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麻咲による乙女ゲー風(?)オリジナル小説ブログ

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「紅朱様っ、これ、これも押してもよろしいですか!?」

「いや……そりゃ構わねェけど」

「まあすごいですわ。灯りの色が綺麗なピンク色に……!」

「楽しいか? それ」

 回転ベッドの側にある、室内の設備を一括操作する制御パネルを覗き込んで、色々な機能を発動させては歓喜する日向子を、紅朱はいぶかしげに見つめる。

 日向子は笑って言った。

「わたくし『らぶほ』は初めてですの。
紅朱様はこういった施設をよくご利用なさるのですか?」

「は? お前なぁ……無邪気に答えにくい質問すんじゃねェよ……」

「はあ」

 日向子の間抜けなリアクションを受けて、紅朱は気になっていたことを尋ねた。

「……日向子、お前……ラブホって何するとこかマジでわかってるか?」












《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【1】










「はい、存じておりますわ」

 日向子は自信満々に頷く。

「気心の知れた親しい男女が、歓談したり、遊戯に興じたりしながら過ごす場所でしょう?
以前、雪乃に聞きましたの」

「……」

「連れて行ってほしいと頼んだのですけれど、連れて行ってくれませんでしたのよ。
ダンスと一緒で、女性側から誘うのははしたないことなので、間違っても他の殿方を誘ったりしてもいけないとのことでしたから、わたくしはずっと我慢しておりましたの」

「……すげェな。雪乃って奴。嘘をつかずにこんだけ核心を避けた説明がとっさに出来るって……詐偽師の素質あんじゃねェか……?」

 ぶつぶつ呟く紅朱に、日向子はきょとんと首を傾ける。

「わたくし、間違っていますの?」

「いや、別に間違ってはないけどな」

「うふふ、わたくし紅朱様と『らぶほ』に来れてとても感激ですの」

 知らないとは恐ろしいこと……なにげにとんでもない発言をしているのだが、日向子には欠片も自覚がない。

 紅朱は頭でも痛いような顔をしていたが、

「……ま、いいか」

 あえてツッコミは入れない方針でいくようだ。

「とにかく、heliodorの出番ギリまでここにいるからな」

「まあ……よろしいんですの?」

「ああ。それが一番安全だからな。
それに今日のライブはまた袖から見ろ。俺の目が届くところから離れんな」

 睨みつけるような真剣な目で説き伏せられ、日向子はまた頷いたが、

「あの……何か、起きているのでしょうか?」

「お前は知らなくていい」

 とりつくしまもないとはこのことだった。

 いきなり見知らぬ男たちに拉致されかけて、そこを救われて、こんなところに逃げ込んで。

 一体何が起きているのだろう。

 紅朱は何か知っていそうなのに話すつもりがなさそうだ。

 ベッドのへりに足を組む格好で座った紅朱を、ベッドの上に正座で座る日向子はじっと見つめた。

 後ろの部分だけ長く長く伸ばした赤毛の先端のほうがシーツの上にたまっているのが目についた。

「紅朱様……」

「なんだよ」

「お願いがあるのですけれど」

「ん?」

「……少しだけ、紅朱様のおぐしに触らせて頂けませんこと?」

 予想だにしない請願に、紅朱は思わず日向子を凝視した。

「あ? なんで?」

「あまりにもお綺麗でいらっしゃるから……やはり、いけませんかしら」

「……まあ、ちょっとぐらいなら触ってもいいけど……」

「ありがとうございます! やはり紅朱様はおやさ……」

「お優しい、ゆーなっつってんだろ」

 日向子は、ベッドの上を膝立ちしてちょこちょこ移動し、紅朱の後ろに回った。

 深紅の光沢を放つ、絹糸のようなそれを指で一束すくう。

「本当にお綺麗……このように鮮やかな色に染めていらっしゃるのに、全くダメージがありませんのね」

「染めてるわけじゃねェよ。元々こういう色なんだ」

「え……?」

 あまりにも意外な言葉に、日向子は改めて紅朱の髪を指先で撫でて、見つめた。

 確かに染色して出せる色合いではないような気がする。

「ユーメラニン、とかって色素が普通の日本人よりかなり少ないらしい。父方の親族はみんなそういう傾向にはあるらしいが、俺ほどはっきり出た奴はいないって話だ」

 そういえばそのあまりに印象的な髪色に目を奪われがちだが、近くで見ると、紅朱は瞳の色も肌の色も、かなり薄い。
 
 こんなに美しい「赤」を生まれながらに授かったという紅朱は、日向子には何か神秘的にすら感じられた。

「素敵ですわね」

「だろ。俺も気に入ってる」

 言葉とは裏腹に、自らの髪先を手にとってもてあそぶ紅朱の瞳には、何か自嘲的な色がある。

「今でこそ、って感じだけどな」

「もしや……幼少の頃にはいじめなどをお受けになったり……」

「いや、その逆だった」

「逆?」

「俺は小学校時代、よその学校で西小のジャリアンって呼ばれてたらしいぜ」

「ジャリアン……あの、『のろ太のくせに生意気だぞー』のジャリアンですか?」

「ああ。まんま、ああいう小学生だった。
あいにく身体は大きいほうじゃなかったけどな……」

 日向子は、国民的アニメの大変メジャーな登場人物と紅朱のイメージを重ねて、思わず笑ってしまう。

「ガキ大将、でいらしましたのね?」

「そうだ。強さを示して上に立てばナメられない……堂々と胸を張っていれば、いっそ俺の赤い髪は、ハクをつけてくれたしな」

「……そうでしたか」

 日向子には今も紅朱は自分を強く見せるように演出しているように思えてならなかった。

 優しいと言われて怒るのも、それだけ自分を弱く見られているように感じるからなのかもしれない。

 深紅の髪を長くたらして、強い視線で他者を威嚇して。

 紅朱は武装している。

 いばらで覆った城のように、その柔らかな心を深く隠して。


「……お疲れにはなりませんか?」

「……え?」

 突拍子もない日向子の問掛けに、紅朱は眉を寄せた。

「いつも強い人でいるのは大変なことだと思いますわ」

「……別に俺は無理してそうしてるわけじゃねェよ」

「でも……」

 そうではない。

 そんなことはない。

 大切な人を失って、ギターが弾けなくなってしまうほど繊細な神経をしている筈なのに。

 紅朱はその大切な人にも弱さを見せなかったのだろうか……?

「例えば……例えば、玄鳥様の前でくらいはお心を休められてもよろしいのでは?」

「綾……?」

 紅朱はふっと乾いた笑いを浮かべた。

「俺が誰よりも自分を強く見せなきゃなんねェのは……あいつなんだよ」

「え? それは……」

「綾には、俺が最強、俺が一番、俺には絶対逆らうな……って刷り込んで育ててっからなぁ」

「刷り込み……ですか」

 日向子は、玄鳥が語っていた、紅朱に対する劣等意識とも呼べるような強迫観念を思い出した。

 いくら努力しても、兄には勝てないような気がするという玄鳥……それは、紅朱の刷り込みが成功しているということを意味するのだろうか。


「何故そのようなことを?」

「何故って……そりゃ、俺が『兄貴』で、綾は『弟』だからだ」

「そういうもの……ですか?」

「そういうもんだ」

 一人っ子で、しかも女である日向子には到底よくわからない感覚だった。

 それが果たして一般的な感覚かどうかも含めて理解し難い。

「……で、いつまで触ってんだよ」

「あ、申し訳ありません」

 日向子はずっと触ったままだった紅朱の髪から手を離した。

「……ありがとうございました。わたくし、紅朱様のおぐし、とても好きですわ」

「……そりゃどうも」

 目をそらしたのは、もしかして少し照れているからなのかもしれない。

「しっかし暇だなぁ……」

 それを裏付けるように話題を意図的に変えてくる。

「紅朱様、折角の『らぶほ』ですから、ご一緒に何か致しませんか?」

「……何か致しませんか、ってお前……」

 悪気ゼロの爆弾発言。

「はい。わたくしと遊んで頂けませんか?」

 連発。

「……どんだけ大胆なこと口走ってんだ、お前は」

 紅朱は呆れを通り越してついに吹き出した。

「お前みたいな女、初めてだよ」

 何故笑われているのかはわからなかったが、紅朱の笑顔につられて、日向子も笑っていた。

「……そうだな、暇だし……リハ兼ねてちょっと声出しとくか」

 紅朱は、備え付けのカラオケのリモコンに手を伸ばした。

「まあ紅朱様、お唄をお聞かせ頂けるのですか!?」

「何言ってんだ、一緒になんかしたい、っつったのお前だろ」

「はい?」

 紅朱はニヤッと笑って、ビニールのカバーを被ったマイクを二本手にし、一本を日向子に差し出した。

「デュエットしてやるよ。光栄だろ?」













「……まだ戻ってこんな、紅朱は」

 開演時間を過ぎ、とうとうオープニングアクトが始まった。

「フロアをざっと見たけど、お姉さんもまだ来てないみたい」

「……玄鳥、マジで二人がどこ行ったかわかんないワケ?」

 わけのわからないまま待ち惚けさせられて、heliodorの楽器隊は落ち着かない時を過ごしていた。

「わかりません」

 玄鳥は申し訳なさそうに首を横に振った。

「だけど、ちゃんと出番までには戻る筈です。
もう少し待ちましょう」













「……演奏停止」

「まだ2番がありますわ」

「……止めろ」

「はあ」

 日向子が言われるがまま演奏停止ボタンを押すと、紅朱はマイクを放り投げてベッドに倒れ込んだ。

「……日向子、喜べ。ジャリアンの称号はお前に譲ってやる」

 ぐったりした声で呟く紅朱に、日向子は目をしばたかせた。

「あの~?」

 乱れて顔を半分覆った赤毛の隙間から、紅朱は力なく日向子を睨んだ。

「おい、今のは唄か? 本気で唄ってこうなのか? そんなことがありえるのか??」

「わたくし……かなり真剣に唄いましたが」

「……お前、マジで音感ねェのな」

 溜め息まじりで評され、日向子は一瞬考えたあと、しゅんと下を向いた。

「……申し訳ありません。折角紅朱様がデュエットを申し込んで下さいましたのに……」

「いや……そりゃ別に謝るようなことでもねェけどさ。
流石にちょっとびびったな……」

 邪魔な髪を手でのけながら、紅朱はまたくくっと笑った。

「お前って奴は……とろいは、ミーハーだは、世間知らずだは、音痴だは……ありえねェ」

 よく人から指摘される欠点ベスト4を並べられ、ますますしゅんとうなだれる日向子だったが、紅朱はスプリングで反動をつけて起き上がると、言った。

「けどなんか……お前見てるとほっとするよな」

「え?」

「うちのメンバーが気ィ許すのもわからなくない……それが日向子の才能なのかもな」
















《つづく》
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「前のバンド、あと2曲で終わるみたい」

 ステージ袖から舞い戻った万楼の報告に、heliodorメンバーは焦りを隠せなくなっていた。

「……ね、いくらなんでも遅いんじゃん? ど、どうするよ?」

「落ち着いて下さい」

 玄鳥は苦しげな表情を浮かべながらも全員を見渡し、告げた。

「もし出番になっても兄貴が来なかったら、ソロとインストで繋ぎましょう」

「繋ぐ……て、確実に来る保証がないやろ、いつまで繋げゆうんや」

 有砂にきっぱりと指摘されても、玄鳥は揺るぎない眼差しで、

「兄貴は必ず来ます」

 断言した。

「もし来なければ責任は全て、俺が持ちます」









《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【2】









 その頃、当の日向子と紅朱には、誰一人予想だにしなかった落とし穴にどっぷり嵌って抜け出せなくなっていた。




「やべェな……」

 ようやく暗闇に目が慣れてきた。

「間に合わねェかもな……」

「メンバーの皆様にご連絡は?」

「した。繋がらねェ。今日のハコは地下だからな……圏外なんだろうよ」

 紅朱は舌打ちをして、ガスッと冷たい壁を殴った。

 日向子は、不安に胸を痛めながら、その背中に問掛ける。

「紅朱様、お寒いのでは?」

「ブランケット一枚しかねェだろ? お前が使ってていい」

 日向子は自身を包む、安っぽい色のブランケットをじっと見つめた。

 室内の温度はどんどん下がっている気がする。


 寒さと暗闇と静寂が支配する檻に今、二人はなすすべなく囚われている。

 フロントとの連絡、暖房からドアの開閉に到るまで全てを電気制御でコントロールするこの建物は、「停電」という予期せぬ事態にはあまりにも無力だった。

 外部からの音すら全てシャットダウンされた空間で、二人に許されたことは電気が復旧するか、助けが来るのをひたすら待つ以外にない。

「紅朱様……」

 日向子はブランケットの端をふわりと広げて、紅朱の肩に。

「いいって言ってんだろ」

「もう少しお近くにいらして頂けませんか? 二人で使いましょう」

「……悪い」

 紅朱は、日向子に身体を寄せた。
 隣合った腕がぶつかり合うほど近くに。

 日向子はそれに一瞬どきり、としながらも、お互いがはみ出さないようにブランケットでしっかりと包み込んだ。

 ベッドの上、ほとんど寄り添い合うような格好で、二人は解放を待っていた。

「……紅朱様」

「なんだ」

「……わたくしのためにこのようなことになってしまいましたのでしょう? 申し訳ありません……」

「お前……」

「謝っても許されることではありませんわね」

「違う。お前は何も悪くない……巻き込まれただけなんだ」

 紅朱はわずかに頭を垂れて、苛立ちを噛み締めるようにして言った。

「こんなことにまでなってだんまりしてても仕方ねェか……『D-union』を名乗る俺たちの私設ファンクラブが、お前を陥れようと狙ってんだ」

「わたくしを……狙って? どういうことですか?」

「……お前の編集部に嫌がらせのメールしたり、さっきの奴らも多分雇われてんだろうな……。
嫌がらせメールは、heliodorのライブ中だけ激減する……間違いなく、ファンの仕業だ」

 heliodorのファンに狙われている……嫌がらせを受けている……つきつけられた事実はあまりにも衝撃的で、呆然とする日向子の肩からするっとブランケットが滑り落ちた。

「それは……わたくしが、記者として未熟でいたらないからでしょうか……知らないうちに、大切なファンの皆様にご不快な思いをさせてしまっていたと……」

 暗い暗い闇の中、日向子の瞳はゆっくりと涙を浮かび上がらせる。

「……バカ野郎」

 紅朱はとっさに滑り落ちたブランケットを掴んで、それでもう一度日向子を包み、そのままブランケットごしに力いっぱいその身体を抱き締めた。

「お前は、お前が思うよりずっとよくやってるさ……俺が認める。
俺が言ってんだから、誰にも文句言わせるか」

「紅朱様……」

 たとえブランケットごしであっても、抱き締める腕の強さに、日向子は戸惑いを隠しきれなかった。

 それと同時に、真冬の日溜まりのような温かい気持ちがこんこんと湧き出してくる。

「もう大丈夫ですわ……離して下さい」

「泣き止んだら離してやるよ……俺は泣き顔見せられんのが嫌いだからな」

「……そう、申されましても、わたくし……」

 ぐすっとしゃくり上げると、腕の力が一層強くなった気がした。

「……そのように、優しくして頂くと、っ、止まらな……」

 紅朱はそれ以上は無言で、ブランケットの中で日向子が泣き止むのを待っていた。


 そしてしゃくり上げる声がようやく収まり始めた頃、ピンク色の世界が、闇を溶かしながらゆっくりと点滅しながら蘇っていった。











「紅朱、急げ!」

 ハコの出入口にいた対バン相手のメンバーが、くわえていた煙草を落としそうになりながら叫ぶ。

「何やってた? もう、20分以上楽器隊だけで繋いでんだぞ!!」

「そうか……!」

 短く受け答えて、紅朱は走り抜け、日向子もそれに続いた。

 走りながら紅朱は羽織っていた薄手のジャケットを脱ぎ去り、日向子に投げた。

「預かっててくれ」

「は、はい」

 それをなんとかキャッチした日向子は、ステージへまっしぐらに向かう紅朱の背中に向かって、一生懸命叫んだ。

「本当にありがとうございました!! 頑張って下さい! わたくし、ちゃんと見ていますから!」












「悪ィな、待たせた」

 深紅の疾風のように紅朱が駆け込んできた瞬間、オーディエンスは大いに沸いた。

 即興でセッションを続けていたメンバーたちも、それぞれに安堵の表情を浮かべた。

「……兄貴」

 誰よりもほっとしていたのは玄鳥だった。

 紅朱はマイクを掴むとメンバーたちを振り返り、早口で告げた。

「そのまま《spicy seven》だ」

 全員が目線で頷き、有砂がカウントを取る。

 極めて印象的な妖艶なベースラインとギターによるイントロが鳴り出すと、また歓声が上がる。

 すでにこの新曲は、heliodorの新たな代表曲として認知されてきている。

 客の目につかないよう気遣いながら袖に隠れるようにして見守る日向子も、笑って肩でリズムをとる。
 紅朱のジャケットを落とさないようにしっかり抱き締めながら。


《限りなく 凶悪な挑発
 手を挙げろ 錆色の悪魔》

 瞬間、全ての視線が紅朱に集まった。

《厚顔無恥の 憐れな群れは
 犬も食わない 卑怯者》

 歌詞が、違うのだ。

《脅迫は今宵 送信中
 降り注ぐ幾千のポイズン

 罪の意識が稀薄な君たち
 しっぽは見えてる 最終章

 罠は巧妙 手口は簡潔
 引き金は 悪意湧く「泉」
 叫んだ「粛清」

 狙いつける devil union

 その向日葵を手折るなら
 お前らに聞かせる唄はない》


 紅朱が、恐らくは即興のアドリブで唄うその詞の内容に、フロアがざわついていた。

 感想に突入すると、紅朱はまるでその視線で全員を焼き尽そうとするかのように、ステージからの景色を見渡した。

「親愛なるファンの皆さん……俺たちの向日葵を泣かせた奴はどいつですか?」

 口の端を歪めて、好戦的な笑みを浮かべる。

「……俺たちを敵に回したいならいつでもかかってこいよ」

 その言葉の意味がわからない者は皆不思議そうな顔で紅朱を見つめ、わかった者は紅朱から目をそらす。

「今俺の目を見れない奴は、とっとと帰れ。
俺たちを真っ直ぐ見つめてくれる、可愛い向日葵たちのためだけに、今夜は最高の唄を聞かせてやる」


 向日葵とは即ちファンである自分達だと解釈した人々は一斉に悲鳴と歓声を上げる。

 暗い顔をした一部のファンと、ステージの上に立つメンバーたちには無論わかっている。

 紅朱は「日向子」を狙う闇の集団に、今この場ではっきりと宣戦布告したのだ。

 「日向子」に牙を剥くことは、自分を……そしてheliodorを敵に回すことだと。













「流石は紅朱! キメるとこはびしぃっとキメてくれるじゃん☆」

 テンションの高い蝉をはじめ、楽屋のメンバーたちは皆一様に緊張感から解き放たれた、脱力した雰囲気だった。

「紅朱様、これを」

 ちょこちょこと歩み寄って、日向子は預かっていたジャケットを手渡す。

「……おお、サンキュ」

 紅朱はジャケットと引き替えに、日向子に微笑を返した。

 日向子もそれに、笑顔で答える。


 その様子を見ていた玄鳥は、無意識に目をそらした。

「ところで、お前ら……時間稼ぎさせて悪かったな」

 紅朱は何気無い口調で、メンバーたちに訪ねた。


「あれは誰の提案だ?」


「玄鳥だよ。玄鳥の指示でやったんだ」

 代表するように万楼が答える。

「玄鳥かっこよかったんだよ! リーダーが来なかったら責任は自分がとる……なんて言って」

「まあ、そうでしたの? 玄鳥様」

 感嘆する日向子に、玄鳥はいつもの照れ笑いをする。

「いや、俺はそんな……」


 しかし。その時。


「余計なことはするな」


 誰もが耳を疑う言葉を、紅朱が言い放った。


「リーダーでもないクセに……無謀な指示なんか出してんじゃねェよ」

「え……」

 玄鳥の笑顔は凍りつく。

「だって……」

「だって、じゃねェ。あの状況で俺が戻って来る保証があったか?
あんなリスク犯すくらいならとっとと頭でもなんでも下げて撤退すりゃよかったんだ」

「リーダー」

 たまりかねたように万楼が口を開いた。

「玄鳥、本当に頑張ってたんだよ。リーダーのこと信じて……必死に、リーダーの穴を埋めようとしてくれたんだ」

「……それが気に入らねェって言ってんだよ」

 紅朱は、数分前までとはまるで別人のような厳しい目付きで玄鳥を睨んだ。

「弟のくせに生意気なんだよ、お前。俺の穴を埋めようなんて、何様のつもりだ」

 玄鳥はその視線を受け止めて、静かに……本当に静かに、紅朱を睨み返した。

「……あんたこそ何様だよ」

 本当に玄鳥が発しているのかと疑ってしまうほど、低く重い、怒りに震える声音。

「……あんたはいつもそうだ。昔から、ずっと……」

「……玄鳥様っ」

 思わず制止しようとした日向子の肩を誰かが掴んだ。

 有砂だった。

 戸惑う日向子をよそに玄鳥は更に怒りの言葉をつむぐ。

「……いくら兄貴だからって、なんでも『弟のクセに』で片付けられたんじゃたまらないよ」

 怒りに身体を震わせたまま、玄鳥はすたすたと楽屋を出て行ってしまった。

 紅朱はそれを目で追い、苛立った様子で舌打ちする。

「今の、絶対リーダーが悪いからね」

 万楼は一瞬紅朱をあまり迫力のない目で睨んで、ぷいっとそっぽを向いて楽屋を出て行った。

「紅朱さぁ……マジで、変だよ。あんな言い方しちゃまず……うげ」

 言いにくそうにしどろもどろ話し掛けようとした蝉の衣装の首ねっこを、ぎゅっと有砂が引っ張る。

「……出るんや、アホ」

 蝉を強制連行して有砂が出て行ってしまうと、そこにはもう日向子と紅朱しかいなくなってしまった。

「紅朱様……」

 うつ向いている紅朱の顔は、赤い髪に隠されて見えない。

「……お前も俺のほうが間違ってると思ってんだろ?」

「……紅朱様も、紅朱様が間違っていると思っていらっしゃるのでは?」

「……間違ってるかどうかなんて関係ねェ……」

「紅朱様が『兄』で、玄鳥様が『弟』だから……?」
「そうだ」

「わたくしにはわかりません……何故そこに固執なさるのか」

 しばしの沈黙の後、紅朱はゆっくりと口を開いた。

「そうしてないと、不安なんだろうな……俺は」

 握り締めた拳は震えている。

「……俺は、綾の本当の兄貴じゃねェから」









《つづく》
「……え……?」

 何かひどい聞き間違いをしてしまったのかと思った。

「……俺たちは本当の兄弟じゃない」

 聞き間違いなどではなかった。

「戸籍の上では兄弟でも、血縁から言えば、綾は……俺の従兄弟だ」

「いと、こ……」

 まるで目の前の景色がぐるりと反転してしまったように思った。

 うつむいた紅朱の表情は未だうかがい知れない。


「……そのことを、綾は、知らない」







《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【3】










「ここにいるような気がしたよ」

 人気のない夜の公園で、ブランコに座ってうなだれている玄鳥を見つけた万楼は、そのあまりにもセオリーに則った光景に、

「玄鳥って……古典派だよね」

 と思わず呟いた。

「……茶化しに来たなら独りにしてくれないか」

 玄鳥が目を半眼するのにも関わらず、万楼はちゃんと古典派の流儀に則って隣のブランコに座った。

「あったかい缶コーヒーでも買ってきて『ほら』って投げてあげればよかったかな」

「いらない」

「ごめんごめん、いじけないで」

 万楼はスニーカーの先で削れた地面をなぞりながら笑う。

「……玄鳥がリーダーと本気で喧嘩するところなんて初めて見たからちょっとびっくりした」

 玄鳥は視線を足元に落としたまま溜め息をついた。

「……大人げないよな、俺も。兄貴のあの手のもの言いには慣れたつもりだったんだけど」

「そうなの?」

「少なくとも今までは我慢できてたのに」

 玄鳥はどうやら、楽屋での一件をすっかり反省しているらしかった。

「……日向子さん、何か言ってた……?」

「え? うーん……ボクもすぐ飛び出しちゃったからな。困ったような顔はしてたと思う」

 玄鳥は自嘲の笑みを浮かべて、自分の左手を見る。

「……早速、約束破っちゃったかな……」

「約束……?」

「何でもないよ」

 玄鳥はその左手でそのまま自分の目元を覆った。

「虫の居所が悪かっただけなのかもしれない……」

「リーダーの?」

「いや、俺のだよ……兄貴と日向子さんを見てたら、なんか……」

 言葉に詰まった玄鳥に、万楼は小さく笑った。

「ヤキモチ、妬いちゃった?」

「笑うなよ……」

「ごめん、おかしくなっちゃった。玄鳥の気持ちが、わかり過ぎて」

「え?」

 真意を問うように顔を上げた玄鳥を、万楼はいつになく真剣な顔で見つめて、言った。

「好きな人ができたんだ」

 まるで美少女のような綺麗な顔をした少年が、「男」の目をしている。

「できればボクが、彼女の特別になりたい。……玄鳥も、そうなんでしょう?」

「万楼……」

 たとえ名前を口にしなくても、玄鳥にも容易に察することができた。

 万楼が好きになったという女性が誰であるか。

 それは、玄鳥が想うのと同じ人だ。

「だからボクは、もう玄鳥の応援はしてあげられないんだ」

 万楼が苦笑する。それが伝染したかのように、玄鳥も微かに笑んだ。

「……参ったなあ。これ以上ライバルが増えないでくれるといいんだけど」














「ねーねー、マジであれ、フォローしなくてよかったの?
これがきっかけでウチ解散しちゃったりしないよねー?」

「そうなったら心置きなく、ピアノに専念できるやないか。よかったな」

「笑えない冗談言わないの!」

 年少二人が夜の公園で古典的に友情を深め合っていた頃、同居コンビは自宅に帰り着いていた。

 帰宅するなり蝉は、有砂の部屋に居座ってずっとぶつぶつ言っていたが、有砂のほうはいたって冷静だった。

 ベッドに寝転がって恨めしそうに見つめる蝉はそっちのけで、テーブルに頬杖をついて求人雑誌をめくっている。

「ねーねーねー、よっちんは心配じゃないワケ? あの仲良し兄弟が大喧嘩だよ?」

 有砂は雑誌をめくる手も、記事を追う目もそのままで、

「賠償請求はな、親子間では成立せんけど、兄弟間では成立するらしいで」

「……はい?」

「兄弟は他人の始まり、ゆうことや……なんぼ仲が良くても、他人が腹の底で何考えとるかなんて、実際のところは言われるまでわからんもんやろ」

 蝉は少しだけ考えてから、

「……つまり、たまには言いたいこと言って喧嘩するのもいいかも……ってコト??」

 有砂は答えなかったが、蝉は「そっかそっか」と感心したように首を何度も上下する。

「よっちんてばなかなか深いコト言うじゃん……無駄にバンド内最年長ってワケじゃなかったんだね~」

「……大体、首突っ込むのも面倒やしな。よその家の兄弟喧嘩なんて」

 蝉は、枕に預けていた頭をちょっと持ち上げた。

「羨ましいと思わない?」

 有砂の手が止まった。

「おれの妹は喧嘩出来る年になる前に天国に行っちゃったんだよね……だけどさ」

 蝉は笑う。

「いつかよっちんは、ちゃんと喧嘩出来るといいね」
「……なんやそれ」

「そろそろ捜してあげなよ、有砂ちゃんのこと」

「……捜して、どうなるんや?」

「んー……わかんないケド、とりあえずうちのお嬢様は喜ぶんじゃないの」

「お嬢喜ばせて何かオレに得があるんか?」

 ようやく雑誌から視線を離して、有砂は蝉を見やった。
 蝉は何故か妙にニヤニヤしている。

「そゆコト言うケドさ……ぶっちゃけ、よっちんは、日向子ちゃんのコトどうなのよ?」

「……何が?」

「ちょっとはオンナとして意識したりしないの?」

「……なんで?」

「なんでってこともないケドさ、あの子のお目つけ役としてはちょっと気になるワケよ」

 有砂はいよいよ憮然とした面持ちで、蝉を睨む。

「オレはあんなガキに手出すほど女に不自由してへんから」

「……手出そうとして拒否られて、平手打ちされたくせに……っ、あたっ!」

 飛んできた雑誌の固い角が蝉の額にジャストミートした。

「うっさい」

「ぼ、暴力反対~」

 若干涙目になりながら額を押さえる蝉に、

「ジブンこそどうなんや」

 有砂はすかさず反撃を開始する。

「お嬢様のためなら火の中水の中なんやろ?」

「え、そりゃそうだケド……あの子はおれの家族だしさぁ……それに」

 蝉は真っ赤なおでこを晒しながら、少し複雑な笑顔を浮かべた。

「何にしたってさ、あの子にとって大切なのは『雪乃』で『蝉』じゃないからね~」













「綾が弟になったのは、俺が5才、あいつが3才ん時だ」

 くしくも数日前、美々が座っていたのと同じ席に座って、日向子は紅朱の話に耳を傾けていた。

「綾の実の母親……俺の叔母は、一人で綾を生んで育ててたんだが、元々大きな病気を患ってて、それが元で死んだ。
俺は叔母に懐いて、よく遊びに行ってたからな……かなりショックだったし、はっきり覚えてる」

 時折、コーラのグラスを口に運びながら、紅朱はゆっくりと過去を紐解いていく。

「綾はまだ小さかったから、覚えてないし、教えるつもりもない。
今は浅川の家があいつの家だからな。
幸い、姉妹だった母親同士がよく似てたおかげで、俺と綾の容貌も似てたから、誰に疑われることもなかった」

「そうしてずっと……20年も、兄弟として過ごしていらっしゃったのですね?」

「ああ」

 そういえば玄鳥は、父方の遺伝だという赤みがかった髪も引き継いでいない。
 もちろんそれが100パーセント引き継がれるとは限らないから取り立てて不思議に思う者はいないだろうが。

「……最初の10年は、あいつの『兄貴』になることが課題だった。そっからの10年は俺があいつの『兄貴』であり続けることが課題になった。
その境目になったのが、中学時代に起きた事件だ」

 紅朱の赤みかがった瞳に、怒りをたたえた炎が不意に灯った気がした。

「……綾の実の父親が、恥じ知らずにも訪ねてきやがったんだ。
今更綾を引き取りたいとか抜かしやがって、あの下道……」

「そんな……」

「もちろん俺も浅川の両親も断固拒絶してやったさ。綾にはバレなかったが、万が一バレたらって不安が、その日から俺の中に住み着いた」

「あの」

 日向子は思わず言った。

「わたくしは、もしも玄鳥様が真実をお知りになったとしても、長年家族として暮らしていらっしゃった浅川の皆様を捨てるようなことはないと思うのですけれど……」

 他の誰かならいざ知らず、なにしろあの玄鳥のことだ。

 しかし紅朱は、日向子を、およそ普段からは想像出来ないほど弱々しい目で見つめる。

「……だけどあいつは、父親の名前を知ったら、きっと迷う」

「……なぜですの?」

「……それはっ」

 紅朱は一瞬、言いかけた言葉を飲み込んで、別の言葉を口にした。

「……俺が違う道を選んでいれば、こんなことにならなかったんだ……だから、俺には浅川家の平穏を守る責任がある。
俺はいつまたあの男が来てもいいように、綾を引き留められるだけの強さを持ってなきゃなんねェんだ。
どんなに迷ったとしても最後には俺を……浅川家を選ばせるために」

 悲愴な決意を語る横顔は、とても青ざめて見えた。

 この人をここまで脅えさせるものはなんなのだろう……と日向子は思った。

 今は聞いても答えてくれないのかもしれないが。

 日向子もまたその問いを飲み込んで、別の問いを口にした。

「紅朱様は、玄鳥様を……支配したいのですか?」

「……」

 紅朱は何も言わず、苦しそうに眉間に皺を寄せて、手の中のグラスを見つめていたが、

「人と人の絆は、力ずくで繋ぎ留めたり、引き離したりするものでしょうか?」

 その言葉に一瞬目を見開いて、日向子をを見た。

 その目は、懐かしい古い写真を眺めているかのように、微かに細められている。

「同じこと言い残して、出てった女が昔いた」

「え……」

「……3年も経つのに、何も成長してねェ」

 3年前に出ていった、紅朱の大切な女性……本人の口から直接その人の話が出たのは、恐らく初めてだった。

「粋さんの……」

 紅朱のこの目は、粋のためのもの。

 ただひとり、長い間ずっと紅朱の心を囚えたままのひと。

 日向子の胸は、何故かチクッと痛んだような気がした。

 紅朱はコーラの残りを一気に飲み干し、深く息を吐き出すと、不意に乾いた笑いを浮かべた。


「……綾が、あんなにムキになって俺に歯向かって来たのは初めてだった。
あいつは急速に成長して、俺の手から離れようとしてるんだろう……。
それを素直に喜んでやれない俺は、所詮偽物の兄貴でしかないのかもな」

「そのようなことはありませんわ!」

 日向子の声は無意識に大きくなってしまっていた。少し驚いている紅朱に、日向子のは微笑みかける。

「『バカ野郎』ですわ」

「あ?」

 予想だにしない言葉を投げ掛けられて、唖然とする紅朱。

 日向子は微笑みを絶やさずに続ける。

「紅朱様は、紅朱様が思うよりずっとよく頑張っていらっしゃいますわ。
わたくしが認めて差し上げましてよ」

「お前……」

「わたくしがそう言っているのですから、どなたにも文句は言わせませんわ」

 暗闇の中で日向子を包んだ温かい言葉を、そっくりそのまま返した。

「っ……ははは」

 紅朱は思わず吹き出して、笑い出した。

「……言っとくが俺は泣かねェからな!」

「もし泣きたくなったらおっしゃってください。
わたくしは後ろを向いておりますから」

「だから泣かねェっての」

 紅朱は笑った顔のままで、ぽつり、と呟いた。

「……今日の話、誰にも言うなよ。他に知ってんのは綾以外の家族と、あいつの実父だけだからな」

「もちろんですわ……けれどよかったのですか?
わたくしなどに話してしまって……」

「ああ。お前にはいつか聞いてもらいたかった」

 紅朱の目は、いつになくとても優しかった。
 一つ嵐が去った後の空のように。

「……思った通り、なんとなく軽くなった」












《つづく》
 クラシカルなデザインの紺色のセーラーをまとった可憐な少女は、冬の冷たい風に身震いしながらも、自室の窓から見える白亜の建物を背伸びして眺めていた。

「お嬢様、お召し換えをな…らないのですか?」

 まだ中学に上がったばかりの少年が、声変わり前のボーイソプラノには似合わない口調で話しかけても、幼い少女は外ばかり見ている。

「……ねえ、雪乃?」

「はい……?」

「……一昨日からゲストハウスにお泊まりのお客様……一度もお姿を拝見しておりませんが、どういった方なのかご存じでして?」

「詳しくは存じませんが、先生の音大教授時代の教え子の方と伺っております」

「まあ、では雪乃にとっては兄弟子様にあたるのですわね?」

「はい……確かに」


 そういえば先程から、風に乗って微かにピアノの音が聞こえる。

 冴え冴えとして冷たい、冬の景色によく似合う音色。

「……なんて美しくて……せつないメロディ……」










《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【4】









「……お嬢様?」

 呼び掛けには応答がなかった。

 雪乃はバックミラーから、後部座席をうかがった。

 日向子はバッグを抱えたままウインドウに頭を預けてすっかり眠ってしまっている。

 彼女は深く深く、「思い出」という名の夢の世界へと旅立っていた。

 雪乃は、溜め息をつき、眼鏡を少し下にずらして独り言を呟いた。
 
「……ゆうべは帰るの遅かったのかな……。
お疲れ様、日向子ちゃん」









 それは冴えわたる満月の夜。

 フリルたっぷりの白いガウンをまとった小さな少女は、寒さに震えながらも、大理石の渡り廊下を忍び足で歩いていた。

 こんなところを誰かに見付かればただでは済まないに違いないが、好奇心には勝てない。

 ゲストハウスから時折流れるあの旋律。

 奏でているのがどんな人なのか、突き止めなければ眠れない。

 幸運にも誰の目にもとまらずに白亜の建物まで行き着くことができたが、どうやらそこには最もたちの悪い先客が来てしまっているようだった。

 彼女の父親が、誰か……恐らくは例の客人と話している声が聞こえる。

 はしたないことと知りながら、少女は大きな扉の鍵穴を片目で覗きこんだ。










「……釘宮先生」

 甘く、たっぷり艶を含んだ声で、青年が囁く。

「……これ以上押し問答を続けて何とします?
私の気が変わることは、金輪際ないと断言致します」

「君はどうしても、その珠玉のような才能を自らドブ川に棄てたいというのかね」

「ドブ川とは……また、実に手厳しい」

 対面にどかりと腰を下ろし厳しい目付きで睨む中年男性に、青年はふっと含みのある笑みを見せる。

「ならば先生、私はドブにつかりきったドブねずみということですよ。
こんな卑しい奴めはお捨て置き下さい」

「馬鹿なことを言うんじゃない。君のピアニストとしての才能は本物だ、今からだって遅くはない。
私は君を釘宮の後継に指名したい」

「……後継なら、勤勉で素様ある利口な少年を見つけられたのでは?」

「あれはまだほんの原石だ、磨き上げても君を越える大器となる保証はない」

「……まあ、ごもっともですね」

 青年は不思議な笑みを浮かべたまま、中年男性をその切長の眼差しで見つめる。

「あいにくと私にとりましては、音楽大学に進んだことも、ピアノを専攻したこともほんの暇潰しです。
私は何故か、暇潰しで始めたことでも人より巧く出来てしまうことが多いものですからね。
釘宮先生の後継……というのは、暇潰しで襲名するには少々荷が重いのでお断り致します」

「君という男は……」

 呆れたようにうめく中年。

「……お約束通り、5日後の式典が最後です。お諦め下さい、先生」









 中年男性……父親がこちらに来るのに気付き、少女はとっさに開く扉の陰に身を潜めた。

 憤慨した様子ですたすたと歩く父親は、一人娘がそんなところに隠れていることには全く気付かなかった。

 少女が小さな胸を撫で下ろしていると、


「……今晩は、どちら様かな」

 あの甘い囁き声が部屋の中から響いた。

「もう隠れなくていいですから、入っていらっしゃい」

 少女はおずおずと、部屋の中へ入って行った。

 20代後半と思われる、背の高い細身の青年が革張りのソファに腰かけて笑っている。

「おや、これは可愛いレディのおでましだ」

 レディ、と呼ばれたことで少女はにわかに姿勢を正し、ガウンのすそをつまんでレディらしいお辞儀をした。

「釘宮日向子と申します。どうぞお見知り置きを」

 青年は楽しそうに微笑しながら立ち上がり、こちらも紳士らしく丁重に、

「お目にかかれて光栄です。私のことは……伯爵とお呼び下さい、レディ」

「かう……んと様ですの?」

「無論、爵位を賜った本物の伯爵ではないが……人からは何故かそう呼ばれていてね」

 日向子は、確かにその呼び名はこの青年に本当によく似合うと思った。

「伯爵様……ピアノをお辞めになりますの?」

 父親と青年の会話は11歳の少女にはいささか難解極まり、更にはところどころ聞き取れなかったため、全てを理解出来たわけではなかったが、どうやら青年はピアニストになるつもりがなさそうなのは確かだった。

「さて……折りを見て弾くこともあるやもしれないが。あなたのお父上の望むような形ではないだろうね」

「そうですの……」

 日向子が少し残念そうな顔をしたので、伯爵はふと微かに目を細め、ゆっくりと歩み寄った。

「レディ」

 膝を折って日向子の視線の高さに合わせると、ここにくる間にすっかり冷えてしまった柔らかい頬に、大きな手を当てがった。

 温かい部屋の中にいた筈の伯爵の手が、更に冷たいことに日向子は驚いた。

 けれどそれよりも、間近で見る伯爵の瞳は氷塊のように冷たかった。

「……人にはそれぞれ偽れない本性というものがある。本性を隠したまま生きることは窮屈で不自由で、退屈なものになるでしょう。
私は自分の本性が何者か、何を求めるか……よくわかっているので、他のものは全て切り捨てることができるのだよ」

「切り捨てる……?」

「本当に欲しいものを手に入れるためなら、その覚悟は必要になる……例えば将来美しく成長したレディには、何人もの紳士から求愛されるかもしれない。しかしその中から選べるのは一人しかいない」

 日向子はこくんと頷いた。
 伯爵はあくまでも優しい笑顔を見せる。

「いつかそんな相手と出会ったら、けして躊躇ってはいけないよ」

 いつか、と伯爵は言う。

 けれど日向子は今、目の前の双つの瞳が放つ月光のような光に釘付けになっていた。

 まるで満ちた月の引力のように。
 伯爵の声も眼差しも、冷たい指も、日向子の心をするすると引き寄せる。

 そっと小さな手を、頬を包む伯爵の大きな手にそわせ、真っ直ぐに見つめる。

「ではわたくしは……何を捨てれば伯爵様を手に入れることができますかしら……?」

 伯爵は一瞬眉を持ち上げ、すぐにまた余裕げな笑みに戻った。

「この伯爵を求めるのですか? レディ」















「……お嬢様!」

 はっと日向子は目を開いた。

「恐れ入りますが、そろそろお目覚め下さい」

 ドライバーシートから、ボーイソプラノではないが、夢の中と変わらない口調で語りかける幼馴染みをしばらくぼんやり見つめていた日向子だったが、だんだん頭がはっきりしてくる。

「そうでしたわ……お仕事……行かなければいけないのでしたわね?」

「左様でございます。お疲れのところ大変かと思いますが、お急ぎにならないと遅刻されます」

 遅刻、の二文字に一気に覚醒した日向子は、

「ありがとう、雪乃」

 短く労って、雪乃にドアを開けてもらうのを待たずにバッグを抱えて飛び出して行った。













 駐車場からオフィスビルへ向けて、本人的には全速力で走りながら、日向子は今しがた見た夢を思い出していた。

 それは間違いなく過去、本当にあったこと。

 日向子が初めて伯爵を名乗る紳士と出会い、瞬く間に囚われてしまった不思議な夜の記憶。

 どうして今になってこんな夢を見たのだろうか、と疑問に思いはしたが、思いがけず夢の中で伯爵と会えたことに日向子はときめきを感じた。

 今日は素敵な一日になるかもしれない。

 そんな淡い期待は、驚くほど早く裏切られた。


「森久保日向子」


 編集部のビルまであとほんの少しというところで、目の前に立ちはだかった者がいた。

 それが見知った少女だったので、日向子は立ち止まる。

「あなたは……いづみ、さん?」

 柔らかなピンク色のダッフルコートを着た少女が、真っ白な息を吐きながら、日向子を凝視していた。

「意気地なしな連中はとっとと諦めたけど、わたしは引かない」

「何を、おっしゃってますの……?」

 少女の瞳には深い闇が映っている……狂気という名の闇が。

「お金の力を使ったの? それともその可愛い顔でメンバーに取り入ったの?
……それともやっぱり、寝たの?」

 日向子はざりっと一歩後ずさった。

「いづみさん……」

 少女がコートのポケットに突っ込んでいた手を引くと、そこには危うく輝く銀色の刃が握られていた。

「いづみ……さん……」

 壊れたラジカセのように、呆然と繰り返す日向子。

 いづみはキリキリと最大まで刃を押し上げたカッターを右手に握って、叫んだ。

「粛清……!!」


 カッターを握ったいづみがスプリンターのように全速力で駆け込むのが見えた、その直後。

 日向子が見たのは千切れて風に踊る「深紅」の破片だった。

 その向こうにへたりこむいづみと、コンクリの地面に叩き付けられて、刃が真っ二つになったカッター。

「……っ」

 短い吐息が耳をくすぐった。

「……間に合ったな」

 囁く声は甘く、けれどよく通る強い響き。

 日向子の身体を片腕で支えながら、覆い被さるようにして立っていたその声の主は、

「……お前は絶対に一言も喋るな」

 きっぱりと命令して、日向子に背を向けた。

 日向子は今更のように頷いて、声には出さずに彼の名前を呼んだ。

 紅朱様……。

「なんで……あなたが?」

 愕然としているいづみに、紅朱は告げる。

「ああして宣戦布告してやれば、反応は2つに1つだろ。諦めるか、ぶちキレるか……。
こんくらいは想定してるに決まってんだろ」

 紅朱は舌打ちして足元のカッターを蹴った。

「バカだろ、お前。こんな工作カッターじゃ、ジャケットすら貫通しねェよ」

 日向子は、思わず声を上げそうになった。

 言葉とは裏腹に、綺麗に袈裟がけに切り裂かれたジャケットからはとめどなく血が滲み始めている。

「……気に入らねェから力ずくで排除なんて馬鹿馬鹿しい考えは捨てちまえ。
そんなもんじゃ、人の絆は左右出来ない……この女に教わったことだ。
俺なんかよりずっと森久保日向子は器のデカイ女なんだよ。
それを逆恨みなんてとんだお角違いだ」

 痛みなど感じていないというように、全くなんでもない口調で紅朱は、いづみに呼び掛ける。

「わかったら、謝れ」















《つづく》
「紅朱様っ」

 何度も何度も「ごめんなさい」を連呼して、泣きながらいづみが去ってしまうと、すぐに、紅朱は崩れるように膝を折った。

 黒いジャケットの背中には裂目にそった染みが広がっている。

「……だせェな、綾なら無傷で守れたかもしんねェ」

「何をおっしゃっ……」

 感情が一気にあふれ、息が詰まって言葉にならない。

 自分を省みず守ってくれたのだ。

 そればかりか紅朱はとっさに血のついた凶器を遠くへ蹴り飛ばし、痛々しい傷口をいづみに悟られまいとしたのだ。

 彼女の罪を軽くしてあげるために。

 立ち直るチャンスをあげるために。

 痛みに耐えて、立っていたのだ。

「……おいまさか、泣いてねェだろうな……?」

 日向子に背中を向けたまま、紅朱は囁く。苦しげな呼吸の狭間で。

「泣いたりしたら承知しねェからな……」

 そしてゆっくりと、冷たいコンクリートにその身を沈めた……。


「……紅朱様……!!!!」










《第5章 今宵、囚われて -attachment-》【5】










「綾。預金通帳とにらめっこは楽しいのか?」

「うわっ……! 兄貴」

 急いで引き出しの中に押し込まれる「浅川綾」名義の通帳。

「なんか、でかい買い物すんだろ」

「ち、違うよ……なんでもないよ」

「……あ、そ」

「部屋に入る時はノックしてくれっていつも言ってるだろ」

「はいはい」

 適当に返事して部屋を出る。

 別にしつこく追求する必要はない。

 約10年も「兄弟」をやっていれば大抵のことは察しがつく。

 本人は真剣に隠しているつもりなあたりが愉快で、すぐに誰かに話したくなる。

「おい、また綾の病気が始まったぞ、ババア」

 夕食の準備をする後ろ姿に話しかける。

「そう……綾ちゃん、今度は何がしたいって?」

 とんとんと長葱をリズミカルに刻みながら、尋ねてきた母に、軽い口調で答えた。

「多分、ギターだな」


 包丁の音が、止まった。

「ギター……」

「俺がクラスの奴とバンドやってんの見てやりたくなったんだろ。
全くしょうがねェよな、あいつも……」

「お兄ちゃん」

  背中を向けたままの母が、嫌に静かな声で告げる。

「そのこと、お父さんにはまだ話しちゃダメよ」

 その声と、動かない背中だけでビシビシと伝わってくる感覚。

 禁忌の気配。

 何か口の中が一気に、乾いてしまったような気がした。

「……なあ」

 言葉を絞り出す。

「ジジイ……なんで俺がバンドやりたいって言った時、あんなに反対したんだ……?
他のことは『なんでも経験だからやってみなさい』って感じなのに……なんで、音楽だけ……さ」

 母の小さな背中が、微かに震えている気がした。

「きっと……お兄ちゃんを見て、綾ちゃんも音楽をやりたがるから……そうすると母さんが悲しむと、思ったからよ」

 か弱い声が、絞り出す。

「……綾ちゃんの本当の両親はね、二人ともミュージックだったの……昔一緒にバンドをやっていたのよ」

「……え?」

「可愛い妹が、ギターケースを抱えて、駆け落ち同然に家を出て行った時は本当に寂しかった……だから。
……怖い……音楽という翼を得たら、綾ちゃんもどこかへ行ってしまいそうで……っ」

「……ババア、泣いてんのか……?」

 駆け寄りたいと思う反面、強烈な罪悪感で、金縛りにあったように動けなくなる。

 もし自分が音楽の道に進みたいなどと思わなければ、こんなふうに悲しませなかったんだろうか?


「……綾は俺の弟だろ。浅川家の家族だろ……どこにも飛んで行かせたりしねェよ。
……翼をへし折ってでも、俺が繋ぎ留めてやる」


 必死に慰めたつもりだったのに、静かなおえつが止まることはなかった。


 どうしていいかわからなくて、ただただ立ち尽くすしかなかった。












「……あったま悪ィ……」

「え? 何かおっしゃりまして?」

「なんか昔のことをちょっと思い出したんだ……走馬灯みてェな感じだ」

「まあ、縁起でもない表現をなさらないで下さい」

「センス悪かったか? 多目に見ろ……頭ん中ぼーっとしてっからな」


 日向子は即座に救急車を呼び、万楼の件でも世話になった病院に紅朱を搬送してもらった。
 無論、今度のことを「事件」にしないためだ。
 紅朱の背中の傷は出血量が多く、少々の輸血と15針の縫合を要した。

 意識が覚醒して後も、すぐには気分がすっきりしないのは当然とも言える。

「それにしてももったいなかったですわね……紅朱様のおぐし……」

 日向子お気に入りの深紅の髪は、カッターで切断され、不揃いになってしまったため、結局切り揃えられてしまった。

 サイドと同じ長さになったため、まだ男性としてはかなり長めとはいえ、肩につかないくらいの長さになってしまった。

「別に、たかが髪だしな……。まあ、お前が気に入ってんならまた伸ばしてもいいが」

「ええ、ぜひ!」

 日向子は紅朱の傍らで、しゅるしゅると梨をむいていた。

「……そういうことは得意なんだな? お前」

 日向子は誉められたことに素直に喜びながら、一切れを楊枝に刺して紅朱に差し出した。

「どうぞ召し上がれ」

「ん」

 紅朱は何の躊躇いも恥じらいもなくそれに食らいつくと、しゃくしゃく食べた。

「こういうのは、ガキの頃にババアにやってもらって以来だな」

 日向子はほとんど反射的に、

「粋さんにはして頂かなかったのですか?」

 言い終わってすぐに後悔するような配慮のない質問を口にしてしまい、その通りにしっかり後悔した。

「……下世話なことをお聞きしてしまいましたわ」

「ねェよ」

「……はい?」

 紅朱は大して気を悪くしたふうでもなく答え、

「粋とは別に、恋人だったわけでもないからな」

 驚くべき事実を明かした。

「大方蝉辺りが言った冗談を間に受けたんだろ?
一緒に暮らしてたこともあるし、公私ともにかけがえない相手だったことは認める。
俺たちは……言ってみれば親友だった」

「親友……」

「ああ。戦友と言ったっていい。
男だ女だなんて関係ない、信頼で結ばれたパートナーだった。
はっきりした理由も言わず、heliodorを抜けたい、なんて言い出す前までのことだけどな」

 微かに目をふせた紅朱の、その表情には嘘があるとは思えなかった。

 紅朱と粋は恋人同士ではなかった。

 けれど、あるいはもっと深い絆のある関係だったのかもしれない。

 紅朱は背中の傷よりもずっと痛みを伴う心の傷を辿って言った。

「あの時、俺は初めて粋に手を上げた。力ずくで、引き留めようとした。
俺のくだらない常套手段だな……」

「紅朱様……」

 紅朱は溜め息をついて、それから心配して顔を曇らせる日向子を見つめた。

「全くお前の言う通りだ。力ずくで解決することなんか何もねェな。
ただ力を振るった罪悪感が残るだけだ。
ガキの頃から人の上に立ってやりたい放題やってきたが……俺は元々、リーダーの器じゃねェのかもな……」

「まあ」

 日向子は何故か半分怒ったような顔で紅朱を見つめ返した。

「heliodorの皆様は、紅朱様のことが恐ろしくて逆らえないような弱虫さんではありませんわ」

「……あ?」

「あのように個性的な皆様を束ねること、力だけでは無理だとは思いませんか?
メンバーの皆様はもっと違うところを見て、違うところに惹かれて、紅朱様についてきていらっしゃるのではないでしょうか」

 紅朱は何か言おうとしたが、それを遮って、とんとんと病室のドアを叩く音がした。

「リーダー、入ってもいい?」

 廊下から聞こえてきた声に、一瞬驚いて反応が遅れつつ、

「……ああ」

 紅朱は入室を許可した。

「お見舞いにお菓子作って来たよ。エクレア嫌いじゃなかったよね?」

 最年少のバンドメンバーが、ラッピング用のバスケットを抱えて顔を出した。

「万楼……」

「この間はリーダーがボクの病室に駆け付けてくれたよね」

 日向子にバスケットを預けた万楼は紅朱ににっこり微笑む。

「リーダーは、大切な人、だからね」

 万楼に続くように、賑やかな声が飛込んでくる。

「紅朱大丈夫~!?」

 蝉だ。

「ってゆーか、一人でカッコつけるからこんなことになるんじゃん。おれたちにも相談してよ!」

「……お嬢が重傷ゆうから来てみれば、案外けろっとしとるやないか、しぶとい男やな」

 有砂も続いて部屋に入ってきた。

 続々とやってくるメンバーたちに、まだはっきりしていない頭のせいもあって、返す言葉の見付からない紅朱。

 日向子はそんな彼をなんとなく微笑ましく思いながら、見つめていた。

 そして。





「……兄貴」




 病室の入り口から、気まずそうな声。

 紅朱のことをこう呼ぶ人間が、世の中に二人といるわけがない。

 メンバーと日向子が見守る中、うつ向き加減でゆっくりとベッドに近付く。

「綾……」

「兄貴、あのさ……俺……」

「ちょっと待て」

 強い口調で紅朱は玄鳥の言葉を遮った。

「謝ろうとしてるだろ、お前」

「え……うん。だって、俺……」

「謝んな」

 玄鳥ばかりでなく、その場にいた全員がいぶかしげな顔で紅朱を見つめていた。

 紅朱は、玄鳥を真っ直ぐに見て言った。

「……ここでお前に謝られたら俺はまた、成長できなくなる。
……謝るのは俺だ。俺が、間違ってた」

「兄貴……」

 紅朱はゆっくり目を閉じて、告げた。

「……ごめん。あと……ありがとな。お前がいてくれて助かった。
これからも俺の右腕として……支えてくれるか?」

 一気に言い切ったあと、気恥ずかしそうに、視線を泳がせながら、紅朱は玄鳥に右手を差し出した。

 玄鳥は一瞬惚けたような顔をしていたが、

「……兄貴……」

 感極まって瞳を微かにうるませながら破顔一笑した。

「……うんっ。俺、頑張るよ」

 しっかりと、手と手が重なり、強く握る。

 紅朱の顔にも、ようやく笑みが浮かんだ。

 浅川兄弟にとっての新しい始まりの瞬間。

 日向子も心からの笑顔で、パチパチと拍手する。

 それに万楼が続き、蝉が加わり、ついに有砂も付き合った。

 拍手と笑い声の響く病室の中は、日溜まりのような温かい空気に包まれていた。
















 「D-union」が公式ホームページのトップに解散の告知を出したのはそのすぐ後だった。

 会長である「イヅミ」の真摯な謝罪文を残して、「D-union」は消滅した。

 紅朱は力ずくではない方法で、事態を収拾したのだ。

 暴力より遥かに難しく、遥かに強い……「優しさ」でいづみの心を動かした。












「落着……ってところみたい」

 「会員各位」への解散告知・謝罪メールを開くことなくゴミ箱に葬り去りながら、愛想の欠片もない黒ずくめの美少女は紅茶を口に運ぶ。

「助かったわ。まだ彼女は利用出来る……役に立ってもらわないと困るもの」

「……おいクロ助、お前のご主人、また何かすごいこと言ってるぞ」

「にゅ」

 ハスキーな声で楽しそうに囁く女性から、差し出されたブラシ状の玩具でじゃれる黒い子猫。

 黒衣の美少女はノートパソコンから目を離し、テーブルの向かいで愛猫をもてあそぶ彼女をじっと睨んだ。

「シュバルツよ。今はまだ名前を覚えさせているところなんだから、変な名前で呼ばないで、アルテミス」

「お前こそな……誰がアルテミスだ」

 美少女は子猫を手元に引き寄せて、黒で彩った指でくすぐりながら、小さく呟いた。

「たくさん名前があって貴女は面倒だわ。一体どの名前が一番好きなの?」

 じゃらす対象のなくなった猫じゃらしを指先でしならせて遊びながら、凛々しき狩猟の女神はふっと笑った。


「……粋、かな」












《第6章へつづく》
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