「Fest(お祭り)だよ、マキナ」
あんたの頭の中の話?……と聞き返してやりたくなる。
「ユカタを買いに行こう」
「い・や」
急ぎ足で歩いても、脚のリーチがそもそも違うから、簡単に横に並ばれてしまう。
「Warum?(どうして?) Fest(お祭り)にユカタはつきものなんだろう?」
「お祭りに一緒に行くことを前提に話さないでくれる?」
あれは冗談だった筈だ。
「私はあんたとデートなんかしない」
確認はしていないが、そうに決まってる。
「迷惑だからつきまとわないで」
それとも……。
「わかった?」
ただ教科書を貸してやったくらいで、本気で彼氏面しようというのか?
「マキナ……」
小憎たらしい、藍色の目の持ち主は、不思議そうにこちらを見つめ、ぽつりと覚えたての日本語を呟いた。
「君はツンデレかい??」
序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【3】
「何が、ツンデレよ……」
思わず口をついた独り言に、マキナは自分で驚いてしまった。
思い出したくない筈なのに、思い出してしまう。
思い出すまいと意識すればするほど泥沼にハマっていくようだ。
マキナの内心の動揺などまるで気づいていないかのように、アイン=ライスフェルトは、スタジオのロビーにしつらえられた質素なソファーに深く腰かけて、携帯電話をいじっている。
その最長距離に位置する壁に寄りかかって、几帳面さが災いして予定より早く到着してしまい、結果気まずい2人きりの時間が長引いてしまったことを後悔しながらも、マキナはその男を再会以来初めてまじまじと観察した。
昨日は、まるで時空を飛び越えてここに現れたかのように思われたアインだったが、よく見れば、やはり自分と同じだけの月日を重ねてきているらしかった。
元々大人びてはいたが、あの転は、それでも少年らしさを滲ませていた。
目の前の人物からはそういったあどけなさが抜けて、すっかり大人の男性といった様子だ。
あの頃短く切っていた襟足を伸ばして、大きく外側に跳ねさせた髪型や、あの頃はなかった両耳を飾る小さな石のピアスや、あの頃より更に線が細くなり、鋭角的になった身体のフォルム……面影と重ならない微妙な差異が、空白の年月を物語る。
「マキナ」
いきなり観察対象から声を掛けられて、ビクリと肩が震えてしまう。
アインは少しも視線を上げることなく、携帯を見たまま口を開いた。
「何か、話をしない?」
「何か……って」
「見てるだけじゃ退屈じゃない? ……僕がいくらいい男でもね」
「っ」
全身の血が一瞬で沸騰するかと思われた。
気づかれていた……マキナは隠しきれない動揺に視線を逃がす。
「私は別に……」
「僕も退屈だな。だから、何か話して」
話す?
何を話す?
適当な話題と言えば、やはり仕事の話になるのだろうか。
考えた末、気になっていた疑問を口にした。
「音楽活動は、いつ頃からやってたの?」
元々自分のことをあまり話さないところはあったが、それにしても歌が好きだとか、歌手になりたいなどという話を聞いたことはあの頃一度もなかった。
「2、3年前からかな」
「藤群さんが見つけた時は、ベルリンのクラブで歌ってたって聞いたけど」
「Ja♪」
手にしていた、メタリックシルバーのスライド式の携帯をクローズして、アインは視線を上げ、マキナを見やった。
「僕の歌、聞いた?」
「え、あ、うん」
「どうだった?」
アインは藍色の目を輝かせながら問う。
「それは……」
マキナは一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇したが、
「……正直、驚いた。私が藤群さんだったとしても、きっとあんたに声を掛けたと思う……」
冷静に答えを返す。
「もっとも音源でバラードを一曲聞いただけだから、まだまだ評価しきれるものではないけど。
まだバンドの方向性も未知数だしね。
なんにしても、あんたがプロとして立派にやって行けるように、私としてもバックアップは惜しまないから、安心してちょうだい」
その答えにアインは満足げに笑う。
「頼もしいね」
「どういたしまして。その代わり、しっかり期待に応えなさいよ」
「Jawohl,Mein manager」
アインはそれがよほど気に入ったのか、車中と同じフレーズを口にする。
それはほんの僅かながら、一種の緊張感に支配され、硬直していたマキナの心を解きほぐした。
そうだ。
この立ち位置だ。
それを見失わなければ、どうということもない。
「遅れたか?」
ちょうどその時、もう1人の内定メンバーが、姿を表した。
「いいえ、時間通りよ、渕崎くん」
「翠人(スイト)、でいい」
Sternebogenのベーシストは、相変わらず愛想のかけらもない無表情な顔で促した。
「じゃあ、翠人くん?」
「翠人、くんは余計だ」
「あ、そう……いいけど」
渕崎翠人(フチザキ・スイト)は、同じ教室で過ごしていた頃からほとんど変わっていないように思える。
小柄で細いが、すばしっこそうな体躯に、童顔のわりに、キリッとしたつり目。
ワックスで立ち上げた短髪は白金で、雪のように白い肌と、名を体現するかのようなエメラルドグリーンの目によく合っている。
幾つかの人種の血が混ざっているという彼。マキナも詳しくは知らないが、アインとは家ぐるみで付き合いがあり、幼い頃から面識があるらしい。家の事情で、頻繁にドイツと日本を行き来しているとも聞いていた。
高校時代も2人はよく一緒にいた。
あの時も、アインは本当は翠人に教科書を借りるつもりだったのだろう。
翠人が見当たらなかったものだから、たまたま同じクラスで、たまたま話したことのあった自分が目をつけられた……そう考えると、マキナは翠人の間の悪さを恨まずにはいられなかった。
翠人は、アインの座った椅子の横に立って、軽く周囲を見回す。
「藤群はまだなのか?」
「藤群さん、でしょう?
目上の人にはちゃんと敬意を払わないとダメよ」
「よくわからんな」
翠人は細い首を軽く傾けて、言った。
「藤群がアインにプロデュースさせとほしいと依頼した。アインは、俺をメンバーに入れることを条件に引き受けた。
イニシアチブを握っているのだから、俺が一番上だろう」
彼にしては珍しく文字数の多いその台詞には、マキナの知らなかった情報が含まれていた。
「えっ、そういう経緯で翠人が加入したの?」
「Ja♪」
「ヤーじゃないわよ、ヤーじゃ。翠人が了承しなかったら断るつもりだったの?」
「わかったか? この企画の成立は俺次第だと」
淡々と話す口調からは、言葉づらほどの高慢さや自己誇示欲は感じられず、ただ事実をありのまま並べて、認識を促すような意図が感じられた。
「わかった……あんまりうるさいことは言わないけど、外部の人がいる時はせめて『プロデューサー』って呼んでくれる?
藤群さんにも立場ってものがあるんだから」
マキナには、翠人が藤群に対して礼を欠いた言動を取ることを、よしとは思えなかったが、譲歩せざるをえない。
プロデューサーは藤群だ。藤群がアインを選び、藤群が翠人の加入という条件を受け入れた。
翠人のこの小生意気な言動も含めて受け入れたということならば、マキナにはその意向を優先する他ない。
「いいだろう」
翠人もこれには異論はないようだ。
藤群が人前で恥をかかないなら、まあいいだろう……マキナはとりあえずではあるが、安堵した。
そして今度は別なことが気になり出す。
「……それにしても、遅いわね、藤群さん。ギタリスト候補の2人と一緒に来るって言ってたけど……」
「フジムラならまだ来ないよ。きっと道に迷ってるからね」
「え?」
まるで見て来たかのように断言するアインに驚いたその刹那、スーツのポケットの中でマキナの携帯が震えた。
取り出して確認してみると、それは藤群の携帯からだった。
まさか……と思いつつ、電話に出る。
「はい、折笠の携帯です」
聞こえて来た声は、
『折笠マキナさん、ですか?』
藤群のものではなかった。
『藤群さんが運転中なので、代わりに連絡させて頂きました。
本日、オーディションを受ける横山夕景(ヨコヤマ・ユウケイ)という者です』
爽やかで耳ざわりのいい、ニュースを読み上げる男性アナウンサーのような声。
『諸事情ありまして、まだそちらへ到着できそうにないんです……もう1人の方には連絡をして、直接スタジオへ行ってもらうことになりました。
先に彼と話をしてみてほしいと、藤群さんはおっしゃっています』
「そう、ですか。あの、諸事情というのは……道に迷った、とか、そういうことでしょうか?」
『……ええ……まあ……その、この辺りは随分入り組んでますから……』
「……わかりました。気を付けて来て下さい」
『はい、失礼致します』
一瞬だけ、気の毒なほど歯切れが悪くなった以外は、終始爽やかな印象だった。
礼儀正しく、目上に気も遣える様子。
……まあ、人間性は評価できそうね、とマキナは思った。
今目の前にいる連中がひどすぎるのかもしれなかったが。
「言った通りだった?」
楽しげに、アインは笑う。
「そうみたいだったわ……でも、どうしてあんたが知ってるの?」
「フジムラだからだよ」
「は?」
「藤群は方向音痴だ」
スッパリと、翠人が断言する。
「それと味覚音痴で、運動音痴だ」
「Ja、『音痴三冠王』って自分で言っていたね」
『音痴三冠王』……自虐的過ぎる称号だったが、藤群なら言いかねないと、マキナは思った。
「あ、でも……昨日頂いた焼き菓子は手作りみたいだったけど、おいしかったよ?」
「それは俺が作った」
「そう、翠人が作ったの……って、ええっ!!?」
この無愛想な元クラスメートが、キッチンに立って料理……しかも、お菓子作りなどとても想像できたものではない。
「料理、得意なの?」
「最近覚えた。他の2人には任せられないからな」
「他の2人って?」
「アインと藤群だ」
そう答えてから翠人は、何かに気づいたように、微かに眉を動かした。
「聞いてないか? 俺とアインは藤群の家に居候している」
「Ja、もう1ヶ月になるね」
先程から知らなかった情報が次々に示され、マキナは思わず唖然としていた。
事務所が所属アーティストのためにマンションを用意するのはよくあることだが、社長兼プロデューサー自ら自宅を提供するというのは珍しいパターンだった。
藤群の家といえば、事務所の近くにある高層マンションの最上階だった筈だ。
1フロア全て所有しているという話だったので、1人や2人や10人くらいは余裕で居候を住まわせられるだろう。
しかしそれはあくまで物理的な解答であって、この2人とプライベートでまで顔を付き合わせて暮らすなど、普通の神経をした人間ならせいぜい3日が限度だろう……とマキナは思った。
「流石は、大物……」
マキナは今初めて藤群を心から尊敬していた。
その時。
「ったくよー……冗談じゃねえぜ。迎えに行けねーとかぬかしやがって、オレ様を誰だと思ってやがんだ……!」
その大きな声は、近づいて来た。
「……おい、折笠ってのはどいつだ!? 天才ギタリスト・富沢煉司(トミザワ・レンジ)様のおでましだぜ」
マキナに新たな驚愕と動揺をもたらす、第3の男が姿を現した。
「……わざわざ出向いてやったんだ、盛大にもてなせよな……?」
《つづく》
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