「ねえ、渕崎くん」
放課後はいつも、すぐに教室を出て行ってしまう彼を、急いで引き留めた。
「なんだ?」
「あなた、アイン=ライスフェルトと仲がいいんでしょ?」
「仲は別に良くない」
「でもいつも一緒にいるじゃない」
「誰か一緒にいなかったら物騒だからな」
それはマキナも同意だったが、その「誰か」に進んでなろうという発想は、仲が良い、ということにはならないのだろうか、とも思った。
「この際なんだっていいけど、あなたから私につきまとうのをやめるように話しておいてくれない?」
渕崎翠人は、一瞬だけ何か考えるような顔をして、答えた。
「心配しなくとも、アインの留学はごく短期だ。日本にいるのは夏が終わるまでだな」
「……そう」
一学期は残り僅か。
家や連絡先までは知らないだろうから、夏休みに入ってしまえば、もう二度と会うこともなく、恐らくはそれっきりお別れだ。
「望みが叶うのに、嬉しくなさそうだな」
「別に……ただ」
なんとなく、虚しいような……そんな気持ちになっただけ。
序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【4】
「……ねえ、まさかとは思うけど、あなた……オーディションを受けに来たとか言わないでしょうね」
「んぁ? オーディションだとぉ? そいつは笑わせるぜ。
オレ様はなぁ、なんちゃらボーゲンがオレ様が所属するのに相応しいバンドかどうかを確認しに来てやったんだ。
このオレ様に声を掛けるとは、藤群の野郎もなかなか見所はあると思うが、他のメンバーがつまんねえ連中なら、まあ、ちっと付き合いきれねぇわな」
そこまで早口で一気にまくしたてると、「富沢煉司(トミザワ・レンジ)」はアインの座っていた椅子の真向かいに、ドカッと腰を下ろした。
ふんぞり返るようにして背もたれに身を預けると、斜めに視線を飛ばしてマキナを見た。
「つか、なんでそんなとこに立ってんだ? お前。
端っこが好きなのか? 猫みてぇな女だな」
「別に端っこが好きなわけじゃないわよ……!」
もうどこからツッコミを入れていいのかわからなかったが、とりあえずそこは否定しておく。
富沢煉司、と名乗った男は、マキナの見る限りでは自分と同じくらいか、あるいは少し年下と思われた。
ストリート系ファッション雑誌の表紙にでも載っていそうな男で、髪型は後ろをかなり長めにしたウルフで、カラーはくすんだキャラメル色だった。
けして、際立った美形ではないが、女にモテそうな顔の造りをしている。
全体的におおぶりなパーツと、突き刺さりそうな鋭い目が、ワイルドな雰囲気を醸し出していた。
別に猫呼ばわりの仕返しのつもりでもなかったが、「狼みたいな男だな」と、マキナは思った。
「で、お前らがメンバーか?」
富沢煉司は、向かいに座ったアインと、傍らに立つ翠人を、まるで値踏みするかのようにジロジロ見つめる。
「でよう、藤群が惚れ込んだって、ドイツ人のボーカリストってなどっちのヤローだ~? あ?」
アインは、何故かキョトンとしたまま黙っている。
代わりに翠人が、
「そっちだ」
とアインを顎で指した。
「そう。ボーカルを担当するアイン=ライスフェルトよ。デモは聴いてくれた?」
と、マキナが付け足した。
煉司はその問いには答えず、アインを見やってにいっと笑んだ。
「お前かよ。へえ、まあまあ男前じゃねか。
お前の歌はそこそこ聞けたぜ。そこいらの道端で唄ってる頭悪そうなガキどもとは違うってのは確かだ。誉めてやるよ。
でもよ、ちょっとばかり才能があるとか、プロになれるとか持ち上げられたくらいで、あんまり調子に乗らないほうが身の為だぜ? わかってっかあ?
デビューなんざ大して難しかねえのよ。デビューしたはいいが、鳴かず飛ばずであっという間に消えてく連中がどんだけいるか、お前だってちったー想像できんだろ?
ぽっと出の素人が簡単にブレイクできるほど、日本の音楽ギョーカイは甘くねえからなー。
お前その辺ちゃんとわかってんのか?? あ?」
そこまでマシンガンのように一気に畳み掛ける。
かなり挑発的な物言いだったが、アインはどう答えるのか……マキナはなんとなしにハラハラしながら、煉司の向かい側を見つめた。
アインは何故か、煉司が登場した瞬間からずっと不思議そうな顔をしていたが、そのうちに、まるで何か助けを求めるように、藍色の瞳をマキナに向けて来た。
「……どうしたの?アイン」
この程度の挑発で気圧されるような可愛らしい男ではないということは、マキナもよくわかっている。
だとすればどうしたというのか。
アインは苦笑した。
「……僕はドイツ語と日本語と英語しか話せないって、彼に通訳できる?」
一瞬の沈黙のあと、マキナは思わず、ぷ、と吹き出した。
「あ?」
今度は煉司が不思議な顔をしている。
マキナは腹の中でまだ笑いが収まらないが、一応説明してやることにした。
「……あなたが一方的に早口で、田舎のヤンキーみたいな崩れた日本語を並べ立てるもんだから、アインには全くリスニングできなかったのよ」
「なっ……」
「相手は初対面の外国人なんだから、ちょっと考えたらわかりそうなものだけどね」
少し意地が悪いかな、と思わないではなかったが、出て来るや否や礼儀もわきまえず、人の話もまともに聞かず、やりたい放題の狼男にはこのくらい言っても構わないとも思った。
そして翠人は表情ひとつ変えずに、
「お前には才能があるから、デビューするなら、気を引き締めて頑張れ……だそうだ」
と、恐ろしくシンプルに翻訳し、アインはこくこく首を上下し、煉司に視線を戻してにっこり笑った。
「Herzlichen Dank♪(どうもありがとう♪)」
挑発した筈が、最終的にはなぜか満面の笑みでお礼を言われてしまった煉司は、今までの勢いが嘘のように沈黙してしまった。
怒りと悔しさと羞恥が混ざったような赤い顔で、3人を交互に見やり、それから、
「んと……このくらいの早さだったらわかるのか?」
抑えめのテンションで、気持ちゆっくり話し始めた。
「ああ、君は日本語も話せるんだね」
アインには、多分、悪気はない。
煉司はコホン、と軽く咳払いする。
「オレ様はな、年はまだ23だが、中卒でこのギョーカイに入ったからキャリアはそこそこ長いんだぜ」
「チュウソツって?」
「一々面倒なヤローだな……要は、10代半ばから音楽やってるってことだ。
インディーズシーンじゃ、それなりに名前も通ってるし、プロにならないかって話もいくつかあったんだ。
ただオレ様ほどの逸材を、活かせるだけの魅力的な話はなかった。残念ながらな。
……今回はあの藤群高麗のプロデュースするバンドってことだったから、それでも少しは期待してるんだぜ。
こうやって、お前がどれほどの器か、確かめに来てやる程度にはな」
ちゃんとアインに伝わるようにしっかり速度を調節して、言葉を選ぶ辺り、案外根は律儀なタイプなのかもしれない……と、マキナは思った。
彼の努力の甲斐もあり、アインにも今度はしっかり伝わったらしい。
「君の言いたいことはわかったよ。でも、君がそんなに素晴らしい逸材なら、他のメンバーがどうだって、とりあえずなんとかなるんじゃないのかい?」
「そうもいかねえのが、バンドの厄介なとこなんだよ」
不意に、煉司の顔に真剣な色があらわれる。
「チープなインテリアで統一された部屋に、ひとつだけ高級な家具を飾ったら、調和が取れねえのと同じさ……カッコよかねえし、オレ様自身たまらなく窮屈だ。わかるか?」
マキナは思わず頷いた。
確かに、それは正論だ。
バンドという形で音楽をやるならば、全体の調和は無視できない。
どれかのパートがよければいいというものではないし、極端に足を引っ張るパートが合っても悪目立ちしてしまうだろう……。
それはけして、本人のためにならない。
適材適所。
アーティストを陰から見守りサポートする立場として、それはひとつの信念としてマキナの中にあった。
アインは微笑する。
「……『Sternebogen』が君にとって居心地のいい部屋になるかはわからないけれどね。
僕は、僕の部屋に君を招いてみたいと思ったよ。
君は面白いし、いいやつみたいだからね」
そう言って、すっとまたマキナを見やった。
「『Sternebogen』のギタリスト、彼に決まりでいいよね?」
「ちょっ」
マキナと煉司は初対面とは思われないほど、見事に呼吸を合わせて、
「ちょっと待った!」
ハモった。
「ギタリスト候補はもう1人いるのよ!? まだ音だって聞いてないっていうのに、何勝手に即決しようとしてるの!?」
「お前、人の話をちゃんと聞いたのか!? 日本語だぞ!?オレ様が話してんのはれっきとした日本語だ。
まだ入るとは一言も言ってねえだろうが!!」
アインは、凄まじい勢いで同時にわめく煉司とマキナを、困った顔で見つめていた。
脇にいた翠人が涼しい顔で、
「2人とも、結論を急ぎ過ぎだ、よく考えろ、と言っている」
まとめて翻訳する。
「スイトはレンジでいいだろう?」
「ああ。構わない」
構ってよ……!!と、思わず叫ぼうとしたマキナだったが、それより早口アインが口を開く。
「メンバーの意見が第一、ってフジムラは言ってなかったかい?」
確かにアインが言うように、藤群はメンバーの意向を最大限尊重するというようなことは話していた。
「でも……」
「オレ様の意志が最優先だろーが!」
これまた正論。
しかし、
「違うな」
翠人は淡々とその正論を突き放す。
「メンバーの意志が最優先なら、本人の意志よりも当然優先だろう?」
「Ja♪ レンジはまだメンバーじゃなからね。優先してほしかったらメンバーになればいいと思うよ」
何のパラドックスだ……マキナは思わず目眩を覚えた。
煉司のほうも軽い混乱状態に陥っているらしく、うーっと唸ったかと思うと、
「っ……お前らは悪徳商法のセールスマンかっ!」
椅子の肘掛けを八つ当たり気味に殴った。
アインは、フフフ、と面白そうに笑う。
何故かは本人にしかわからないことだったが、どうやら煉司のことがかなり気に入ったらしい。
一度本人が気に入ってしまったら、相手の都合などあったもんじゃない……マキナはそれをよくわかっている。
そして。
「何も一度バンド組んだら死ぬまで同じメンバーでやらなくちゃいけないわけじゃないだろう? 試しに『Sternebogen』でやってみたらいいよ」
「……いや……まあ、それも一理あるっちゃあるけどよう……」
どこから見ても、あまり頭が良さそうには見えない煉司はもうすでに陥落しかかっている。
マキナは内心、それが無駄になりそうなことに気付きつつあったが、一応口を挟んでみる。
「だから、せめてもう1人の彼……横山夕景(ヨコヤマ・ユウケイ)くん、とやらに会ってからにしたらどう?
電話で話した感じでは、彼もなかなかいい人そうだったけど?」
本人に責任のないことで遅刻してしまった上、オーディション無しで落選を告げるなんて気の毒なことはあまりしたくない。
アインはこともなげに言い放つ。
「それなら、ギターはレンジにして、ユウケイにはキーボードをやってもらえばいいよ」
「……はあ?」
そのあまりに馬鹿げた提案に、「あんたねえ」と反論しかけたその時、
「いいですよ」
よく通る、ハキハキとした声が後ろから響いた。
その場にいた全員が一斉に振り返る。
遅れて来た第4の男は、切れ長の目を細めて、静かに微笑していた。
「はじめまして。
大変遅くなりました……横山夕景、と申します」
《つづく》
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