「負けは、潔く認める」
紅朱はキッパリとした口調で告げた。
「……その上で、あえて頼む。
帰って来てくれないか?……綾」
「兄貴……」
「4人じゃ無理だとしても、5人揃ったheliodorなら、誰にも負けやしねェ……お前は、そうは思わないか?」
驚く玄鳥。否、玄鳥に限ったことではない。
紅朱の言葉はその場にいたほとんどの人間に波紋を投げかけた。
誰の前でも頑なに強さを誇示してきた紅朱が、切実な声音で「懇願」したのだ。
「お前が必要なんだ……お前のギターで、俺は唄いたい」
《第12章 君に光が射すように -Love Songs-》【5】
「……そうだ、うん、そうだよ」
万楼が口を開いた。
「玄鳥がheliodorいてくれたら、BLA-ICAにも絶対負けなかったよ!」
玄鳥は今BLA-ICAのメンバーなのだから、その言い分は破綻している。
玄鳥が2人いない限りはそんな勝負は成立しないのだから。
しかし、
「当たり前だよ、5人揃ったらおれたち最強だし!」
蝉は素直にそれに乗っかった。
「……そうやな。出戻りは他にも一匹おるから、今更責める気もせんしな」
「一匹って……よっちん、さりげなくひどい……」
有砂すらも肯定した。
「……」
玄鳥はすぐには言葉を返すことができないまま、戸惑ったような顔をしていた。
「……玄鳥様」
「玄鳥さん!」
たまりかねて日向子と美々も口を開く。
玄鳥はその瞳にheliodorのメンバーたちと日向子を順番に映した。
「……帰って来い、って……だって俺は……」
最悪の形で仲間を裏切った自分が、こんなふうに求められるとは予想していなかったようだった。
紅朱と勝負すること、紅朱に勝つこと……その大願を果たした今なら、玄鳥は帰って来てくれるかもしれない……日向子は少なからず期待していた。
だが、それを望まない者もいる。
「……許すと思う?」
ピシャリ、と望音が言い放つ。
「《BLA-ICA》を選びなさい、浅川綾。あなたの仲間には私たちのほうが相応しい筈よ」
冷たい命令口調ではあったが、彼女は彼女で是が非でも玄鳥を引き留めたいのだろう。
いつになく感情を露にしているように見えた。
「私も……玄鳥さんにはもっと色々教えてほしいです……」
うづみも蝉の手前遠慮がちながら主張する。
「確かに……BLA-ICAとしても得難い人材であることは確かだな」
粋はどことなく冗談めかした物言いをしつつ、玄鳥を優しげな眼差しで見守っていた。
もう一度一緒にやりたいと真摯に求めるかつての所属バンドと、ずっと一緒にやりたいと切に願う今のバンド。
板挟みのような格好になった玄鳥は、相変わらず戸惑った表情のまま、視線を高山獅貴に向けた。
高山獅貴はフッと彼特有の薄い笑みを浮かべる。
「……子どもではないのだから、自分で考えて、好きなように決めればいい。自らの望みのままに」
「望みのまま……」
玄鳥は真剣な顔つきで少し俯き、しばし考え込むような顔つきになった。
みんな彼の決断を待ち、固唾を飲んで見守る。
日向子も胸の前で手を組み、祈るように玄鳥を見つめていた。
恐らくは大した時間は経過していないのだが、体感時間は何倍にも思われた。
そしてやがて、ゆっくりと、玄鳥は口を開いた。
「……許されるなら、俺は……heliodorでもう一度、やりたい」
思わず、heliodorの面々の顔に喜色が表れた刹那、
「でも今の俺にはBLA-ICAも大事な仲間なんだ……」
「どっちだよ!」
「どっちなのよ」
苛立ったように紅朱と望音が同時に吐き捨てた。
まるで本妻と愛人の間でせき立てられる優柔不断な亭主のような構図だった。
玄鳥は思わず苦笑いしながら、答えた。
「どっちも……じゃ、ダメかな?」
どっちも? ……あまりにも意外な答えに、一同あっけにとられてしまう。
玄鳥の性格上、冗談ではありえないこともみんなわかっているだけに。
「heliodorのメンバーとして活動しながら、BLA-ICAにサポートメンバーで入るのはどうかな……と思ったんだけど……」
「綾……お前……」
紅朱は頭痛を堪えるような顔をしている。
「……図々しい」
望音の目がすわっている。
「……あのー、皆様はご不満なのでしょうか? わたくしはとても名案だと思ったのですけど」
空気を読んでいるのかいないのか、日向子はのほほんとした口調で言う。
「大変なこととは思いますが、玄鳥様ほどのお方ならきっと、ご立派に両立されますわ」
「そうですよ」
涼しい顔で美々が同調する。
「やってみて無理なら、その時にもう一回考えればいいんじゃないですか?」
少なくともheliodorの面々にとっては蔑ろに出来ない2人の意見を受けて、玄鳥はいくらか自信を増した顔で、もう一度言った。
「わがままばかりですいません……でもどうか、それでやらせて下さい」
望音は呆れた顔で嘆息した。
「……言い出すと引かない男。一体誰に似たの」
「……それはまあ」
玄鳥はこの上なく晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「多分、兄貴かな」
「えっ」
声を上げたのは紅朱だった。
望音は紅朱を軽く睨んで、ぽつりと呟いた。
「それはまた……嫌な、兄弟ね」
望音が皮肉っぽく返し、それから随分経ってから紅朱は、
「ば、馬鹿野郎、変な時にだけ人を引き合いに出してんじゃねェよっ、ったく……」
頑張って毒づいたのたが、顔にはしっかり「嬉しい」と書かれているので、周りには本音がバレバレだった。
今の今まで、殺伐としたものが漂っていた場が、一気に和やかになってしまうくらいに。
しかし望音だけは例外だった。
「勝手に一件落着にしないで。
何故BLA-ICAのほうがサポート扱いなの?
デビューが決まっているバンドのほうを優先するべきだわ。
……黙っていないで、伯爵も……伯爵?」
呼び掛けに応じる者はその場にいなかった。
いつの間にやら、伯爵の姿は忽然と消え失せている。
浅川兄弟と望音のやりとりに気をとられているうちに立ち去ってしまったのだろうか。
だが、それほど遠くへ行ったとも考えにくい。
「わたくし……伯爵様を追いかけて来なくては」
「え……?」
日向子の思いがけない言葉に、傍らにいた美々は目を丸くした。
「お渡ししなければいけないものがありますの」
「それなら、別に今夜でなくても」
「いいえ……今夜、お渡ししたいのです……!」
「日向子!?」
驚く美々や他の面々をその場に置き去りにしたまま、日向子は走り出した。
彼を追いかけるために。
「伯爵様……!」
冬の夜空の下。
求めていた長身の後ろ姿を見つけた日向子は、必死に呼び止めた。
「お待ち下さいませ!」
ゆっくり振り返った高山獅貴は、白い息を吐きながら懸命に駆け寄る日向子に、苦笑して見せた。
「……どうしたのですか? レディ。今生の別れでもないというのに」
「……そうでしょうか……わたくしは、今夜別れたらまた、お会い出来なくなるような気がして仕方がありませんの……」
それは、予感だった。
筋道立った理由などどこにも存在しない。
「……だから、これを」
日向子は寒さでかじかんだ手を不器用に動かして、それ、を外そうとした……だがうまくいかなかった。
そっと差し伸べられた長い指先が、日向子の指にもわずかな感触を残しながら、かわりに、それ、を外していく。
細い手首を飾っていた、月を描く銀色の飾り。
「……返しに来たのですね?」
「……はい」
それは、淡く、幼く、美しかった初恋の終わり。
夢見がちなか弱い少女を、守ってきたアミュレットは……今夜、その役割を終えるのだろう。
「わたくしが今一番大切にしたいものは、遠い思い出でも、儚い憧れでもないもの……もっと確かな存在だということが……わかった気がするのです。
だから……」
卒業、しなくては。
高山獅貴は微笑を刻んだまま、その大きな掌の中にブレスレットを包み込み、コートのポケットへそのまま閉まった。
視線は真っ直ぐ日向子を見つめたまま。
「……さようなら」
日本の音楽シーンに様々な伝説を刻んだカリスマ・高山獅貴。
彼があまりにも突然過ぎる引退表明をしたのは、それから僅か3日後のことだった。
派手な記者会見を行うこともなく、コメントはマスコミ各社に当てた空白の多いファックスのみ。
そこにはただ引退という事実だけがあり、その理由も、今後についても、何一つ記されてはいなかったのだった。
それから1ヶ月を経て、大手のメディアが取り上げなくなってからも、インターネット上では様々な憶測や噂、賛否両方の主張が飛び交い、話題が尽きることはなかった。
やがてはそれも静かになり、彼の存在そのものが、虚実織り混ぜた伝説として人々の記憶に残っていくのだろうか……。
……などと、綺麗にまとめられては困ってしまう者たちも中にはいるのだが。
「……では、やはりデビューは延期なのですね」
「……そうね」
子猫を抱いたゴスロリ娘は、いつも以上にムスッとした顔つきで投げやりに答える。
「大いに腹立たしいけど、ほんの少し、延期だわ」
「そうですね。《BLA-ICA》ならすぐにまたチャンスを掴むことができますものね」
「当然よ」
記者として、《BLA-ICA》のボーカリスト・望音の単独インタビューを決行することになった日向子ではあったが、もちろんデビュー延期にまつわる大体の顛末は聞き知っていた。
高山獅貴プロデュースで、高山獅貴のプロダクションから、高山獅貴自身も参加するバンドとして鳴り物入りでデビューする筈だった《BLA-ICA》は、高山獅貴引退を受けて、すっかり後ろ楯を失ってしまった格好だった。
今後の活動についても一切何のフォローもなく、メンバーの誰ひとりとして高山獅貴と連絡を取ることもできない。
もちろん《BLA-ICA》には自力でもすぐにデビューへ漕ぎ着ける自信も、それを裏付ける実力もある。
望音が不機嫌なのはむしろ、「デビューが決まっているほうを優先すべき」という玄鳥奪回の大義名分が失われたことにあるのかもしれない。
「……伯爵はどこかで高見の見物を決め込んでいるのよ。《BLA-ICA》と《heliodor》を同じラインに立たせることで、私たちが戦うところを死ぬまでずっとニヤニヤしながら眺めているつもりなのね」
「そう、ですわね……」
雲間から気まぐれに姿を現し、やがてまた隠れる……絶えず巡り、満ちては欠ける孤高の月は、たとえ見えずともずっとそこにいる。
優雅に微笑みながら見下ろしているのだ……。
望音は、呟く。
「……私は、自分なら《向こう側》に行けると信じていたの」
日向子はほんの少し微笑する。
「慕っていらっしゃったのですね……伯爵様のことを」
「……どうかしら。よくわからないわ」
「……わたくしは……《向こう側》にずっと憧れていましたわ」
「……そう」
望音は彼女にしては珍しい、年相応の少女らしい笑みを浮かべる。
「……趣味が悪いわ」
「ふふふ」
取材を終えて社に戻り、編集長への簡単な報告を済ませた日向子は、デスクに戻るなりすぐさま美々に捕まった。
「日向子ー、友達が増えても、この大親友を忘れないでよねー」
「まあ、お姉さまったら……」
「言っとくけど、結構本気よ? ただでさえ最近……」
遮るように、携帯の振動音が鳴った。
デスクの上に今置いたばかりの日向子の携帯が着信を告げている。
サブディスプレイに浮かび上がった名前を見て、美々はクスッ、と笑った。
「……早く出たほうが、いいんじゃないの??」
《終章へつづく》
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