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麻咲による乙女ゲー風(?)オリジナル小説ブログ

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「やっぱりここにいらっしゃいましたのね」

 舞い落ちる粉雪の中で、探していた後ろ姿を見つけた。

「……前に一度来ておいてよかったですわ」

 降り積もった雪に淡く白く染め上げられ、耳鳴りがするほどの静寂に覆われた、小さな霊園。

 並び立つ墓石の1つの前で、彼は立ち尽くしていた。
 初恋の人が静かに眠る場所だ。
 深紅の髪にも、灰色のダッフルコートにも白が降り積もりつつあったが、そんなことも気にならない様子だった。

 そっと歩み寄る日向子を振り向こうともしない。

 まるっきりぼんやりしていて、知らない振りではなく、本当に日向子の存在に気付いていないようだった。

 近付くほどに、寒さのためかその傷を負った心故か、青白く正気のない顔が痛々しく思えた。

「お風邪を召されますわ」

 傍らに立ち、そっと傘を差しかけた。

「紅朱様……」












《第12章 君に光が射すように -Love Songs-》【1】









 どれくらいそうしていただろうか。
 もうすっかり、えんじ色の傘の上にも雪が積もってしまっている。

 紗の墓の前から動こうとせず、一言も声を発してくれない紅朱の隣に、日向子はずっと寄り添っていた。
 ブーツと手袋の甲斐もないほど、爪先と指先がじんじんかじかんでいる。

 灰色の空と白い地上の狭間で、今時計が何時を回ったのかもわからず、無限の静寂に飲み込まれてしまいそうだった。

 それでもここを一人で立ち去ることはできない。

 紅朱を東京へ、仲間たちの元へ連れて帰らなくてはいけない。

「紅朱様……」

 震える声で呼び続ける。

 答えはない。

 自分の声では届かないのだろうか?

 紅朱の心の中に響かないのだろうか。

 寒さでだんだん頭が痺れてくるような気がする。

 傘を持つ手の感覚もわからなくなっていって。

 全てが真っ白になっていく。

 そんな中で、何故か日向子はheliodorのステージを思い出していた。
 五人を照らし出す白色のライト。


「……いつか……解けていくよ」

 震える声で、記憶の中の紅朱の歌声をなぞる。

《いつか解けていくよ
 哀しい夢も
 繰り返した過ちも
 愚かな執着も》

 たどたどしい、不安定なメロディが静寂に微かな穴を開ける。

《目覚めたら 冬が逝く
 微かな傷痕だけを残して》

 サビの最後のフレーズが終わったその直後、気を付けなければ聞き逃してしまいそうな、ごくごく微かな呟きが空気を震わせた。


「……下手くそ」


 日向子ははっと我に返って、紅朱を見つめる。

 初めて紅朱の目が日向子の姿を映していた。

 日向子の歌声は拙いものだったが、どうにかその心に触れることができたらしかった。

 やはり彼はミュージシャンであり、heliodorのボーカリストなのだ。

 どんなに心を閉ざそうとしても、音楽にだけは素直に反応してしまう。

「紅朱様……あ」

 瞬間、日向子の手からパサリと傘が落下した。

 そして傘を握っていた手はより大きな、だがやはり同じように体温を失った手で包まれ、そのまま抱き締められていた。

「……日向子……」

 息苦しいくらいしっかりと両腕にかき抱かれ、息が止まってしまうかもしれないと思った。

 日向子の肩越しに、塞き止めていたものを全てあふれさせるように、紅朱は叫んだ。

「……俺はっ……どうすりゃよかったんだ……なんでいつもこうなっちまうんだよ!!
守ろうとすれば守ろうとするほど、大事なものは俺から離れていくんだ……!!」

 ほとばしる激情を全て受け止めながら、日向子は手を伸ばし、すっかり凍てついた紅朱の深紅の髪を撫でた。

「あなたにひどいことを言います」

 前置きをして告げた。

「……それでも唄うのを止めないで下さい。唄い続けて下さい」

「……なんのために……?」

「何の為でもでもいいです……唄い続けて下さい。そうすればまた唄うことの喜びを思い出すことができます……きっと」

 紅朱は日向子の肩口に顎を押し付けたまま口を開く。

「だけどこんな俺に誰がついて来てくれる? ……俺は綾の兄貴としても、バンドのリーダーとしても力不足だった。
heliodorのファンにも辛い思いさせちまったしな……今更誰にも会わす顔がねェ」

「だからご実家にも帰れず、東京にもいられず……ここへ来てしまったのですわね」

「……笑うなよ」

 確かに日向子は少し笑みを浮かべていた。

「……紅朱様をばかにして笑っているわけではありませんわ」

「それでも笑うな」

 紅朱は少しムキになったように念を押した。

「紅朱様は本当に何でも抱え込んでおしまいになりますのね……少なくともheliodorの皆様は、誰もあなたを責めたりするわけはないでしょう?」

「……」

「このまま独りで逃げておしまいになるなら、保証は致しかねますけど」

 少しだけ冗談めかして言ってみた。

「……あいつらはまだやりたいって言ってんのか?」

「当たり前ですわ」

 今度は自信に満ちた口調でキッパリ言い放つ。

「万楼様も、蝉様も、有砂様も諦めないと約束して下さいましたから。もちろんわたくしだって諦めたりしませんわ……だから」

 紅朱のかじかんで真っ赤な耳元に、囁きかける。

「玄鳥様を連れ戻しましょう?」

「!」

 驚いて顔を上げ、紅朱は日向子を近距離から見つめた。

「……連れ戻す、ってお前……玄鳥は自分の意思で脱退したんだぞ?
無理矢理連れ戻したって……」

「もちろん無理矢理などではありませんわ、玄鳥様がご自分で『heliodorに戻りたい』と思うようにするのです」

 日向子はそんなことなんでもないことのように、微笑んだ。
 そして驚くべき提案を口にしたのだった。

「『BLA-ICA』と勝負しましょう!!」

「『BLA-ICA』と……勝負??」

「『heliodor』のほうがずっとすごいバンドだと、玄鳥様や伯爵様に思い知らせて差し上げましょう」

 かつてない好戦的で凶悪な言葉を楽しげに口にする日向子に、紅朱は……。

「……ああ。悪くねェかもな」

 ほんの微かにだが、口の端を持ち上げて応えた。




 気が付けば、雪はもう止んでいた。












「《heliodor》、解散したって噂があるみたいだけど」

 漆黒の毛並のあどけない仔猫の首に黒いレースのリボンを飾りつけながら、抑揚のない声でゴシックロリータの少女が囁いた。

 そのすぐ側で弦を張り替えていた、やはりゴシックな衣装をまとったギタリストは、

「解散なんかしないよ」

 あっさりと答えた。
 本当に100パーセント混じりけのない純粋な否定の言葉だった。

「あの人がついてるからね」

「釘宮のお嬢様ね」

「確かに、今や彼女はheliodorの女神様みたいなもんらしいからな」

 対になった揃いの中性的なジャケット姿のリズム隊が口々に言う。

 特にもはや美青年にしか見えない凛々しい女性ベーシストは、少し含みのある笑みを浮かべた。

「お前にとってもそうなんだろう? 玄鳥」

「だとしても」

 ゴシックロリータの美声が問掛けられた本人より先に答えた。

「道が分かれたのだから、それまでよね」


 それきり奇妙な沈黙が訪れたリハーサルスタジオに、やがて静かにもう一人のメンバー……プロデューサー兼キーボーディストが入って来た。

 構わず猫を撫でている一人を除いて、全員がなんとはなしに姿勢を正して彼を迎える。

 若いメンバーたちに、年齢差以上のはるかな格差を感じさせる、優美な物腰で四人を見渡したかと思うと、その熱を感じさせない瞳をギタリストに向けて一度静止させた。

「デビュー前の多忙な時期だが……とあるアマチュアバンドがどうしても、《BLA-ICA》と対バンさせろと言っている。
どうするかね? リーダー」

「っ」

 リーダー、と呼ばれた玄鳥ははっと目を見開き、伯爵を凝視した。

 とあるアマチュアバンド……などと持って回った言い方をする必要などありはしない。

 まだ世間に公開されていないバンドを名指しで対バン相手に指名できるアマチュアバンドなど1組しかない。

「《heliodor》が……?」

 玄鳥はまだ弦の足りないギターのネックを無意識に強く握っていた。

 メンバーたちが見守る中、玄鳥はゆっくりとその面に笑みを浮かび上がらせた。

 彼の兄を思わせる、攻撃的な笑い方だった。

「……受けて立ちましょう」













「先方からは受けて立つ、と」

 パイプ役を担った日向子からの報告に、ようやく四人揃っていつものカフェに集まったheliodorの残留メンバーたちは四者四様の表情を浮かべた。

「よし、一歩ステップアップ。とりあえずドン底からは這上がったね」

 万楼はほんの少し安堵を滲ませた笑みを浮かべる。

「ただしここで負けたら一気にゲームオーバーだけどね……」

 蝉は少し緊張した面持ちで苦笑を見せた。

「……勝負の前に課題は山積みやで。ギターは? 曲は?」

 有砂は溜め息をつき、難しい顔で他のメンバーを見やる。

「……ギターは俺が弾く」

 これ以上ないほどに真剣な顔付きで紅朱は宣言した。
 日向子を含む全員が、紅朱の顔を凝視した。

 三年前にheliodorが最初の危機を迎えた時、封印されてしまった筈の紅朱のギター。
 理由が怪我のせいではないことを誰もが察していたが、誰も触れることができなかった。

 それを紅朱自らが解き放つと、今まさに告げたのだ。

「紅朱様……大丈夫、なのですか?」

 思わず不安を口にする日向子に、紅朱は少し微笑んで見せる。

「ああ……実は少し前から練習を始めてたんだ。
……前に綾と喧嘩になっちまったことがあったろ? あの後くらいからな」

 メンバーの誰一人として知らなかった事実だった。

「……どんどん成長していくあいつや……急速に変わっていく他のメンバーに気付いた時に、このままじゃまずいと思った。
俺ばかり過去に立ち止まっちゃいられねェってな」

 紅朱の言葉に、他のメンバー三人は互いの顔を見合わせ、誰からともなく笑みを溢した。

 日向子もそんな彼らを見て微笑まずにはいられなかった。

 出会ったばかりの頃の彼らは、ステージの上での圧倒的なまでの輝きとは裏腹に、それぞれの闇を抱えていた。

 その闇を乗り越えて来た彼らは、今また大きな苦悩を乗り越えて、ここに集まっている。

 戦うために。
 諦めきれない夢のために。

 日向子は彼らを心の底から素敵だと思った。カッコいいと思った。

 そして。


「次に曲だが……」

 紅朱は神妙な顔付きで新たにそう切り出した。

「果たして……お前たちが賛成してくれるかどうか……」












 《BLA-ICA》との直接対決に向けた初のミーティングはとりあえず終了し、heliodorはサポートメンバーを入れることなく、紅朱のギターボーカルを中心とした四人で挑むことが決まった。

 演奏する曲については、紅朱の思いがけない意見に、はじめこそどよめきが走ったが、結局みんな賛同し、その意見を採用することとなった。

 そうと決まればすぐにでもスタジオを押さえて練習しよう、とメンバーたちは店を出たが、日向子だけは次号の記事について少しまとめてから行くと言って、一人その場に残っていた。

 だがそれは実際は口実に過ぎなかった。

 対バンを申し込むために、プライベートナンバーで獅貴に連絡した際、日向子はメンバーに内緒で、もう一つだけ獅貴に頼んでみたのだ。


 一度だけ。
 一度だけで構わないから話がしたいと。


 約束の時間ちょうどに、真面目で几帳面な彼はカフェのドアをくぐり、姿を現した。

「……少しだけお久しぶりですね……お元気そうで、よかった」

 玄鳥だった。

 日向子の願いを聞き入れて、玄鳥が姿を現した……。










《つづく》
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 よく考えてみれば、そんなに長い間会わなかったわけではない。

 しかし、向かい合う二人は数年ぶりに再会した元恋人同士のような、奇妙な緊張感を抱き、互いを見つめていた。

 実際、今店内に入ってきた他の客はそう誤解したかもしれない。

「もう俺の顔なんか見たくないだろうと思ってました……」

 玄鳥は苦笑する。
 その笑い方は少し、伯爵を思わせた。

「それとも今日はそれを言うために会ってくれたんですかね」










《第12章 君に光が射すように -Love Songs-》【2】







「怒っているかいないかと問われればもちろん怒っていますわ」

 日向子は少し大袈裟に「怒った顔」をして見せた。

「いくらなんでも理由もはっきりおっしゃらずに行っておしまいになるなんて」

 玄鳥は困ったような顔で視線を少し逃がす。

「そうするしかなかったんです。俺は嘘が巧くないから、下手なごまかしは出来なくて……かと言って本当の気持ちを言ってしまったら意味がなくなってしまうから」

 この玄鳥の態度は、日向子の中に少し前から芽生えつつあった、疑念に確信をもたらした。

「玄鳥様はわざと事を荒だてるような方法を選びましたのね?」

 玄鳥は一瞬はっとしたように目を見開き、そしてうつむいた。

「……あなたに嫌われる覚悟ならとっくに出来てますからね……この際、あなたにだけは全てを打ち明けてもいいかもしれない」

 日向子は静かに首を縦に一度振り、促すように玄鳥をじっと見つめた。
 玄鳥もまた頷き返し、そしてゆっくり語り出した。

「俺は伯爵の夢のために利用されることを選んだわけじゃない……俺が伯爵を利用してるんです……自分の夢を叶えるために」

 玄鳥の夢……言われて思い当たることが一つ、日向子の記憶にあった。

「紅朱様と……あなたのお兄様と勝負して勝つことですか?」

 玄鳥がずっと苦しいくらいに求めながら、抑圧してきたせつなる願い。

「……はい。もうすぐ俺の《BLA-ICA》と、兄貴の《heliodor》で勝負ができる……俺の夢がとうとう叶いそうです」

 玄鳥は極力感情を抑えて話そうとしているようだったが、その瞳、その声から隠しきれない興奮が伝わってくる。

 彼はどこまでも隠し事の類は苦手だった。

「自分が伯爵と鳳蝶の血を引いた子どもだと知った時に、俺は二人を責めることが出来ませんでした。
むしろ憧れすら感じてしまったんです……その自らの欲望に対する純粋で真っ直ぐな生き方に。
そしてその血を受け継いでいるならきっと……俺にだって出来る筈だと思ったんです」

 一言発する度にとめどなく込み上げてくる情動が、テーブルの上で組まれた玄鳥の両手を微かに震えさせている。

「そしてついに実行してしまいました……日向子さんとの約束を破って、仲間の信頼を裏切って……少しも後悔していない俺はまさしくあの人たちの息子なんです」

 脱退したことを後悔していないと言い切った玄鳥には、確かに一片の迷いも見て取ることができなかった。

 翼を大きく、強く広げて、籠の中から飛び立った鳥のように堂々として、生き生きとした姿だった。

 このままその黒く大きな翼をはためかせて遠く、彼方の高い空に飛んで行ってしまうのだろうか。

 あの寂しくも美しい銀の月が漂う虚空に。

 玄鳥がより玄鳥らしく、自由に生きられるなら、それは素晴らしいことなのかもしれない。

 しかし、日向子は胸の奥が苦しくて、仕方がなかった。

 今口にしたとしても、きっと何の効力もないであろう言葉が喉元まで来てしまっていた。


 《いかないで》


 少し沈黙が発生したタイミングを見計らって、ウエイトレスが新しいティーポットを運んできた。

「お取替えさせて頂きます」

 二人が何かヘビーな話をしているらしいと察した、まだ新人のウエイトレスは一刻も早く役目を果たして退散しようといささか焦っていたようだった。

「あっ」

 ありえない致命的なミス。
 持ってきたばかりの熱い紅茶の入ったポットがカタリと斜めに傾き、湯気の立つ中身が溢れ出した。

「きゃっ」

 ウエイトレスの悲鳴。
 それに重なるように、

「っ」

 低く小さくうめく声。
 呆然としていた日向子は、ポットの蓋がテーブルに落ちて音を立てたことでやっと我に返った。

「申し訳ありません……!!」

「いえ、お気遣いなく。なんともなかったですから。あなたは大丈夫でしたか?」

「あ、はい。ありがとうございます……本当に申し訳ありません」

 平謝りするウエイトレスに笑顔を向ける玄鳥。
 どうやら玄鳥がとっさにポットを押さえたおかげで大事にならなかったようだ。
 テーブルが少し濡れただけで済んだ。
 そのテーブルを綺麗に拭いて、ウエイトレスが行ってしまうと、

「玄鳥様……本当に大丈夫だったのですか?」

 日向子は小声で尋ねた。

「ポット自体熱くなっていた筈ですわ……火傷をなさったのでは?」

「確かに少し熱かったですけど……本当に平気ですよ」

 なんでもない、と掌を翻して見せる玄鳥の笑顔に、日向子は思わず小さく吹き出してしまった。

「日向子さん?」

「……ご運がよかったからよかったものの、もう少しで大切な手に火傷をなさるところでしたのよ」

 日向子はわずかながら、そっと玄鳥の右手に触れた。

「……危険を犯してまで、名前も知らない女性を助けてしまう……そんなあなたもまた本当のあなたなのですわね」

「えっ、あの」

 日向子に触れられていることに思いきり動揺し、目をパチパチさせる玄鳥。

「ひったくりの方からわたくしの鞄を取り返して下さった時もそうでしたものね」

 かすり傷を負ったこの手に絆創膏を貼ったことを思い出す。

「あの……えっと……っ」

 玄鳥は、見る間に顔を真っ赤に染め上げて、完全に麻痺した思考回路に言葉をつむぐこともできずにあわてふためく。
 
 日向子はお構い無しに、玄鳥の手を自身の両手で包んで、ぎゅっと握る。

「わたくし……思い違いをしておりました。玄鳥様の大切な部分は何も変わっていらっしゃらないのに」

 本当に玄鳥が自らの欲望だけに忠実に生きる利己的な人間ならば、他人のために大切な手を危険に晒すことなどしないだろう。
 しかしこんな時、玄鳥はいつも考えるより先に動いてしまうのだ。

 それもまた揺るぎのない、玄鳥……浅川綾の本質なのだろう。

「……あなたは優しい人です。そのあなたが非情に徹しなければならないほどの夢ならば、叶えるべきだと今は思います」

「……日向子さん……」

「ずっと自分の夢を胸の奥に閉じ込めて、我慢してきたのですから。時にはわがままを言ってもいいのではありませんか?」

 heliodorを応援する立場の日向子にとって、玄鳥の行動を全肯定するようなその言葉は、矛盾に繋がるものかもしれなかった。
 しかし玄鳥の強い決意に触れ、一方で本質的には何も変わらない無条件な他者への優しさを見て、日向子は純粋に玄鳥の夢も応援したいと思った。

 玄鳥は困惑しきったように赤い顔のままうつむき、

「……日向子さんは俺のこと良くとらえ過ぎてますよ」

「玄鳥様はご自分のことを悪しざまに言い過ぎですわ」

 玄鳥はそっと、少し力の緩んだ日向子の手から自身の手を遠ざけた。

 椅子の背持たれに引っ掛けていたコートを手にとって、玄鳥は立ち上がる。

「理由はなんであれ、俺はheliodorを抜けて、違うバンドのメンバーになりました。
俺はもうあなたが応援してくれていた《heliodorの玄鳥》じゃない……だから俺にもう優しくしないで下さい」

「玄鳥様……」

 そのまま伝票を手に行ってしまおうとする玄鳥に、思わず日向子も立ち上がり、歩み寄った。

「……そうでなかったら」

 日向子の視界で、玄鳥が広げた黒いコートがふわりと波を描き、そのまま日向子の華奢な身体を包み込む。
 玄鳥はそのままコートの端を引き寄せるようにして、日向子を引き寄せた。

「……このまま拐います。それでもいいんですか?」

 斜め上から見下ろす瞳。その寂しげな輝きは、初恋の人と本当によく似ていた。

 同じ道を歩くことができないと知りながら、儚い約束を口にしたあの人に。

「……日向子さんには、月より太陽のほうがずっとよく似合いますよ」

 玄鳥は最後に優しく微笑んで、日向子を捕えたコートの戒めを解くと、そのコートを羽織り、ゆっくりときびすを返した……。











「おはようございます」

「よう」

 ギターを抱えた紅朱の姿はまだ見慣れない。
 紅朱のほうも完全に勘を取り戻すのは大変なのだろう。
 連日にわたり、かつて玄鳥がよくそうしたように、一人他のメンバーより早くスタジオに入って練習していた。

「毎回毎回、お前まで早く来ることねェだろ」

「ご迷惑でしたかしら」

「そうは言ってねェよ……むしろ、なんつーか……助かる」

「はい?」

 紅朱は指先でティアドロップ型のピックをいじくり回しながら、小声で呟いた。

「……プレッシャーがかかるんだよ……いい意味でな」

 日向子の視線をその身に受け止めながら、また、真剣な顔付きで練習を開始する紅朱。

 ほとばしる情熱の火の粉が目に見えそうだ……と日向子は思った。

 《BLA-ICA》との対決はもう一週間後に迫っている。
 戦いの舞台とその方法は、相手方から提示されていた。

 同日同時刻に、渋谷区内の隣接する2つのライブハウスでそれぞれ無告知でライブを敢行する。

 ライブの模様はリアルタイムで、同じく渋谷区内に隣接する街頭ビジョンで中継される。

 最終的に、より動員数が多いほうが勝者となる。

 ただし高山獅貴だけは、その圧倒的な知名度がまずあるため、勝負に影響を与えないために今回は参加せず、キーボードはサポートのメンバーに担当させるとのことだった。

 伯爵のピアノを知っている日向子にとっては意外性はなくとも、彼がキーボードを弾くなどとは世間一般に認識されていないのだから、顔さえ隠せばそうそうバレることもないだろうが。
 あえて不利とも言える条件を提示してきたのは、BLA-ICAは、自分を抜きにしてもheliodorを圧倒できるという自信があるからだろう。

 BLA-ICAには高山獅貴のネームバリューを使うことが出来ないが、heliodorもまた、先日のいきなりの脱退劇を経て初めて四人でステージに上がる今回、どれだけのファンが予告もないライブに集まってくれるか……不安は残る。

 玄鳥のいないheliodorと、伯爵のいないBLA-ICA……釣り合いは確かにとれているかもしれない。


 紅朱たちも真剣だが、BLA-ICA……特に玄鳥は本気で勝負に出るに違いない。

 ふと、紅朱に玄鳥の気持ちを伝えるべきか否か、日向子は思案した。
 紅朱のほうは多分まだ、玄鳥が自分より高山獅貴を慕って脱退したと考えているのだろう。
 他のメンバーたちも、浅川兄弟の秘密は知らないまでも、玄鳥の憧れの人が高山獅貴だったことはみんなわかっているのだから、多分同じように思っているに違いない。

 玄鳥があえて言い訳もせず、そう思わせるようにして出て行ったからだ。

 heliodorと対決することになった時、紅朱たちが情に流されて実力を発揮出来ないことがないように、わざと誤解させているのだ。

 日向子はやはり、今はまだこの誤解を解いてはいけないだろうと感じていた。

 理由を知ったら紅朱は、わざと玄鳥を勝たせようとしてしまうかもしれない。

 それでは意味がないのだ。

 仮に勝負をして、勝ったとしてもそれで玄鳥を連れ戻すことができるかどうかは結局のところわからない。
 それでも今は、本気でぶつかり合うことそのものが彼等には必要なのだろう。

 たどり着く結末がどんな形であれ、その全てを見守り、半年にわたるheliodorの取材の最後を締め括るレポートを仕上げる。

 それが音楽記者・森久保日向子の使命だった。











《つづく》
 楽屋からステージに抜ける短い通路で、日向子は不意に前を歩く背中に尋ねた。

「調子はいかがですか? 万楼様」

「うん、まずまずかな。リハで音出してみないとちょっと何とも言えないけど……やっぱりボク、今日はいつもより緊張しているかもしれない」

 その言葉の通り、ほんの少しだけこわばった表情で、美少年から美青年に脱皮しつつある若いベーシストは首をひねって振り返り、しかし精一杯強く微笑んだ。

「でも大丈夫、ボクは本番に強いほうだからね」


 訪れた決戦の日。
 ライブ本番はもうすぐそこまで迫っていた。









《第12章 君に光が射すように -Love Songs-》【3】









「確かに万楼は大舞台でもそれほど緊張しないタイプだよね~。おれなんかもうすでに心臓バクバクなんですケド~?」

 先を行く蝉が愚痴めいた呟きを漏らす。

「でもまあ、今回はさぁ、普通の対バン形式じゃないだけまだいいかも。
おれ、対バン相手のリハの音とか聞いちゃうとマジダメなワケよ!」

 緊張をまぎらわせたいのか、いつもより大声且つ早口になりつつある蝉に、万楼は小さく笑う。

「眼鏡かけとけばいいんじゃないの。雪乃さんになってれば平気かもよ」

「いや……流石にそれはちょっと。近頃、雪乃にばっかりいいとこ持ってかれてる気がするし~?
おれもちょっと頑張んないとね」

「……それ、なんか変だよ」

「いいの!」

「うふふ」

 heliodorのお祭り担当二人のやりとりに、実はメンバーに負けないくらい緊張していた日向子も思わず笑ってしまう。

 通路の端、ステージに袖まで着いた時、そのまま一度ステージに出た蝉が何故か慌てて逆走してきて、そのまま万楼にぶつかった。

「うわっ、危ないよ蝉!」

「ごめんっ……てゆーかそれどころじゃなくて……!!」

 蝉は完全に取り乱した様子で万楼の後ろに佇む日向子を凝視した。

「よ、よよよ、呼んだの? 日向子ちゃんが呼んだのっ!?」

「はい??」

 何のことやらさっぱりわからずに小首を傾げる日向子。

「ちょ、ちょっと来て。そぉっと覗いてみて」

 蝉は万楼と日向子の手を引いて、袖から向こう側を覗かせた。

 次の瞬間。

 万楼はぽかん、と口を開けたままそちらを見つめて立ち尽くし、日向子は思わず「そぉっと」ではなく大きな声を上げてしまった。

「おっ、お父様~!?」


「うぁ、ちょ、日向子ちゃん!!」

 うろたえる蝉をよそにそのままステージに進み出た日向子は、何故か開場前だというのにステージの下にすっくと立っている、およそこの場所になじまない人物……実の父親に向かって駆け寄る。

 ステージから危なっかしい動作で飛び降り、柵をくぐってすぐ側まで来た。

「お父様、何故このようなところに……?」

 高槻は、相変わらず愛想のかけらもない鋭い眼差しを日向子に向ける。

「……私は近くまで来て帰るつもりだったが。彼が、良ければ見ていかないかと言うのでな」

 高槻の視線の動きを追い掛けると、そこにはドラムセットを調整中の有砂がいた。
 有砂はまるでこちらのやりとりが目に入っていないかのように漂々と作業を続けていく。

「有砂様が……? いえ、それよりも何故お父様が、このような場所に?」

 高槻は、半分万楼の後ろに隠れるようにしてやっと姿を見せた蝉を見やった。
 いくらとうに知られている裏の顔とはいえ、ウイッグをつけて派手な服装やメイクをした姿を師の前に晒すのは相当勇気がいるようだった。

 高槻も神妙な顔付きになっていたが、

「……漸」

 威厳のある声で呼び掛ける。

「は、はぃっ」

 万楼から離れてきちっと気を付けをする蝉。
 きちっとしようとしても雪乃モードの時のようにはいかず、何とも滑稽な雰囲気をかもし出しており、日向子を除く二人は思わず気付かれないように軽く吹いた。

「小原から高山のバンドと勝負をすると聞いたが本当か?」

「あ、はい……そぉです。今日は本人は不参加ですけど、高山さんがプロデュースしたバンドと……」

「勝てそうなのか」


「えっと……」

 妙に淡々と投げ掛けられる問いに、今にも蝉の額からは冷や汗が滴り落ちてきそうだ。

 蝉はちらりと日向子を見やり、一つ息をついて呼吸を整えて答える。

「負けれません」

 高槻は一度目を細めたかと思うと、その目を少し見開くようにしてキッパリと告げた。


「ならば、釘宮の名に賭けて全力でかかれ」


「え? ……あ、はい」

 わけもわからず熱い激励を受けて、わけもわからず頷く蝉。

 日向子はふと呟く。

「……もしやお父様。伯爵様に後継者候補のお話を拒まれたことをまだ……」

「下世話な言い方をするものじゃない」

 高槻はピシャリと言い放ち、更に続けた。

「だが、一度くらいはあの男にも敗北の味を教えてやらねばなるまい」

「おお、いいこと言うじゃねェか。流石は日向子の親父さんだ」

 同意しながらロビーと繋がるドアをくぐったのは紅朱だった。

「言われなくても全力でかかるし、絶対に俺たちが勝つから心配いらねェよ」

 紅朱の物言いは大変粗暴で、礼を欠いた口調であったが、高槻は特に機嫌を悪くしたふうでもなく(素の状態でも一般の感覚では機嫌が悪そうな顔だが、実際はいたって普通の状態である)、

「頼もしいことだ」

 と短く呟いた。

 高槻は紅朱のことを気に入っているらしい……そう確信した日向子は、やはり二人の間には共鳴する部分があるのだと感じていた。

 一方、蝉は途方に暮れたような顔で立ち尽くす。

「……プレッシャーだ……」

「蝉ってば……」

 万楼はそれをクスリ、と笑い飛ばす。

「蝉としていいところ見せるんでしょう? 先生にも見てもらえばいいじゃない。
ボクは、高山獅貴がどうとかって建前で、先生はお姉さんや蝉のこと、ようやく理解して認めてくれたからここに来てくれたんだと思うよ」

 「え?」と蝉や日向子が当の高槻に視線を向けると、高槻は大きく咳払いをした。

「……練習を邪魔したようだな。これで失礼する」

「お父様」

 そのまま去ろうとする高槻に駆け寄り、日向子はそっと囁いた。

「開演時間は6時ですわ。後ろの壁際なら比較的ゆっくり見られると思いますの……だから、見に来て下さいますか?」

 高槻は日向子を見下ろし、その厳しい眼光にわずかに柔らかな色を浮かべた。

「……そのつもりだ」

「お父様……!!」

 感極まって、人目も気にせず、少女のようにはしゃぎながら、日向子は高槻の腕に抱きついた。

「っ、日向子!……やめないか」

「うふふふ」

 外野もつられて微笑んでしまうような、幸せな光景だった。

 万楼はにこにこしながら、有砂のドラムに歩み寄る。

「……憎い演出ですなー、ダンナ」

「何キャラや、ジブンは」

 呆れた口調でボソリとツッコミを入れる有砂だったが、高槻を見送る日向子を後ろから見守る眼差しには、やはり満足したような穏やかさが見てとれた。

 万楼は少し身を乗り出すようにして、そんな有砂の耳元近くに囁いた。

「ねえ、有砂……結構、本気だよね?」

 有砂は視線を前方に向けたままで、薄く笑った。

「……遊びならもっとええオンナ選ぶわ」

「なるほどね」


 リズム隊がそんな会話を交していることも露知らず、日向子は緊張などどこへやらの上機嫌でメンバーを振り返った。

「さて、皆様はリハーサルですわね。わたくしは少し外しますわ。
……どうぞ頑張ってくださいませ!」

 

















 後ろから微かに響いてくるリハーサルの音漏れを聞きながらライブ会場を出た日向子は、すぐ近くから響いてくるもう1つの演奏に気付き、立ち止まった。


 それは隣接する会場から漏れてくるBLA-ICAの音に他なかった。

「玄鳥様……」

 最後に見つめたあの寂しげな瞳が思い出されて、息苦しくなる。

 heliodorの4人は、プレッシャーなど吹き飛ばし、最大限のプレイをするだろう……日向子はそう確信していた。
 勝負の結末がどうなるにしろ、出せる限りの力を出しきるに違いない。

 それは玄鳥も……そして玄鳥の仲間たちも同じだろう。

 両者を決戦へと導いたのは他でもない、日向子だった。

 そうするしかないと思った……だがやはり、複雑な感情を抱かずにはいられない。

 heliodorには勝ってほしい……だが、heliodorが勝つということは玄鳥が負けることだ。

 そんな当たり前のことが今更せつなくなってくる。

「日向子」

 ふと呼び掛けられて我に返る。
 いつからそこにいたのか、美々がすぐ側に立っていた。

「……大丈夫?」

「わたくしは……なんだか情緒不安定になってしまっているようですわ。
さっきまで元気いっぱいだったのに、不意にまた苦しくなってきて……」

 素直に心情を打ち明ける日向子に、美々は包み込むように優しく微笑した。

「最後に選ぶのは、彼らだよ。
……彼らが出す答えを信じてみるしかない。
どうしても納得がいかなければ、納得するまで問いつめたっていい。
別に、今日で何もかもが終わってしまうわけじゃないんだよ」

「美々お姉さま……」

 美々はぽんと日向子の肩を叩いて、耳元で囁いた。

「どうしても怖いなら、好きな人の顔でも思い浮かべてたら??」

「えっ……あ」

 日向子の微妙な表情を読み取った美々は意地悪く目を半眼する。

「ちょっと~、今誰の顔が浮かんだわけ? 教えないとくすぐっちゃうわよっ」

「お、お姉さまっ、きゃ」

 後ろから抱きつくようにして脇腹をくすぐろうとする美々から逃れようとバタバタしながら、日向子はたった今脳裏をよぎった面影を再度心に映し出した。

 好きな人、と言われて自然に思い浮かんだ人。

 その人のことを思うことで、その人との思い出を辿ることで、本来の自分を取り戻していけるような気がした……。

「こら~、日向子っ、薄情しろ~」

「もう、お姉様ったら……ふふふ」

 その時、不意にポケットの中で日向子の携帯が振動し、着信を告げた。

 流石に美々も拘束を解き、日向子は携帯を取り出したが、サブウインドウに表示された名前に表情をまた一変する。

「伯爵様……?」














「よくいらっしゃいました」

 伯爵はふっと、特徴的な微笑を刻む。

「他の方々は反対したのではなかったかな?」

「最初は少し……けれどわかって頂けましたから」

 ライブ本番を前にしての不意打ちの着信。
 高山獅貴が日向子を呼び出したのは、とあるビルの一室だった。

「ここが本日のライブの特等席……というわけですのね」

 学校の教室ほどの広さの一室には、3、4人がゆったり座れそうな革ばりの上等な椅子と、アルコールの類や何品かの料理が並んだテーブル、大きな液晶のモニターが2つ壁の1面に広がっており、部屋中に設置された音響装置があった。

 ちょっとしたホームシアターのようだ。

 高山獅貴は椅子の中央に日向子をエスコートし、自らもその傍らに座った。

「間違いなく特等席ですよ……BLA-ICAとheliodor、両方のステージを同時に見られるのはこの部屋だけなのだから」

 日向子は黙って首を縦にした。
 ライブ本番を自分が用意した部屋で一緒に見ないか、と誘われた日向子は迷いながらもその誘いを受け入れた。
 もちろんheliodorのメンバーにも説明して理解を得た。

 やはりどうしても見ておきたかったのだ。

 heliodorだけではなく、玄鳥のステージも。
 そうでなくては彼等の決戦を見届けることにはならないような気がした。

 

「……私には全てを見届ける義務があり、あなたには全てを見届ける権利があります……」

 高山獅貴の感慨深げな囁きに、日向子は再度首を上下した。

「……見届けます。ここで、全て」












《つづく》
 二人は見つめていた。

 右側のモニターに映っているのは「heliodor」。

 日向子がこれから一生、見守っていくと決めたバンドだ。

 左側に映っているのは「BLA-ICA」。

 高山獅貴がその全てを賭して作り上げたバンドだ。

 太陽の国と月影の国。

 深紅のともしびと、漆黒のはばたき。

 2つの世界を、2人は眺め、感じていた。










《第12章 君に光が射すように -Love Songs-》【4】









「……いかがです? 私のBLA-ICAは」

「……凄いと、思います」

 日向子は左のモニターと左側の音に注意を向ける。

 BLA-ICAは確かに凄い。

 玄鳥と粋という、かつてheliodorを支えた名プレイヤーの力量は言うまでもなく、ドラムのうづみもheliodorのコピーをしていた頃より遥かに腕を上げている。
 そしてボーカリストの望音の透明感のあるボーカルは、彼女の持つ独特の雰囲気と合わさって、不思議な世界を織りなしていく。

 聞く者を魅了する、まるで悪魔に魔法をかけられたような、そんな歌だ。


「……けれどheliodorも負けてはいませんわ」


 右側のモニター。
 heliodorのステージはなにもかもBLA-ICAとは対照的だ。
 BLA-ICAが妖しく人々を誘う誘蛾灯なら、heliodorは力づくで引き寄せる磁石のようだ。

 ほとばしる熱と、力強い旋律……単純に言えばほとんど女性のみで構成されたBLA-ICAより、男性バンドのheliodorのほうがダイナミックに感じられる……ということかもしれない。

 だがそれが強力な磁力を発揮するまでに至るのは、heliodorの四人が本物の実力を持っている証だろう。

 高山獅貴は、ロゼのスパークリングワインを傾けながら、呟いた。

「もちろん……わかっています。heliodorは素晴らしい」

 別段皮肉で言っているわけでもなく、本心からの言葉のようだった。

「私がこんなことを言うのは意外かな」

「……ええ、少しだけ」

 日向子が素直に答えると、伯爵は小さく笑った。

「《玄鳥》というギタリストをここまで育てたのは間違いなく《heliodor》ですよ……私は、《浅川綾》に人並以上の特別な才能があったとは思っていない」

「……え?」

 いよいよ耳を疑う言葉をつきつけられ、日向子は高山獅貴を凝視した。

「ですが……玄鳥様は伯爵様と鳳蝶様の……」

「父親が名ピアニストなら娘も名ピアニストになれるとは限らない……だろう?」

「それは……」

「才能のある者同士を掛け合わせたら、更なる才能が生まれる……そんなくだらない夢物語をいい大人が本当に信じるわけがない。
……死を前にした人間は別だったがね」

 日向子はすっかり唖然とし、言葉を失っていた。
 玄鳥は、不治の病に犯された天才ギタリストの才能を引き継がせるために作った子ども……紅朱はそう信じていたし、伯爵自身も肯定していた筈だった。

「……俺は信じてなどいなかったんだよ、レディ。
気休めでもいい。夢を見せたいと思っただけだ。無念を抱いて死ぬのではなく、最期の瞬間まで希望を持って強く生きてくれればそれでよかった」

 日向子の目には、冷え冷えとした氷の眼差しが微かに揺らいで見えた。

「鳳蝶だって本気で信じていたわけでもないのかもしれない……ただ何も残さず消えていくのが口惜しかったんだろう」

「……それが、玄鳥様の出生の……真の理由ですか?」

「エゴであることに変わりはないだろうがね」

 確かにそれは普通ではないし、勝手な都合には変わりないかもしれない。
 しかし遥かに人間らしい、情のある理由に思われる。

 恋愛という意味合いではないにしろ、高山獅貴という男がいかに自らのパートナーを愛し、大切にしていたかを伺わせた。

「……なぜ今までそのことを隠しておられたのですか?
10年前、もしも玄鳥様を引き取りたいと考えていらっしゃったのなら、本当の理由を話したほうが浅川のご家族を説得しやすかった筈……」

 それは以前から引っ掛かっていたことだった。
 本気で玄鳥を引き取るつもりがあったのなら、それらしい理由を並べて説得するべきなのに、伯爵はそうしなかったのだ。

 まるでわざと紅朱の神経を逆撫でるような言動で挑発した。

「まさか……」

 最後に玄鳥とした会話が日向子の脳裏に蘇る。


「わざと……そうしたのですか? あなたも……?」

 玄鳥がわざと事を荒だてるやり方を選んでバンドを抜けたように。

 高山獅貴は小さく笑った。

「……先程も言った通りです。《heliodor》こそが《浅川綾》……《玄鳥》をここまでのプレイヤーに成長させた」


 玄鳥はいつも紅朱の背中を追い掛けてきた。
 いつまで経っても追い付くことができず、越えることができない……一番近くにいる、最大のライバル。

 紅朱と一緒にいたからこそ、玄鳥は成長したのだ。

「……そして、紅朱様は伯爵様への強い対抗心を秘めて成長した……あなたに負けないために、強くあるためにと……」

「その結果、《heliodor》という素晴らしい力を持ったバンドが生まれた。
《BLA-ICA》がより高く飛翔するために、これほど相応しいライバルはいない」

 「ライバル」……その言葉を口にした刹那、高山獅貴の瞳に確かな熱を見た。

「鳳蝶は何よりもそれを求めていたが、俺では力及ばなかった……それは早すぎた死、以上の不幸だった……」

 面影を重ね合わせるように薄く細められた眼差しは、真っ直ぐに玄鳥を見つめていた。

「生まれてすぐに生涯のライバルと出逢った彼は、とても幸運だ」


 日向子もまた、視線を追うように2つのモニターを見つめた。

 曖昧になっていく。
 どこまでが策謀で、どこまでが偶然なのか。

 彼らを繋ぐ糸は様々な思惑、様々な願いに結びつき、誰も予想しなかったような運命を描き出していた。

 しかしこれは、彼らの望みが結実した、ひとつの結果なのかもしれない。

 遅かれ早かれ、避けることのできなかったイニシエーション。

 ふと、タイミングを合わせたように2つのバンドの音がほぼ同時に止んだ。


 ライブの演奏時間は公平に全く同じに決められている。
 あと一曲。残り時間からすればそれが限界だろう。

 そうこれは、どちらのバンドにとっても最後のMC。
 今まで演奏に時間を割くためにほとんどMCらしいMCはなかったが、ここでもあまり長くは話せないだろう。

 右のモニターの中。
 マイクスタンドに片手を乗せて、まるで瞑想するように、しばし目を閉じていた紅朱が、その目を開き、やがてゆっくり口を開いた。


『……弾きながら唄うってのは疲れるな』

 感触を試すようにギターのネックを握る。

『けど、やってよかった……俺にはやっぱり、このバンドは捨てられないってことがよくわかったからな。

 それに……どうしても唄いたかった唄があるからさ。

できれば5人で演奏したかったが……でも、この曲を作ったのは玄鳥だからな。
たとえここにはいなくても、俺たちの生み出すメロディの中には、いつだってあいつがいる』



 左側のモニターの中。


『……望音ちゃん、一言だけいいかな』

『……どうぞ』

 淡々と最後の曲を紹介しようとした望音を遮って、上手に立つ玄鳥がマイクを通して話し始めた。

『……俺は、《heliodor》というバンドを捨てて、たくさんの人を裏切りました……一番悲しませたくなかった人にも悲しい想いをさせてしまった。

選んだ道に悔いはないけど、ただひとつの心残りは……あの曲を……最後に作った曲を聴かせることができなかったことでした。

だから……メンバーのみんなに手伝ってもらって、最後にその心残りを、晴らしたいと思う』


 紅朱が告げる。

『最後の曲……聞いてほしい』


 玄鳥が言葉を紡ぐ。

『今夜だけ……この曲を弾かせてほしい』


 2人の声が同時にその曲の名を言う。



『《LOVE SONG》』



 同じ、曲!? ……日向子は思わず息を呑んだ。

 ほとんど同時に始まったイントロに、覚えのあるフレーズを見つけた。

 これはいつか2人が作っていた曲……幻になったheliodorのデビュー曲だ。

 封印されそうになっていたその曲を今、演奏しているのだ。

 《heliodor》と《BLA-ICA》が……。







《出会った頃のこと
 まだ覚えているなら
 なるべく早く
 忘れてほしい

 僕はとても弱くて
 その癖に取り繕って
 あまりにも必死で

 恥ずかしいから
 君は忘れていい
 かわりに僕が
 あますことなく
 胸に

 君がくれた雪解けの後
 春はすぐそこまで来ていて
 3つ目の季節
 生まれ変わった僕から
 優しい愛の唄を

 君に光が射すように
 明日は隣に
 いられなくても
 とめどなく 届け》













 《heliodor》と《BLA-ICA》。

 2つのバンドの決戦は、優しく伸びやかなラブバラードで静かに幕を下ろした。


 それぞれに最高のパフォーマンスを見せた2つのバンド、そしてそれを見届けた証人たちは、決戦の舞台となった2つのライブハウスの前に集まっていた。

 すでに一般の客は去り、スタッフも去り、完全に人払いされたそこは静寂に包まれている。

 客数の集計はすでに完了し、その結果はもう高山獅貴、そして日向子には知らされている。

「……そろそろ発表したらどうだ?」

 紅朱は、高山獅貴を軽く睨み付ける。

 相変わらず敵意に満ちた眼差しではあったが、満足のいくライブの後のためかどことなくすっきりしたような雰囲気がある。

 それは他のメンバーも同様で、《heliodor》《BLA-ICA》いずれも、わずかな高揚感を残しつつも、全てやりきったというような落ち着いた顔が並んでいる。

「では……発表は、彼女から」

 高山獅貴は静かに微笑し、促すように日向子に目で合図をした。

 全員に視線が注がれ、同じように全員の顔を眺めながら、日向子は、

「はい……発表します」

 震えそうになる声。
 労るように、傍らに立つ美々が、日向子の背にそっと手を当てる。

「……頑張って」

 親友からの励ましに頷き、日向子は大きく深呼吸した。

 そして……戦いの結果を告げる。


「僅差ですが……勝者は、《BLA-ICA》です」


 はっと息を飲む声が同時にいくつか聞こえた。

「……負け、たの?」

 万楼が呆然と呟く。

「……そんな……!」

 狼狽する蝉の横で、有砂は無言のまま舌打ちをする。

 紅朱もまた、無言で足元に視線を落としている。その表情は伺い知れない。


 一方の《BLA-ICA》も、その反応はさまざまだった。

 全く顔色を変えない望音。
 どこか複雑な表情で蝉を見つめるうづみ。

 粋は、優しく見守るような目でもう一人のメンバーを見ていた。

 もう一人のメンバー、玄鳥は呆けたような顔で立ち尽くしている。

 いつものようにシュバルツを肩に乗せ、撫でながら、望音が淡々と言葉を発する。

「……勝ったんですって。喜んだら? リーダー」

「……勝った? 兄貴に……俺、が??」

 どうやらまだ完全に状況を把握できていないらしい。

 勝者とは思えない戸惑った顔を見せる玄鳥に、望音が更に何かを言おうとした刹那、

「そうだ……俺の、負けだ」

 先に口を開いたのは、顔を上げた紅朱だった。

「兄貴……」

 別々の道を選んで離れた兄弟が、久々に目と目を合わせ、言葉を交わした瞬間だった。












《つづく》
「負けは、潔く認める」

 紅朱はキッパリとした口調で告げた。

「……その上で、あえて頼む。

帰って来てくれないか?……綾」


「兄貴……」

「4人じゃ無理だとしても、5人揃ったheliodorなら、誰にも負けやしねェ……お前は、そうは思わないか?」

 驚く玄鳥。否、玄鳥に限ったことではない。
 紅朱の言葉はその場にいたほとんどの人間に波紋を投げかけた。

 誰の前でも頑なに強さを誇示してきた紅朱が、切実な声音で「懇願」したのだ。

「お前が必要なんだ……お前のギターで、俺は唄いたい」








《第12章 君に光が射すように -Love Songs-》【5】








「……そうだ、うん、そうだよ」

 万楼が口を開いた。

「玄鳥がheliodorいてくれたら、BLA-ICAにも絶対負けなかったよ!」

 玄鳥は今BLA-ICAのメンバーなのだから、その言い分は破綻している。
 玄鳥が2人いない限りはそんな勝負は成立しないのだから。
 しかし、

「当たり前だよ、5人揃ったらおれたち最強だし!」

 蝉は素直にそれに乗っかった。

「……そうやな。出戻りは他にも一匹おるから、今更責める気もせんしな」

「一匹って……よっちん、さりげなくひどい……」

 有砂すらも肯定した。

「……」

 玄鳥はすぐには言葉を返すことができないまま、戸惑ったような顔をしていた。

「……玄鳥様」

「玄鳥さん!」

 たまりかねて日向子と美々も口を開く。

 玄鳥はその瞳にheliodorのメンバーたちと日向子を順番に映した。

「……帰って来い、って……だって俺は……」

 最悪の形で仲間を裏切った自分が、こんなふうに求められるとは予想していなかったようだった。

 紅朱と勝負すること、紅朱に勝つこと……その大願を果たした今なら、玄鳥は帰って来てくれるかもしれない……日向子は少なからず期待していた。

 だが、それを望まない者もいる。

「……許すと思う?」

 ピシャリ、と望音が言い放つ。

「《BLA-ICA》を選びなさい、浅川綾。あなたの仲間には私たちのほうが相応しい筈よ」

 冷たい命令口調ではあったが、彼女は彼女で是が非でも玄鳥を引き留めたいのだろう。
 いつになく感情を露にしているように見えた。

「私も……玄鳥さんにはもっと色々教えてほしいです……」

 うづみも蝉の手前遠慮がちながら主張する。

「確かに……BLA-ICAとしても得難い人材であることは確かだな」

 粋はどことなく冗談めかした物言いをしつつ、玄鳥を優しげな眼差しで見守っていた。

 もう一度一緒にやりたいと真摯に求めるかつての所属バンドと、ずっと一緒にやりたいと切に願う今のバンド。

 板挟みのような格好になった玄鳥は、相変わらず戸惑った表情のまま、視線を高山獅貴に向けた。

 高山獅貴はフッと彼特有の薄い笑みを浮かべる。

「……子どもではないのだから、自分で考えて、好きなように決めればいい。自らの望みのままに」

「望みのまま……」

 玄鳥は真剣な顔つきで少し俯き、しばし考え込むような顔つきになった。

 みんな彼の決断を待ち、固唾を飲んで見守る。

 日向子も胸の前で手を組み、祈るように玄鳥を見つめていた。

 恐らくは大した時間は経過していないのだが、体感時間は何倍にも思われた。

 そしてやがて、ゆっくりと、玄鳥は口を開いた。


「……許されるなら、俺は……heliodorでもう一度、やりたい」

 思わず、heliodorの面々の顔に喜色が表れた刹那、

「でも今の俺にはBLA-ICAも大事な仲間なんだ……」
「どっちだよ!」
「どっちなのよ」

 苛立ったように紅朱と望音が同時に吐き捨てた。
 まるで本妻と愛人の間でせき立てられる優柔不断な亭主のような構図だった。

 玄鳥は思わず苦笑いしながら、答えた。


「どっちも……じゃ、ダメかな?」


 どっちも? ……あまりにも意外な答えに、一同あっけにとられてしまう。

 玄鳥の性格上、冗談ではありえないこともみんなわかっているだけに。

「heliodorのメンバーとして活動しながら、BLA-ICAにサポートメンバーで入るのはどうかな……と思ったんだけど……」

「綾……お前……」

 紅朱は頭痛を堪えるような顔をしている。

「……図々しい」

 望音の目がすわっている。

「……あのー、皆様はご不満なのでしょうか? わたくしはとても名案だと思ったのですけど」

 空気を読んでいるのかいないのか、日向子はのほほんとした口調で言う。

「大変なこととは思いますが、玄鳥様ほどのお方ならきっと、ご立派に両立されますわ」

「そうですよ」

 涼しい顔で美々が同調する。

「やってみて無理なら、その時にもう一回考えればいいんじゃないですか?」

 少なくともheliodorの面々にとっては蔑ろに出来ない2人の意見を受けて、玄鳥はいくらか自信を増した顔で、もう一度言った。

「わがままばかりですいません……でもどうか、それでやらせて下さい」

 望音は呆れた顔で嘆息した。

「……言い出すと引かない男。一体誰に似たの」

「……それはまあ」

 玄鳥はこの上なく晴れ晴れとした笑みを浮かべた。

「多分、兄貴かな」

「えっ」

 声を上げたのは紅朱だった。
 望音は紅朱を軽く睨んで、ぽつりと呟いた。

「それはまた……嫌な、兄弟ね」

 望音が皮肉っぽく返し、それから随分経ってから紅朱は、

「ば、馬鹿野郎、変な時にだけ人を引き合いに出してんじゃねェよっ、ったく……」

 頑張って毒づいたのたが、顔にはしっかり「嬉しい」と書かれているので、周りには本音がバレバレだった。

 今の今まで、殺伐としたものが漂っていた場が、一気に和やかになってしまうくらいに。

 しかし望音だけは例外だった。

「勝手に一件落着にしないで。
何故BLA-ICAのほうがサポート扱いなの?
デビューが決まっているバンドのほうを優先するべきだわ。
……黙っていないで、伯爵も……伯爵?」

 呼び掛けに応じる者はその場にいなかった。

 いつの間にやら、伯爵の姿は忽然と消え失せている。

 浅川兄弟と望音のやりとりに気をとられているうちに立ち去ってしまったのだろうか。

 だが、それほど遠くへ行ったとも考えにくい。

「わたくし……伯爵様を追いかけて来なくては」

「え……?」

 日向子の思いがけない言葉に、傍らにいた美々は目を丸くした。

「お渡ししなければいけないものがありますの」

「それなら、別に今夜でなくても」

「いいえ……今夜、お渡ししたいのです……!」

「日向子!?」

 驚く美々や他の面々をその場に置き去りにしたまま、日向子は走り出した。

 彼を追いかけるために。










「伯爵様……!」

 冬の夜空の下。
 求めていた長身の後ろ姿を見つけた日向子は、必死に呼び止めた。

「お待ち下さいませ!」

 ゆっくり振り返った高山獅貴は、白い息を吐きながら懸命に駆け寄る日向子に、苦笑して見せた。

「……どうしたのですか? レディ。今生の別れでもないというのに」

「……そうでしょうか……わたくしは、今夜別れたらまた、お会い出来なくなるような気がして仕方がありませんの……」

 それは、予感だった。
 筋道立った理由などどこにも存在しない。

「……だから、これを」

 日向子は寒さでかじかんだ手を不器用に動かして、それ、を外そうとした……だがうまくいかなかった。

 そっと差し伸べられた長い指先が、日向子の指にもわずかな感触を残しながら、かわりに、それ、を外していく。


 細い手首を飾っていた、月を描く銀色の飾り。


「……返しに来たのですね?」

「……はい」

 それは、淡く、幼く、美しかった初恋の終わり。

 夢見がちなか弱い少女を、守ってきたアミュレットは……今夜、その役割を終えるのだろう。

「わたくしが今一番大切にしたいものは、遠い思い出でも、儚い憧れでもないもの……もっと確かな存在だということが……わかった気がするのです。

だから……」

 卒業、しなくては。

 高山獅貴は微笑を刻んだまま、その大きな掌の中にブレスレットを包み込み、コートのポケットへそのまま閉まった。
 視線は真っ直ぐ日向子を見つめたまま。


「……さようなら」















 日本の音楽シーンに様々な伝説を刻んだカリスマ・高山獅貴。

 彼があまりにも突然過ぎる引退表明をしたのは、それから僅か3日後のことだった。

 派手な記者会見を行うこともなく、コメントはマスコミ各社に当てた空白の多いファックスのみ。
 そこにはただ引退という事実だけがあり、その理由も、今後についても、何一つ記されてはいなかったのだった。


 それから1ヶ月を経て、大手のメディアが取り上げなくなってからも、インターネット上では様々な憶測や噂、賛否両方の主張が飛び交い、話題が尽きることはなかった。


 やがてはそれも静かになり、彼の存在そのものが、虚実織り混ぜた伝説として人々の記憶に残っていくのだろうか……。


 ……などと、綺麗にまとめられては困ってしまう者たちも中にはいるのだが。










「……では、やはりデビューは延期なのですね」

「……そうね」

 子猫を抱いたゴスロリ娘は、いつも以上にムスッとした顔つきで投げやりに答える。

「大いに腹立たしいけど、ほんの少し、延期だわ」

「そうですね。《BLA-ICA》ならすぐにまたチャンスを掴むことができますものね」

「当然よ」

 記者として、《BLA-ICA》のボーカリスト・望音の単独インタビューを決行することになった日向子ではあったが、もちろんデビュー延期にまつわる大体の顛末は聞き知っていた。

 高山獅貴プロデュースで、高山獅貴のプロダクションから、高山獅貴自身も参加するバンドとして鳴り物入りでデビューする筈だった《BLA-ICA》は、高山獅貴引退を受けて、すっかり後ろ楯を失ってしまった格好だった。

 今後の活動についても一切何のフォローもなく、メンバーの誰ひとりとして高山獅貴と連絡を取ることもできない。

 もちろん《BLA-ICA》には自力でもすぐにデビューへ漕ぎ着ける自信も、それを裏付ける実力もある。

 望音が不機嫌なのはむしろ、「デビューが決まっているほうを優先すべき」という玄鳥奪回の大義名分が失われたことにあるのかもしれない。

「……伯爵はどこかで高見の見物を決め込んでいるのよ。《BLA-ICA》と《heliodor》を同じラインに立たせることで、私たちが戦うところを死ぬまでずっとニヤニヤしながら眺めているつもりなのね」

「そう、ですわね……」

 雲間から気まぐれに姿を現し、やがてまた隠れる……絶えず巡り、満ちては欠ける孤高の月は、たとえ見えずともずっとそこにいる。
 優雅に微笑みながら見下ろしているのだ……。

 望音は、呟く。

「……私は、自分なら《向こう側》に行けると信じていたの」

 日向子はほんの少し微笑する。

「慕っていらっしゃったのですね……伯爵様のことを」

「……どうかしら。よくわからないわ」

「……わたくしは……《向こう側》にずっと憧れていましたわ」

「……そう」

 望音は彼女にしては珍しい、年相応の少女らしい笑みを浮かべる。

「……趣味が悪いわ」

「ふふふ」












 取材を終えて社に戻り、編集長への簡単な報告を済ませた日向子は、デスクに戻るなりすぐさま美々に捕まった。

「日向子ー、友達が増えても、この大親友を忘れないでよねー」

「まあ、お姉さまったら……」

「言っとくけど、結構本気よ? ただでさえ最近……」

 遮るように、携帯の振動音が鳴った。
 デスクの上に今置いたばかりの日向子の携帯が着信を告げている。

 サブディスプレイに浮かび上がった名前を見て、美々はクスッ、と笑った。


「……早く出たほうが、いいんじゃないの??」












《終章へつづく》
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