるつもりなんでしょ?』

『マキナ@引越し完了★:まあ、ね……仕事は仕事だから……』


 本当は明日にでも言うつもりだったのだ。
 「この仕事を下りさせて下さい」と。
 せっかく期待をしてくれた藤群には悪いと思ったが、いくらなんでもこんな状況ではきつ過ぎる。

 しかし、言えそうもなかった。
 いや……言うつもりがなくなったというべきか。

 視線をモニターから少しだけずらす。

 マウスの脇に無造作に置かれた、白いミュージックプレイヤーが目に入る。

 そのイヤホンをそっと、耳につけて、その中に保存されたたった一曲を再生する。

 動揺するマキナに「今日はもう帰って構いませんが、落ち着いたらこれを聞いてみて下さい」と言って、藤群が手渡したそれは、ドイツのアンダーグラウンドでひっそりと活動していたというアインの唄う歌だった。

 ピアノの伴奏に合わせて紡がれる、ドイツ語のバラード。

「ムカつく……」

 日本でも屈指の名プロデューサーを唸らせ、虜にしたというその、歌声。

「……アインのくせに」

 とろけるほどに甘く、酔いしれるほどに艶のある、それでいてせつなく、鼓膜を包む。

「……なんて、いい声してんのよ」

 まともな耳をしていれば、素人だってわかる。

 これは、売れる。
 間違いなくものになる。

 アイン=ライスフェルトは間違いなく、将来音楽業界を席巻するシンガーになる……売り込み方さえ誤らなければ、必ずだ。

 そんな金のタマゴを目の前に差し出されている。

 温めて孵すのを手伝ってくれと。

 そう言われているのだ。

 アーティストマネージャーとして、これほど魅力的な仕事があるだろうか。


「……こんなチャンス、きっと2度と来ない……」



















「よかった、引き受けてもらえるんですね」

「はい……是非、やらせて下さい」

 翌日、昨日と同じ部屋で、マキナは藤群に正式にマネジメントを引き受ける旨を伝えた。

 すでに全てを察している様子の藤群は、心底安心したふうだ。

「……よかったでしょう。アイン君の歌は」

「はい……正直、驚かされました。藤群さんが選んだだけのことはあります」

 素直に感想を伝えると、眼鏡の奥の瞳が満足そうに笑った。

「貴女ならわかってくれると思いました。……高山獅貴(タカヤマ・シキ)の推薦するマネージャーですからね」

 高山獅貴は、マキナにとっては以前の雇用主にして上司、藤群にとっては昔の仲間……業界から突如姿を眩ましたカリスマミュージシャンだった。

 そんな大それた人物を引き合いに出されるまでもない……あの音源を聴いて、わからないようならもはやこの業界にいる資格がないだろう。

「しかし、何故藤群さんは彼をバンドのボーカリストとしてデビューさせようと考えたんですか?
ソロでも特に問題はないと思うんですが……」

「それには……まあ、いくつか理由があるのですが」

 藤群はクスリ、と微笑む。

「僕の趣味、と言ってしまえばそれまでかもしれません」

「はあ……」

 やはり藤群高麗は相当風変わりな人物のようだ。

「そうそう、バンドのメンバーですが」

 不意に話の矛先は、空席になっているバンドメンバーの問題へと動く。

「知り合いのつてで、ギタリストを2人紹介されましてね」

「ギタリスト……2人、ですか」

 確か「Sternebogen」のメンバー構成は、ボーカル・ギター・ベース・キーボード・ドラムで5人。ギターはツインではない筈だ。

「どちらか1人を正式にメンバーとして迎えるんですね」

「どちらを選ぶか、あるいはどちらも選ばないか……貴女や、あの2人にも一緒に考えてもらいたいんです。
急で申し訳ないんですが、本日の夕方、都内のスタジオで直接会ってみることになりました」

「急でちょうどいいです。残りのメンバーの選出は、さしあたっての急務ですしね」

 私情を捨て、一旦腹をくくったからには、このプロジェクトを必ず成功に導かなくてはならない。

 プロデューサーである藤群がバンドで、と決めたのならバンドという形で、あのボーカリストを売り出さなくてはいけない。

 それが自分の役目。

 失敗は許されない。

 「二度と」は許されないのだ……。

















「Tag(やあ)、マキナ。お迎えご苦労様」

 アーティストを車で迎えに行くのも、マキナの大切な仕事だ。

 指定されたカフェの前で待っていたのはアインひとりだけ。
 渕崎翠人(フチザキ・スイト)はバイクで現場に向かうということだった。

 2人きりでいるよりは3人でいるほうがいくらかマシだったのだが、仕方がない。

 後部座席に乗り込んで、嫌みなくらい長い脚をもてあまし気味に組み、ふんぞり返っているアインを、ミラーごしに軽く睨む。


「タークじゃないわよ、タークじゃ。一応あんたも業界人のはしくれなんだから、挨拶は『おはようございます』にしてちょうだい」

「じゃあ他の人にはそうするよ」

「私にもそうしなさい」

 線を引きたい。
 なるべく太くて、消えない線をここに、引きたい。

「僕と君の仲なのに?」

 線を踏むんじゃない。
 その足を、どかして。

「アイン……最初に言っておくわ。
私とのこと、人前では絶対に話さないでほしいの」

「Ja?」

「渕崎くんはもともと知ってるし、藤群さんにもバレちゃったけど……それ以外の人には秘密にするって約束して。
じゃなかったら、あんたとは仕事ができない」

 ミラーに映った金髪の男は、やはりミラーごしにマキナを真っ直ぐ見つめ、腹の立つ美声で一言、呟いた。

「Jawohl,Mein manager(了解です、僕のメニジャさん)」











《つづく》
「Fest(お祭り)だよ、マキナ」

 あんたの頭の中の話?……と聞き返してやりたくなる。

「ユカタを買いに行こう」

「い・や」

 急ぎ足で歩いても、脚のリーチがそもそも違うから、簡単に横に並ばれてしまう。

「Warum?(どうして?) Fest(お祭り)にユカタはつきものなんだろう?」

「お祭りに一緒に行くことを前提に話さないでくれる?」

 あれは冗談だった筈だ。

「私はあんたとデートなんかしない」

 確認はしていないが、そうに決まってる。

「迷惑だからつきまとわないで」

 それとも……。

「わかった?」

 ただ教科書を貸してやったくらいで、本気で彼氏面しようというのか?

「マキナ……」

 小憎たらしい、藍色の目の持ち主は、不思議そうにこちらを見つめ、ぽつりと覚えたての日本語を呟いた。

「君はツンデレかい??」










序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【3】











「何が、ツンデレよ……」

 思わず口をついた独り言に、マキナは自分で驚いてしまった。

 思い出したくない筈なのに、思い出してしまう。
 思い出すまいと意識すればするほど泥沼にハマっていくようだ。

 マキナの内心の動揺などまるで気づいていないかのように、アイン=ライスフェルトは、スタジオのロビーにしつらえられた質素なソファーに深く腰かけて、携帯電話をいじっている。

 その最長距離に位置する壁に寄りかかって、几帳面さが災いして予定より早く到着してしまい、結果気まずい2人きりの時間が長引いてしまったことを後悔しながらも、マキナはその男を再会以来初めてまじまじと観察した。

 昨日は、まるで時空を飛び越えてここに現れたかのように思われたアインだったが、よく見れば、やはり自分と同じだけの月日を重ねてきているらしかった。

 元々大人びてはいたが、あの転は、それでも少年らしさを滲ませていた。
 目の前の人物からはそういったあどけなさが抜けて、すっかり大人の男性といった様子だ。

 あの頃短く切っていた襟足を伸ばして、大きく外側に跳ねさせた髪型や、あの頃はなかった両耳を飾る小さな石のピアスや、あの頃より更に線が細くなり、鋭角的になった身体のフォルム……面影と重ならない微妙な差異が、空白の年月を物語る。

「マキナ」

 いきなり観察対象から声を掛けられて、ビクリと肩が震えてしまう。

 アインは少しも視線を上げることなく、携帯を見たまま口を開いた。

「何か、話をしない?」

「何か……って」

「見てるだけじゃ退屈じゃない? ……僕がいくらいい男でもね」

「っ」

 全身の血が一瞬で沸騰するかと思われた。

 気づかれていた……マキナは隠しきれない動揺に視線を逃がす。

「私は別に……」

「僕も退屈だな。だから、何か話して」

 話す?

 何を話す?

 適当な話題と言えば、やはり仕事の話になるのだろうか。

 考えた末、気になっていた疑問を口にした。

「音楽活動は、いつ頃からやってたの?」

 元々自分のことをあまり話さないところはあったが、それにしても歌が好きだとか、歌手になりたいなどという話を聞いたことはあの頃一度もなかった。

「2、3年前からかな」

「藤群さんが見つけた時は、ベルリンのクラブで歌ってたって聞いたけど」

「Ja♪」

 手にしていた、メタリックシルバーのスライド式の携帯をクローズして、アインは視線を上げ、マキナを見やった。

「僕の歌、聞いた?」

「え、あ、うん」

「どうだった?」

 アインは藍色の目を輝かせながら問う。

「それは……」

 マキナは一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇したが、

「……正直、驚いた。私が藤群さんだったとしても、きっとあんたに声を掛けたと思う……」

 冷静に答えを返す。

「もっとも音源でバラードを一曲聞いただけだから、まだまだ評価しきれるものではないけど。
まだバンドの方向性も未知数だしね。
なんにしても、あんたがプロとして立派にやって行けるように、私としてもバックアップは惜しまないから、安心してちょうだい」

 その答えにアインは満足げに笑う。

「頼もしいね」

「どういたしまして。その代わり、しっかり期待に応えなさいよ」

「Jawohl,Mein manager」

 アインはそれがよほど気に入ったのか、車中と同じフレーズを口にする。

 それはほんの僅かながら、一種の緊張感に支配され、硬直していたマキナの心を解きほぐした。

 そうだ。
 この立ち位置だ。

 それを見失わなければ、どうということもない。

「遅れたか?」

 ちょうどその時、もう1人の内定メンバーが、姿を表した。

「いいえ、時間通りよ、渕崎くん」

「翠人(スイト)、でいい」

 Sternebogenのベーシストは、相変わらず愛想のかけらもない無表情な顔で促した。

「じゃあ、翠人くん?」

「翠人、くんは余計だ」

「あ、そう……いいけど」

 渕崎翠人(フチザキ・スイト)は、同じ教室で過ごしていた頃からほとんど変わっていないように思える。

 小柄で細いが、すばしっこそうな体躯に、童顔のわりに、キリッとしたつり目。
 ワックスで立ち上げた短髪は白金で、雪のように白い肌と、名を体現するかのようなエメラルドグリーンの目によく合っている。

 幾つかの人種の血が混ざっているという彼。マキナも詳しくは知らないが、アインとは家ぐるみで付き合いがあり、幼い頃から面識があるらしい。家の事情で、頻繁にドイツと日本を行き来しているとも聞いていた。

 高校時代も2人はよく一緒にいた。
 あの時も、アインは本当は翠人に教科書を借りるつもりだったのだろう。

 翠人が見当たらなかったものだから、たまたま同じクラスで、たまたま話したことのあった自分が目をつけられた……そう考えると、マキナは翠人の間の悪さを恨まずにはいられなかった。

 翠人は、アインの座った椅子の横に立って、軽く周囲を見回す。

「藤群はまだなのか?」

「藤群さん、でしょう?
目上の人にはちゃんと敬意を払わないとダメよ」

「よくわからんな」

 翠人は細い首を軽く傾けて、言った。

「藤群がアインにプロデュースさせとほしいと依頼した。アインは、俺をメンバーに入れることを条件に引き受けた。
イニシアチブを握っているのだから、俺が一番上だろう」

 彼にしては珍しく文字数の多いその台詞には、マキナの知らなかった情報が含まれていた。

「えっ、そういう経緯で翠人が加入したの?」

「Ja♪」

「ヤーじゃないわよ、ヤーじゃ。翠人が了承しなかったら断るつもりだったの?」

「わかったか? この企画の成立は俺次第だと」

 淡々と話す口調からは、言葉づらほどの高慢さや自己誇示欲は感じられず、ただ事実をありのまま並べて、認識を促すような意図が感じられた。

「わかった……あんまりうるさいことは言わないけど、外部の人がいる時はせめて『プロデューサー』って呼んでくれる?
藤群さんにも立場ってものがあるんだから」

 マキナには、翠人が藤群に対して礼を欠いた言動を取ることを、よしとは思えなかったが、譲歩せざるをえない。

 プロデューサーは藤群だ。藤群がアインを選び、藤群が翠人の加入という条件を受け入れた。

 翠人のこの小生意気な言動も含めて受け入れたということならば、マキナにはその意向を優先する他ない。

「いいだろう」

 翠人もこれには異論はないようだ。

 藤群が人前で恥をかかないなら、まあいいだろう……マキナはとりあえずではあるが、安堵した。

 そして今度は別なことが気になり出す。

「……それにしても、遅いわね、藤群さん。ギタリスト候補の2人と一緒に来るって言ってたけど……」

「フジムラならまだ来ないよ。きっと道に迷ってるからね」

「え?」

 まるで見て来たかのように断言するアインに驚いたその刹那、スーツのポケットの中でマキナの携帯が震えた。

 取り出して確認してみると、それは藤群の携帯からだった。
 まさか……と思いつつ、電話に出る。

「はい、折笠の携帯です」

 聞こえて来た声は、


『折笠マキナさん、ですか?』

 藤群のものではなかった。

『藤群さんが運転中なので、代わりに連絡させて頂きました。
本日、オーディションを受ける横山夕景(ヨコヤマ・ユウケイ)という者です』

 爽やかで耳ざわりのいい、ニュースを読み上げる男性アナウンサーのような声。

『諸事情ありまして、まだそちらへ到着できそうにないんです……もう1人の方には連絡をして、直接スタジオへ行ってもらうことになりました。
先に彼と話をしてみてほしいと、藤群さんはおっしゃっています』

「そう、ですか。あの、諸事情というのは……道に迷った、とか、そういうことでしょうか?」

『……ええ……まあ……その、この辺りは随分入り組んでますから……』

「……わかりました。気を付けて来て下さい」

『はい、失礼致します』

 一瞬だけ、気の毒なほど歯切れが悪くなった以外は、終始爽やかな印象だった。
 礼儀正しく、目上に気も遣える様子。

 ……まあ、人間性は評価できそうね、とマキナは思った。

 今目の前にいる連中がひどすぎるのかもしれなかったが。

「言った通りだった?」

 楽しげに、アインは笑う。

「そうみたいだったわ……でも、どうしてあんたが知ってるの?」

「フジムラだからだよ」

「は?」

「藤群は方向音痴だ」

 スッパリと、翠人が断言する。

「それと味覚音痴で、運動音痴だ」

「Ja、『音痴三冠王』って自分で言っていたね」

 『音痴三冠王』……自虐的過ぎる称号だったが、藤群なら言いかねないと、マキナは思った。

「あ、でも……昨日頂いた焼き菓子は手作りみたいだったけど、おいしかったよ?」

「それは俺が作った」

「そう、翠人が作ったの……って、ええっ!!?」

 この無愛想な元クラスメートが、キッチンに立って料理……しかも、お菓子作りなどとても想像できたものではない。

「料理、得意なの?」

「最近覚えた。他の2人には任せられないからな」

「他の2人って?」

「アインと藤群だ」

 そう答えてから翠人は、何かに気づいたように、微かに眉を動かした。

「聞いてないか? 俺とアインは藤群の家に居候している」

「Ja、もう1ヶ月になるね」

 先程から知らなかった情報が次々に示され、マキナは思わず唖然としていた。

 事務所が所属アーティストのためにマンションを用意するのはよくあることだが、社長兼プロデューサー自ら自宅を提供するというのは珍しいパターンだった。

 藤群の家といえば、事務所の近くにある高層マンションの最上階だった筈だ。
 1フロア全て所有しているという話だったので、1人や2人や10人くらいは余裕で居候を住まわせられるだろう。

 しかしそれはあくまで物理的な解答であって、この2人とプライベートでまで顔を付き合わせて暮らすなど、普通の神経をした人間ならせいぜい3日が限度だろう……とマキナは思った。

「流石は、大物……」

 マキナは今初めて藤群を心から尊敬していた。

 その時。


「ったくよー……冗談じゃねえぜ。迎えに行けねーとかぬかしやがって、オレ様を誰だと思ってやがんだ……!」

 その大きな声は、近づいて来た。

「……おい、折笠ってのはどいつだ!? 天才ギタリスト・富沢煉司(トミザワ・レンジ)様のおでましだぜ」

 マキナに新たな驚愕と動揺をもたらす、第3の男が姿を現した。


「……わざわざ出向いてやったんだ、盛大にもてなせよな……?」













《つづく》
「ねえ、渕崎くん」

 放課後はいつも、すぐに教室を出て行ってしまう彼を、急いで引き留めた。

「なんだ?」

「あなた、アイン=ライスフェルトと仲がいいんでしょ?」

「仲は別に良くない」

「でもいつも一緒にいるじゃない」

「誰か一緒にいなかったら物騒だからな」

 それはマキナも同意だったが、その「誰か」に進んでなろうという発想は、仲が良い、ということにはならないのだろうか、とも思った。

「この際なんだっていいけど、あなたから私につきまとうのをやめるように話しておいてくれない?」

 渕崎翠人は、一瞬だけ何か考えるような顔をして、答えた。

「心配しなくとも、アインの留学はごく短期だ。日本にいるのは夏が終わるまでだな」

「……そう」

 一学期は残り僅か。
 家や連絡先までは知らないだろうから、夏休みに入ってしまえば、もう二度と会うこともなく、恐らくはそれっきりお別れだ。

「望みが叶うのに、嬉しくなさそうだな」

「別に……ただ」


 なんとなく、虚しいような……そんな気持ちになっただけ。









序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【4】










「……ねえ、まさかとは思うけど、あなた……オーディションを受けに来たとか言わないでしょうね」

「んぁ? オーディションだとぉ? そいつは笑わせるぜ。
オレ様はなぁ、なんちゃらボーゲンがオレ様が所属するのに相応しいバンドかどうかを確認しに来てやったんだ。
このオレ様に声を掛けるとは、藤群の野郎もなかなか見所はあると思うが、他のメンバーがつまんねえ連中なら、まあ、ちっと付き合いきれねぇわな」

 そこまで早口で一気にまくしたてると、「富沢煉司(トミザワ・レンジ)」はアインの座っていた椅子の真向かいに、ドカッと腰を下ろした。
 ふんぞり返るようにして背もたれに身を預けると、斜めに視線を飛ばしてマキナを見た。

「つか、なんでそんなとこに立ってんだ? お前。
端っこが好きなのか? 猫みてぇな女だな」

「別に端っこが好きなわけじゃないわよ……!」

 もうどこからツッコミを入れていいのかわからなかったが、とりあえずそこは否定しておく。

 富沢煉司、と名乗った男は、マキナの見る限りでは自分と同じくらいか、あるいは少し年下と思われた。

 ストリート系ファッション雑誌の表紙にでも載っていそうな男で、髪型は後ろをかなり長めにしたウルフで、カラーはくすんだキャラメル色だった。
 けして、際立った美形ではないが、女にモテそうな顔の造りをしている。
 全体的におおぶりなパーツと、突き刺さりそうな鋭い目が、ワイルドな雰囲気を醸し出していた。

 別に猫呼ばわりの仕返しのつもりでもなかったが、「狼みたいな男だな」と、マキナは思った。

「で、お前らがメンバーか?」

 富沢煉司は、向かいに座ったアインと、傍らに立つ翠人を、まるで値踏みするかのようにジロジロ見つめる。

「でよう、藤群が惚れ込んだって、ドイツ人のボーカリストってなどっちのヤローだ~? あ?」

 アインは、何故かキョトンとしたまま黙っている。
 代わりに翠人が、

「そっちだ」

 とアインを顎で指した。

「そう。ボーカルを担当するアイン=ライスフェルトよ。デモは聴いてくれた?」

 と、マキナが付け足した。
 煉司はその問いには答えず、アインを見やってにいっと笑んだ。

「お前かよ。へえ、まあまあ男前じゃねか。
お前の歌はそこそこ聞けたぜ。そこいらの道端で唄ってる頭悪そうなガキどもとは違うってのは確かだ。誉めてやるよ。
でもよ、ちょっとばかり才能があるとか、プロになれるとか持ち上げられたくらいで、あんまり調子に乗らないほうが身の為だぜ? わかってっかあ?
デビューなんざ大して難しかねえのよ。デビューしたはいいが、鳴かず飛ばずであっという間に消えてく連中がどんだけいるか、お前だってちったー想像できんだろ?
ぽっと出の素人が簡単にブレイクできるほど、日本の音楽ギョーカイは甘くねえからなー。
お前その辺ちゃんとわかってんのか?? あ?」

 そこまでマシンガンのように一気に畳み掛ける。
 かなり挑発的な物言いだったが、アインはどう答えるのか……マキナはなんとなしにハラハラしながら、煉司の向かい側を見つめた。

 アインは何故か、煉司が登場した瞬間からずっと不思議そうな顔をしていたが、そのうちに、まるで何か助けを求めるように、藍色の瞳をマキナに向けて来た。

「……どうしたの?アイン」

 この程度の挑発で気圧されるような可愛らしい男ではないということは、マキナもよくわかっている。

 だとすればどうしたというのか。

 アインは苦笑した。

「……僕はドイツ語と日本語と英語しか話せないって、彼に通訳できる?」

 一瞬の沈黙のあと、マキナは思わず、ぷ、と吹き出した。

「あ?」

 今度は煉司が不思議な顔をしている。
 マキナは腹の中でまだ笑いが収まらないが、一応説明してやることにした。

「……あなたが一方的に早口で、田舎のヤンキーみたいな崩れた日本語を並べ立てるもんだから、アインには全くリスニングできなかったのよ」

「なっ……」

「相手は初対面の外国人なんだから、ちょっと考えたらわかりそうなものだけどね」

 少し意地が悪いかな、と思わないではなかったが、出て来るや否や礼儀もわきまえず、人の話もまともに聞かず、やりたい放題の狼男にはこのくらい言っても構わないとも思った。

 そして翠人は表情ひとつ変えずに、

「お前には才能があるから、デビューするなら、気を引き締めて頑張れ……だそうだ」

 と、恐ろしくシンプルに翻訳し、アインはこくこく首を上下し、煉司に視線を戻してにっこり笑った。

「Herzlichen Dank♪(どうもありがとう♪)」

 挑発した筈が、最終的にはなぜか満面の笑みでお礼を言われてしまった煉司は、今までの勢いが嘘のように沈黙してしまった。

 怒りと悔しさと羞恥が混ざったような赤い顔で、3人を交互に見やり、それから、

「んと……このくらいの早さだったらわかるのか?」

 抑えめのテンションで、気持ちゆっくり話し始めた。

「ああ、君は日本語も話せるんだね」

 アインには、多分、悪気はない。

 煉司はコホン、と軽く咳払いする。

「オレ様はな、年はまだ23だが、中卒でこのギョーカイに入ったからキャリアはそこそこ長いんだぜ」

「チュウソツって?」

「一々面倒なヤローだな……要は、10代半ばから音楽やってるってことだ。
インディーズシーンじゃ、それなりに名前も通ってるし、プロにならないかって話もいくつかあったんだ。
ただオレ様ほどの逸材を、活かせるだけの魅力的な話はなかった。残念ながらな。
……今回はあの藤群高麗のプロデュースするバンドってことだったから、それでも少しは期待してるんだぜ。
こうやって、お前がどれほどの器か、確かめに来てやる程度にはな」

 ちゃんとアインに伝わるようにしっかり速度を調節して、言葉を選ぶ辺り、案外根は律儀なタイプなのかもしれない……と、マキナは思った。

 彼の努力の甲斐もあり、アインにも今度はしっかり伝わったらしい。

「君の言いたいことはわかったよ。でも、君がそんなに素晴らしい逸材なら、他のメンバーがどうだって、とりあえずなんとかなるんじゃないのかい?」

「そうもいかねえのが、バンドの厄介なとこなんだよ」

 不意に、煉司の顔に真剣な色があらわれる。

「チープなインテリアで統一された部屋に、ひとつだけ高級な家具を飾ったら、調和が取れねえのと同じさ……カッコよかねえし、オレ様自身たまらなく窮屈だ。わかるか?」

 マキナは思わず頷いた。
 確かに、それは正論だ。
 バンドという形で音楽をやるならば、全体の調和は無視できない。
 どれかのパートがよければいいというものではないし、極端に足を引っ張るパートが合っても悪目立ちしてしまうだろう……。

 それはけして、本人のためにならない。

 適材適所。

 アーティストを陰から見守りサポートする立場として、それはひとつの信念としてマキナの中にあった。

 アインは微笑する。

「……『Sternebogen』が君にとって居心地のいい部屋になるかはわからないけれどね。
僕は、僕の部屋に君を招いてみたいと思ったよ。
君は面白いし、いいやつみたいだからね」

 そう言って、すっとまたマキナを見やった。

「『Sternebogen』のギタリスト、彼に決まりでいいよね?」

「ちょっ」

 マキナと煉司は初対面とは思われないほど、見事に呼吸を合わせて、

「ちょっと待った!」

 ハモった。

「ギタリスト候補はもう1人いるのよ!? まだ音だって聞いてないっていうのに、何勝手に即決しようとしてるの!?」

「お前、人の話をちゃんと聞いたのか!? 日本語だぞ!?オレ様が話してんのはれっきとした日本語だ。
まだ入るとは一言も言ってねえだろうが!!」

 アインは、凄まじい勢いで同時にわめく煉司とマキナを、困った顔で見つめていた。

 脇にいた翠人が涼しい顔で、

「2人とも、結論を急ぎ過ぎだ、よく考えろ、と言っている」

 まとめて翻訳する。

「スイトはレンジでいいだろう?」

「ああ。構わない」

 構ってよ……!!と、思わず叫ぼうとしたマキナだったが、それより早口アインが口を開く。

「メンバーの意見が第一、ってフジムラは言ってなかったかい?」

 確かにアインが言うように、藤群はメンバーの意向を最大限尊重するというようなことは話していた。

「でも……」

「オレ様の意志が最優先だろーが!」

 これまた正論。
 しかし、

「違うな」

 翠人は淡々とその正論を突き放す。

「メンバーの意志が最優先なら、本人の意志よりも当然優先だろう?」

「Ja♪ レンジはまだメンバーじゃなからね。優先してほしかったらメンバーになればいいと思うよ」

 何のパラドックスだ……マキナは思わず目眩を覚えた。
 煉司のほうも軽い混乱状態に陥っているらしく、うーっと唸ったかと思うと、

「っ……お前らは悪徳商法のセールスマンかっ!」

 椅子の肘掛けを八つ当たり気味に殴った。
 アインは、フフフ、と面白そうに笑う。

 何故かは本人にしかわからないことだったが、どうやら煉司のことがかなり気に入ったらしい。

 一度本人が気に入ってしまったら、相手の都合などあったもんじゃない……マキナはそれをよくわかっている。

 そして。

「何も一度バンド組んだら死ぬまで同じメンバーでやらなくちゃいけないわけじゃないだろう? 試しに『Sternebogen』でやってみたらいいよ」

「……いや……まあ、それも一理あるっちゃあるけどよう……」

 どこから見ても、あまり頭が良さそうには見えない煉司はもうすでに陥落しかかっている。

 マキナは内心、それが無駄になりそうなことに気付きつつあったが、一応口を挟んでみる。

「だから、せめてもう1人の彼……横山夕景(ヨコヤマ・ユウケイ)くん、とやらに会ってからにしたらどう?
電話で話した感じでは、彼もなかなかいい人そうだったけど?」

 本人に責任のないことで遅刻してしまった上、オーディション無しで落選を告げるなんて気の毒なことはあまりしたくない。

 アインはこともなげに言い放つ。

「それなら、ギターはレンジにして、ユウケイにはキーボードをやってもらえばいいよ」

「……はあ?」

 そのあまりに馬鹿げた提案に、「あんたねえ」と反論しかけたその時、


「いいですよ」


 よく通る、ハキハキとした声が後ろから響いた。

 その場にいた全員が一斉に振り返る。


 遅れて来た第4の男は、切れ長の目を細めて、静かに微笑していた。


「はじめまして。
大変遅くなりました……横山夕景、と申します」













《つづく》
「お祭りは中止ね」

 思えば、自分から話し掛けたのは初めてだったかもしれない。

 生徒玄関を出てすぐのところ、地面を叩く雨がかろうじて当たらない位置に立って、彼は空を見上げていた。

 暗い空。
 止まない水音。

「……あんた、2学期からはもう学校、来ないんでしょ?」

 少しだけ歩み寄る。彼の後ろに。

「明日から夏休みだし、今日でお別れね。
それじゃ、さよなら」

 そう告げて立ち去ろうとしたその時。

「雨なら止むよ」

 キッパリと、放たれた言葉。

「……私にはそうは思えないけど」

「じゃあ、賭けるかい?」

 アイン=ライスフェルトはゆっくりと振り返った。

「夕方までに雨が止んだら、君はユカタを着て僕とデートだ」

 藍色の瞳は、暗い空の下でもキラキラ輝いている。

 こんなにも切れ間なく空は泣いているのに、この男は笑っていた。

「……雨が止まなくて、私が勝ったら?」

「来年のFest(お祭り)に日本に帰って来て、僕がデートしてあげる」

「なにそれ……」

 不覚にも吹き出してしまった。

 自分の思い通りにならないものなど何もないとでもいうような、傲慢で、無邪気な笑顔。

「……そんな賭け、ありえない」

「Ja、それならマキナも、雨が止むほうに賭けてくれる?」

 アインはもう一度、雲に覆われた低い空を見上げ、目に見えない何かを掴もうとするように手を伸ばした。

「虹が見たいな」

 長い指先がすーっと、アーチの形を描く。

「日本の虹は、7色って本当?」

 憎たらしくて、憎めない笑顔。

「さぞかし、綺麗なんだろうね」

 その笑顔、虹を探す指、輝く藍色の瞳、アイン=ライスフェルトという男……。

「……綺麗、かもね」





 ……そうして、あの短い夏は始まったのだ。










序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【5】









「へえ……釘宮音楽大学のご出身なんですか」

「いえ。入りはしましたが、出てはいないんです。家の事情で中途退学しましたから」

 電話ごしに聞くよりも更に耳ざわりのいい爽やかな美声。

「……なんだかもったいないですね。釘宮といえば日本の私立音大でもトップの名門なのでは……」

「そうですね……まあ、自分程度には、元々不釣り合いな場所だったんでしょう。負け惜しみではなく、それほど未練はなかったんです」

 信号が赤になった。マキナはミラーに目をやり、後部座席の左に姿勢良く座った男・横山夕景(ヨコヤマ・ユウケイ)を改めて観察する。

 マキナより3つ年上だという彼は、年齢以上に落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 手をかけてケアしていそうなアッシュグレイの髪は、清潔感のあるスッキリした短髪で、クセもなくサラサラしている。

 体型は細身で、どちらかというと女性的な顔立ちをしていて、歌舞伎の女形などやらせてみたらはまりそうな容貌だ。

 アクセサリーの類いはあまり好まないのか、時計くらいしか身につけておらず、シンプルなシャツにジーンズという、飾り気の一切ない地味な格好をしているのに関わらず、それが何故か様になっている。

 口調や仕草から育ちの良さが滲み出ており、まるで「お忍びの王子様」のようだ……と、マキナは思った。

 そして、奇妙なことに思い至った。

 そういえば。

 前にもどこかでこんなことを思った気がする。

 随分昔に、彼とよく似た雰囲気の誰かに出会ったような……。


「おい、青だぜ?」

 はっと我に返り、慌てて車を発進させる。

 いつの間にか信号が変わっていたようだ。

「ぼーっとしてんじゃねえよ。危なっかしい女だな、お前。
日本の音楽シーン、いや全世界の宝を乗せてるって自覚持ってハンドル握ってやがんだろうなぁ?」

「はいはい、ごめんなさいね」

 確かに、ぼんやりしていたのは認めるし、気付かせてもらったのはありがたいが、やはり少々カチンとくる。

 横山夕景とは、頭の先から爪先まで何もかも正反対と言っていい男・富沢煉司(トミザワ・レンジ)。

 後部座席の右側にドッカリ座り込んだ、頭の悪そうな狼男が、正式に「Sternebogen」のメンバーに決まったのはつい2日前のことだ。

 最初こそアインの強引な押しになんだかんだとごねていたが、結局言いくるめられた格好だった。
 決定的だったのは、対立候補だった筈の夕景の言葉。


「煉司くん……といえば、華やかで大胆なステージングで有名ですね。
彼のようなギタリストがいるのなら、確かに俺の出る幕は無いですね」


 出会うなり、清々しい笑顔で誉め称えられた煉司は、すっかり気を良くして、「なんだよ、わかってんじゃねえか!!」云々と饒舌にまくし立て、気づけば暫定メンバー全員一致で加入決定となっていた。

 そして。
 「Sternebogen」には更に問題児が増えた。


 マキナは思わず、ハンドルを切りながら嘆息した。


 気まぐれでわがままなアイン。

 無口無愛想な翠人。

 おバカでうるさい煉司。

 ついでに言えば、プロデューサーは音痴三冠王のスーパーマイペース。

 そんな彼らをこれから先サポートして行かなければならないのだと思うと、頭が痛くなって来る。


 とはいえ全く希望がないわけではない。

 今のマキナにとっての希望は、2つ。

 1つは彼。

 横山夕景が加入したことだった。

 ギタリストとして候補に上がっていた彼が、何故かキーボーディストとして。

「……あの、夕景さん」

「はい」

「何度も確認するようで申し訳ないんですけど……本当に、いいんですか?」

「『Sternebogen』への参加のことですか? それとも、パートチェンジについてですか?
……まあ、どちらにしても答えは同じなわけですが」

 名門音楽大学にピアノ専攻で入学していたとはいえ、現在はギタリストとして主にスタジオミュージシャンをしていた夕景が、わざわざ楽器を持ちかえてまで「Sternebogen」に参加するというのはおかしな話だ。

「俺は、ギターという楽器自体に強い思い入れがあるわけではないんですから」

 と、夕景は語っていたが、マキナの中には依然として釈然としないものが残っていた。

 そうでありながら、その状況を受け入れてしまったのは、彼が極めて「まとも」だったからだ。

 プロデューサーを含めて4人のクセ者が揃った「Sternebogen」。
 先の苦労は目に見えている。

 ならばせめて、苦労を共有する「まとも」な人材が1人くらい欲しい。

 そこに希望を見出だしたい。

 そんな思いが勝ってしまったのだ。

「俺は『Sternebogen』というプロジェクトにとても興味があります。
そこに加われるなら、担当パートなんて些末なことなんです」

 そう断言する夕景に、安堵してしまっているのも事実だった。

 デビューに向けて、時間に追われていることもある。
 ここは奇特な人材に恵まれたことを、「幸運」と解釈するべきなのかもしれない。

 とにもかくにもメンバーは4人集まった。
 残るは1人、ドラム担当だ。

 このたった1つの残った椅子に、出来るだけ「まとも」な人材をあてがうことができれば……それがマキナのもう1つの希望だった。

 そして実は、マキナには1人あてがあった。

 彼がそれを引き受けてくれるか、引き受けてくれたとして、藤群や他のメンバーが納得するかどうかはわからない。

 とりあえず、本人と話だけでもしてみたい……そう判断し、今マキナは車を走らせている。

 彼がサポートドラムとして参加している筈のライブハウスへと。


「ってゆーかよぉ」

 煉司が口を開く。

「いい加減教えろよ。どんな野郎なんだー? お前が推薦するドラマーってのはよ」

「何度も言ってるでしょ? まだ藤群さんにも話してないし、正式にオファーを出すかどうかも未定なの。だから詳しくはまだ話せない。
今日だってあんたについて来いと言った覚えはないんだけど」

「夕景には言ったじゃねえか!!」

「それは夕景さんがリーダーだからよ」

「暫定、リーダーだろーがっ! オレ様はまだ認めてねぇ!!」

「はいはい、わかったから大人しくしてなさい」

 夕景をリーダーにしてはどうか、と藤群に進言したのはマキナだった。
 当然だ。最年長であるという点を除いても、バンドのリーダーを任せられるのは夕景しかいない。

 今日も、とりあえずリーダーの夕景と2人で出掛ける予定だったのが、こそこそ話していた内容が、うっかり煉司の耳に入ってしまった。

 自分もついて行くと言って聞かない煉司を、仕方なく同行させることになったのだ。

 それでもアインや翠人がついて来るよりはよかったのかもしれない。

 煉司はうるさいが単純で、あの2人よりは遥かに扱いやすい。

「俺は、事前に情報を入れて、先入観を持たないほうがいいような気がするけど」

 などと夕景が言えば、

「……うっ……ま、まあ、そりゃ一理あんな……」

 案外あっさり引く。

 相手に理路整然と話されると弱いらしく、何も反論出来なくなるようだ。

 早くも攻略法発見……マキナは心の中でニヤリとした。














 コインパーキングに車を停め、入り組んだ狭路を縫うように歩いて、繁華街の外れ、小さなビルの地下にあるライブハウスの入り口へと3人はようやく辿り着いた。

「確かここは前に使ったなー。小規模だが、わりと音響のちゃんとしたハコだったぜ。スタッフの手際もよかったしなー。
けどオレ様があの時……」

 地下に続く階段を降りながら延々と無駄口を叩く煉司を綺麗にスルーしつつ、マキナもまた、微かに音漏れの聞こえてくる、薄暗い階段へと踏み出そうとしていた。

「待った」

 呼び止めたのは夕景だった。

「足元、見えにくいでしょう? 俺が先に下ります。万が一あなたが躓いても、大丈夫なように」

 サラッと囁かれた言葉に一瞬、ビクッ、とマキナの肩が揺れる。

「……っ、平気です」

 振り切るように、マキナは先頭で階段を降り始めた。

「あ……」

 夕景は驚いたように短く声をもらしたが、

「……すいません」

 謝罪の言葉を告げる。

 それは棘のようにマキナに刺さる。

 折角好意で言ってくれたのだから、素直に先に行ってもらうべきだったのかもしれない。

 可愛いげのない行動だと自分でも思ったが、これはもう脊髄反射に近いもので、どうにもならない。

 異性に気遣われたり、女性として興味を持たれたり、触られたりすると、途端に身体を電撃が駆け抜ける。

 「男」が苦手なのだ。


 アイン=ライスフェルトとの苦い思い出もひとつの理由だが、そのずっと前から、マキナは「男性不信」で、生理的にどこかで「嫌悪」していた。

 理由は思い当たるが、あんまり考えないようにしている。

 思い出しても気分が悪いだけだからだ。

 人間対人間として向かい合う分には気にならない。
 けれど、相手の中に「男」を感じてしまうともうダメなのだ。

 たったあれだけのことでも動揺してしまう自分を心の中で笑い飛ばし、なるべく早く頭を切り換える。

 見極めなければ……これから会う人物が「Sternebogen」の最後のメンバーとして相応しいかどうかを……。

 判断出来るだろうか、感情に流されず。

 未だ心のどこかで大きな引け目を感じる「彼」のことを。

「……西原天海(ニシハラ・アマミ)……」













 薄闇の底に伸びる階段の入り口。
 切れ長の目をした青年は、立ち尽くしたまま、思い詰めたように下へと降りて行く華奢な背中をじっと見つめていた。

「可哀想に……ずっと、君はひとりぼっちだね」

 小さな呟き。そして、

「でも、大丈夫だ……」

 ククク、と喉を鳴らして、彼は低く笑った。

「君の願いは、俺が全部叶えてあげる……そういう約束だろう? ……マキナ」













《第1章へつづく》
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