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麻咲による乙女ゲー風(?)オリジナル小説ブログ

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 ……俺、やけど……まだ仕事やったか?

 ……そうか。……別に、急ぎの用ってことでもないんやけどな……。

 ジブン、今週末とか、予定空いてへんか……?

 ……いや、あいつが……菊人が遊園地に行きたいゆうてて、俺が連れてくことになりそうなんやけど……俺だけやとまた、ほら、わかるやろ?

 だから、出来たらジブンも……。


 は……?

 ……っ!? おいっ! ジブンいつの間に……!!





《終章 鏡の城の…… ―Dream of not ending―》







「あんたねえ、いい年して、いたいけな子どもをだしにするもんやないよ……情けないなー」

 通話中に横から日向子の携帯を取り上げた美々は、憤慨した様子で、実の兄をなじる。

 もちろん本気で罵倒しているわけではなく、彼女なりの親愛表現の一環なのだろう……と、日向子はとりあえず見守る。

 美々が有砂と話す時の、たまに関西弁が混ざる話し方。日向子には最初違和感があったのだが、もうすっかり慣れてしまった。

「……うん。そういうことで、よろしく。じゃあね」

 どうやら話は終わったらしい。通話の途切れた携帯電話が日向子の手に返ってくる。

 美々は、今までとうって変わった上機嫌な笑顔を見せた。

「今週末、空けといてね。Wデートだから」

「Wデート?」

「そ。あたしと日向子、佳人と菊ちゃんのWデート」

「それは……」

 女女・男男で果たしてWデートが成立するものなのだろうか……という疑問もさることながら、引っ掛かる組み合わせだ。

「あの、せっかくならご兄弟水入らずのほうがよろしいのでは?」

「だって遊園地でしょ? 大抵のアトラクションは2人ずつ乗るように出来てるじゃない。3人じゃ余っちゃうでしょ」

 言われてみればその通り。思わず納得しかけていた日向子に、美々はさらにこう囁いた。

「いいじゃない。菊ちゃんからしたら日向子もお姉ちゃんみたいなものだし……お兄ちゃんの婚約者なんだからさ」

「そっ」

 予想だにしない発言に、弁解の言葉が喉に引っ掛かって出て来ず、日向子は目を白黒させる。

「ま、そういうことで。よろしくねー!」

 言いたいことだけ言いっぱなしで、ご機嫌なまま去っていく美々を見送りながら、日向子は思い切り赤面していた。

 婚約……それは正式に交わされたことではなく、そもそも形だけのものでしかない。

 それでも指摘されると意識してしまうのは何故か……その理由は、日向子自身が一番よくわかっていた。










 日向子が着いた時、遊園地の入場ゲートの側にある待ち合わせ場所のモニュメントの前には、すでに待っている人の姿があった。

 有砂だ。

 妹ではなく、兄のほうの。

 練習やミーティングには比較的遅れて来ることの多い有砂が一番乗りとは珍しい。

 駆け寄る日向子の足もおのずと早足になってしまった。

「有砂様!」

 笑顔で呼び掛けた直後に、日向子は思い切り固まった。

 半年に満たない付き合いとはいえ、わからない筈もない。

 有砂は、機嫌が悪い。

「あの……」

 戸惑っている日向子を斜め上から見下ろして、有砂は、

「来たか……ほんなら、帰るで」

 思いもよらない提案を投げ掛けてきた。

「はい?? 帰る……んですか?」

「そうや」

「あの……まだ、お姉さまと菊人ちゃんも来ていらっしゃ」

「来ないから帰るんや」

 有砂は深く溜め息をつくと、いよいよ混乱している日向子に告げる。

「……ハメられたかもしれん」

 有砂の説明によれば、ついたった今、有砂の携帯に美々からドタキャンの連絡が入ったのだという。

 菊人がお腹が痛いと言っているので、このまま休日診療の病院に連れて行く……遊園地は2人で楽しんで来て、と。

「まあ、それは心配ですわね」

「どうだか……怪しいもんやな」

「え……?」

「ハナっから来る気なかったんやないか……俺とお嬢を2人にするつもりでな」

 確かに、美々ならやりかねない……日向子にも反論しようがなかった。

 わかっていた。美々は多分、気づいているのだろうと。
 日向子が有砂に対してどういう感情を抱いているのかを……。

「有砂様は……」

 自然と口をつく言葉。

「有砂様は、わたくしと2人きりではお嫌ですか?」

「っ」

 ほとんど反射的に目を逸らした有砂に、日向子は思わずしゅんとしてしまう。

「お嫌ですのね……」

「……誰も嫌とはゆうてへんけど……ただ」

「ただ?」

「俺と遊園地に行っても楽しくはないで……多分」

「そんなことはないと思いますけれど……」

 日向子は少し笑って、逸らされた視線の先に頭を傾けた。

「楽しくなくても構いません……と言ったらご一緒して頂けるのでしょうか」










「これは……」

「……意味はわかるやろ」

「ええ、まあ……」

 入場してすぐに有砂が要求したもの……それは日向子が仕事柄常に携帯しているもの……ペンだった。

 有砂は渋い顔をしながら、ゲートで渡された園内パンフレットを開くと、そこにペンで無数の記号を書き込み、ペンと一緒に日向子に手渡した。

 パンフレットのMAPの上に、ざっと見ただけで20個くらいは書き込まれている記号……「×」。

 意味するところは「拒絶」だった。

 有砂が拒絶の意志を表明したアトラクションは、コースター、フリーホール、バイキング……心臓に疾患のある人や、妊婦さんが乗ってはいけない類いのものたち。

 あるいは、身長130センチ未満の子どもが一緒なら、乗らなくて済むジャンル。

「有砂様、あの……もしや絶叫マシーンが」

「うるさい。とりあえず、向こう行くで」

 それ以上追及するなとばかりに、先んじて早足で歩き出す有砂の後ろ姿を見つめながら、日向子は笑いを堪えるのに必死だった。











「あの」

「……ん?」

「どうしてここも『×』なのですか?」

 いくつかの『平和な』アトラクションを回って、次はどこへ行こうかとマップを眺めていた日向子は、他とは少し趣の違う『拒絶』ポイントを見つけた。

 しかもそれは、今まさに目の前に建っている。


「『ミラー・キャッスル』は絶叫マシーンではないですわよね」

「そうやな……」

 キラキラと、陽光を照り返す銀色の城。

 それを見上げながら、有砂は複雑な表情を浮かべていた。

「……思い出がある」

「悪い思い出ですか?」

「……そう悪い思い出でもないところが始末が悪い」

「それは……」

 そこにそれ以上踏み込んでも平気なのかどうか、躊躇して言葉を選ぶ日向子。それをチラリと見やって、有砂のほうから口を開いた。

「ガキの頃1回だけ、家族4人でここに来たことがあった。
……けど、その頃から円満な家庭やなかったから……些細なことで両親が険悪な雰囲気になってな。
俺は幼心に嫌気がさして、妹連れて2人でここに逃げ込んだ」

「……綺麗なお城ですものね」

「まあ、当然ながら、そう長くはおれんかったけどな」

 小さな子どもが2人、アトラクションの中に入ったまま出て来なくなれば、すぐに従業員も気がつくだろう。想像にたやすい。

「ほんの小一時間くらいのことやったのに、母さんはボロボロ泣いてて化粧がぐちゃぐちゃやった。
おまけにあのクソ親父まで、めちゃめちゃ嬉しそうに『お前たちが無事で良かった』……とか……」

 沢城家の事情を知らない者が聞けば、何とも微笑ましいエピソードだと思うだろう。

 しかし日向子は知っている。彼が何故、苦い薬を飲み干すような顔で記憶を辿っているのか。

 その優しい思い出はやがて彼を裏切り、より深い絶望をもたらしたのだ。

「……有砂様……」

 日向子はたまらず、有砂の手を取った。
 はっとしたように、切れ長の眼差しが日向子を見つめてくる。

 愛情深いが故に、寂しげな瞳。

「……幸せに、なりましょう」
「……なんて?」

「幸せに……ならなくてはダメだと思います」

 有砂の大きな手を、ギュッと握った。

「有砂様も、美々お姉さまも、秀人様も、有佳様も、薔子様も、菊人ちゃんも、メンバーの皆様も、それにわたくしも……有砂様と、有砂様の人生に関わった人がみんな幸せにならなければダメだと思います。
有砂様を悲しませた出来事や、刻まれた傷が全て、無駄なことでも間違ったことでもなかったと……証明するために」

 どんな不幸も後悔も、幸せな未来に繋がっていたのだと……そう思えれば何もかも報われる。

 そんな気がする。

 有砂は無言でしばらく日向子を見つめていたが、やがて低い声で呟いた。

「……中、入ってみるか」

「え?」

「『ミラー・キャッスル』……久々に入ってみたくなった」

 そう言うと、日向子の答えを待つことなく、歩き出す。

「あっ」

 自然と手を繋いだまま歩く格好になってしまっていた。













「まあ……綺麗」

 『ミラー・キャッスル』の中では、鏡張りの壁が色とりどりのライトを反射して、キラキラと星のように瞬いていた。

「ロマンチックで幻想的で……夢の中の景色のようですわね」

 思わず口をついた言葉に、有砂は小さく溜め息をついた。

 ふと足が止まる。

「……お嬢は、いつもこんな綺麗な夢を見てきたんやな。
俺はずっと、悪夢しか見たことがなかった気がする……」

「有砂様……」

 彼を苛んで来た哀しい過去……穏やかな眠りを奪ってきた悪夢。

「……でも、最近はそうでもない。
俺も綺麗なものを、夢に見るようになってきた」

「綺麗なもの……? どんな夢ですか?」

「……そうやな、例えば……」

 え? ……と、驚くのが間に合わないほど突然、さりげなく、有砂の顔が日向子のすぐ目の前まで近づいて来ていた。

「……嫌なら、殴ってもええから」

 囁かれた言葉の意味を把握するより先に、唇が触れ合っていた。

 キスされたのだと理解した時には、もう離れていて、日向子はただ呆気にとられたように自分の唇に指で触れていた。

「……有砂様……今……」

「……例えば、こういう夢は悪くない」

 夢?

 夢なのだろうか?

 夢だと言われれば、そんな気がする。

「これは……わたくしの見ている夢なのかしら……」

 そうでなければ、有砂がこんなことをする理由がわからない。

「……わたくしが、有砂様のことばかり考えているからこんな夢を見ているのでしょうか……」

 独り言のように呟く日向子を、見たこともないような優しい笑みを浮かべた有砂が見下ろしている。

「夢にしておきたいんやったら……まあ、それでもええ。
……ただし、二度と覚めないかもしれんけど」

「……そんなことをおっしゃるなんて、秀人様みたいで変です」

 思わず日向子も笑ってしまった。

「……そうやな。俺もゆうててそう思った」

 ああ、これが夢だとしたら本当に、なんて幸せな夢だろう。

「……けど、惚れた女の前でくらいは、こういうのもええんちゃうか」

 美しい景色の中で、好きな人と想いが通じ合う夢。

 気づけば腕の中にいて、抱き締められていて。

「……好きや、お嬢」

 愛の言葉を捧げてくれていて、それに頷く自分がいて。

 もう一度、唇が重なった……。











 プリズムの海から、再び青い空の下へ。
 まだ2月とは思えない暖かな日差しの元へと戻って来た。

 斜め上を見やれば、そこにあった2つの瞳が、慌てたように逃げる。

「……恥ずかしいから、あんまり見るな」

 何故か今更、照れているらしい。

 そんなところがまたたまらなく愛しくて、見つめずにはいられない。

「ふふふ」

「笑うな」

 幾千の鏡が見せる美しい幻想の世界が終わっても、まだ夢が覚める気配はない。

 彼のコートのポケットの中、微かに熱を帯びた右手と左手は繋がったままだった。











《END》
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 ……私だ。仕事は終わったのか?

 ……そうか。

 ……いや、今夜の予定を念のため確認しておこうと思っただけだ。

 ……ああ。漸は遅れるようなので小原を迎えには行かせようと思う。

 ……では、そうしよう。……気をつけて帰りなさい。








《終章 午前零時の戯言 -Under the moon-》










「そういえば今日だっけ、日向子のパパのお誕生日」

「ええ。そうですの」

「そっか、いいね」

 「羨ましいな」と美々は微笑する。

 確かにこのところ、釘宮父子の関係はわりとうまくいっていた。

 雪乃の一件以来、日向子は高槻を純粋に尊敬することができるようになったし、高槻のほうも日向子のことをある程度認めてくれているようだ。

 時々はこうして、直接電話もしてくる。

 わざわざ電話をして、発売したばかりの雑誌の、担当記事のダメ出しをしてくることさえあった。

 そんな時は喜んでいいのか、落ち込んでいいのか迷ってしまう。

 しかし電話の最後にはいつも「頑張りなさい」と激励の言葉が添えられているので、やはり少し嬉しくなる。


 結婚についてはまだ多少気をもんでいるようだが、日向子の気持ちははっきりしている。

 まだ当分、結婚はしない。

 今一番大切にしたいもの、それは「記者」という仕事だからだ。


 はじめは、伯爵に近づきたいという、不純な動機からついた仕事ではあったが、得たものは数えきれない。

 たくさんの仲間や、一生ものの親友と出会い、家族との関係や自分自身の心と向き合って大きく成長を遂げた。

 そして今は純粋に記者という仕事にやりがいを感じ、楽しんでいる。

 自分の見聞きしたもの、感じたものを、言葉としてたくさんの人に伝える……それはとても困難で、とても面白い。


 自分には音楽で誰かの心を動かす力はないけれど、素晴らしい音楽と、誰かの心を引き合わせることはできるかもしれない。

 そう考えると、日向子にはやる気がみなぎってくるのだ。


 











 釘宮高槻の誕生日を祝う宴は、毎年夜更けまで続く。

 元々華やかな社交の場がそれほど得意ではなかった日向子には苦行でしかなく、ここ数年は何かと理由をつけては欠席していた。

 今回も、つい先日の騙し討ち見合いパーティーの件が頭を過って、かなり慎重になっていたのだが、意を決して参加を決めたのだった。

 結果として不安は杞憂に終わり、かわるがわる縁談話を持ちかけられるような事態にはならなかった。

 おそらく高槻が事前に根回しをしてくれていたのだろう。

 とはいえ、微笑みをキープしたままの状態で、息苦しいドレスと、不馴れなヒールを身につけて長時間過ごすのは楽なことではなかった。


 そろそろ限界かもしれないと思い始めた時、


「日向子」


 パーティーの主賓が声をかけてきた。

「……お父様」

「少し話したいことがある。ついて来なさい」

 口調は有無を言わさない命令調子であったが、どこか優しさを感じさせる言葉だった。

「……はい」

 素直に頷いた日向子は、歩き出した高槻に続いて、来賓たちの間を抜けていく。

「……よろしいのですか?主賓が席を外してしまって」

「気にすることはない……そう長い話ではないからな」

 父子はにぎやかな場所から離れ、人気のない庭園へ出た。

 冴え冴えと、三日月が輝く夜空の下へと。

「お話とはなんでしょうか? お父様」

「……日向子、お前に今一度覚悟を問いたい」

 威厳に満ちた父親の問いかけ。

「お前にとって何よりも大切なものは、記者という仕事……そうだな?」

「はい、その通りですわ」

 答えは即答だったが、もちろん軽い気持ちではない。

 真剣な気持ちがぶれることなく伝わるように、真っ直ぐ高槻の目を見つめて告げた。

「わたくしは、この仕事に生涯を捧げるつもりですわ」

「よくわかった……ならばこれを」

 高槻は、月明かりにキラリと光る、小さな金属製の何かを日向子に差し出した。

 レースの手袋をつけた、日向子の手にそれは手渡される。

「これは……」

 鍵だった。

 見覚えのあるものだ。

 日向子が自分の手で開け閉めをしたことはないが、どの部屋の鍵かはわかる。

「……行ってみなさい」

「……はい」


 ギュッと鍵を握り締めた。










 その鍵を飲み込み、カチリと音を立てる鍵穴。

 それはやはり、ゲストハウスのものだった。

 すべての始まりの場所……その扉を今、ゆっくりと開く。

 部屋の中は薄闇に沈んでいる。

 うっすらと闇照らすものは、テーブルの上と壁際にいくつか飾られたキャンドルの光と、大きな窓から差し込む月明かりだけ。

 それなのに、まるで自信が銀色の光を放っているかのように、窓辺に立つ彼の姿はくっきりと、鮮やかに見ることができた。

 どこか物憂げな眼差しをこちらに投げ掛け、彼は微笑している。


「やあ」


 静かな声。


 あまりにも短いその一言を聞いただけで、日向子はへたりこんでしまいそうだった。

 なんとか立っていることはできたものの、金縛りにでもあったように動くことができない。

 声すらも出せない。

 ただ気がつけば、何故か一筋、涙がほほを伝っていた。

「……何故泣くのですか?レディ」

 気取っているようで、他人を小馬鹿にしているようで、少し優しい……不思議な言葉。

「伯爵様……!」

 この世界に2人といない、唯一無二の銀色の吸血鬼。

 雲に隠れ、見えなくなっていた月がゆっくり姿を現したように、彼が再びそこに立っていた。

「いや……伯爵は廃業したので、単なる高山獅貴さ」

「何故、ここに……?」

「君に会いたくてね」

「……」

「ふふ、疑っている顔だ。可愛いな。
……先生は言ってなかったかい。仕事の話をしに来たんだよ」

 仕事の話……思いがけないことだった。
 だが、確かに高槻は、鍵を渡す前に日向子の仕事に対する覚悟を問うてきていた。

 高山獅貴には以前、自分の下で働く気はないかと誘われたことがあった。
 しかし今や高山獅貴の所有していた会社は全て他人の手に渡り、BLA-ICAのプロデュースも離れてしまっている。

 この上の「仕事の話」とはなんだろうか。

 戸惑う日向子に、高山獅貴は小さく笑って歩み寄ってくる。
 そして、こう言った。

「……本を、書いてくれないだろうか」

「……本?」

「そう……本だよ。私のことを本にしてくれないか?」

 高山獅貴の本……?
 日向子は驚きに目を丸くした。

「何もかも包み隠すことなく、削り落とすことなく……私の全てを、ね。
長い仕事になるだろうが……出来れば君に任せたい」

「何故、わたくしに……自著という形ではいけないのですか?」

「私本人の言葉よりも、第3者の言葉として記されたもののほうが、伝説の記録には相応しいとは思わないか?」

 伝説の記録……。

 そうまさに、彼の半生は伝説だ。

 表舞台から忽然と消え去った今でさえも、人々の心の中で伝説は綴られていく。

 虚も実も飲み込んで。

「やってくれませんか? 森久保日向子さん」


 そっと差し出された手。日向子はその手をしばらく見つめ、やがてゆっくりと、自らの手を重ねた。


「……書きます」


 指と指がわずかに絡む。

 彼の手はいつもひんやりして冷たい。

「わたくしに書かせて下さい」

 しかし、包み込むようにして握られた手には微かな温もりが感じられた。

 伯爵は満足げな笑みを浮かべ、日向子の手を放した。

 自由になった手に、寂しさを感じしまう。

 自由な空に放たれながら、鳥籠が恋しくて、舞い戻ってしまう小鳥のように……また戻って来てしまったのだろうか。

 卒業した筈の憧れ。
 過去になった筈の想い。

「覚えているだろうか……」

 不意に高山獅貴は口を開いた。

「……夢を叶えたらどうするつもりですか、と君は尋ねた」

「はい……覚えています」

 幾つかの真実を彼の口から打ち明けられた、あの再会の日に。

 確かにそんな疑問を投げ掛けた。

「ようやくその答えを考える余裕が出来た。
あくまでも考える余裕が出来た、というだけで、全く答えは用意出来ていないがね。
……その本の原稿が出来上がる頃には、何かひとつくらいは掴んでいるかもしれない」

「そうですか……では、本の最後を締め括るのは、その答えになるかもしれませんわね」

「……ああ。そうかもしれない」

 そう言って笑う高山獅貴は、もともと年齢不詳だったが、更に若々しい顔に見えた。

「命のあるうちにやってみたいことは、色々とあるにはあってね……まだ訪れていない国に行ってみるのもいい。まだ触れたことのない楽器を奏でるのもいい。絵を描いてみるのももいいな。
それから……一度くらい結婚しておいてもいいかもしれない」

「けっ、結婚ですか!?」

 サラッと口にした言葉に、思わず大きな声が出てしまった。

「まあ、こればかりは俺の一存では難しいからなあ……適当な相手が見つからなかったら、君がしてくれるかい?」

「な、何をおっしゃってるんですか!!」

 あまりにも軽い口調で言われた言葉に、滑稽なほど大袈裟に反応してしまい、日向子は恥ずかしさに俯いてしまう。

「……年頃の女性に、そのような冗談をおっしゃらないで下さいませ」

 ましてや、自分にずっと恋い焦がれていた人間に対して、そんな言い方をされては冷静でなどいられない。

「では、冗談で済むように祈っておいてくれればいい」

「おっしゃっている意味がわかりかねます!」

 冗談で済むように?

 冗談で済まないことがあるとでもいうのか。

 問い詰めても意味をなさない。

 それは未来の話。

 まだ決まっていない「答え」の話。

 ただひとつだけわかっていることは、少なくとも本の原稿が出来るその時までは、彼と離れることはできないということだ。


「では、よろしく頼むよ……レディ?」











《END》
「Hi♪」

 肩の上に、手が乗っかってきた。

「音楽室って、どこ?」

 質問に答えるより早く、その手をふりほどいた。

 夏のある日、渡り廊下の真ん中で、あの男は馴れ馴れしく声をかけてきた。

 他の男子生徒より頭2つ飛び出した体躯。
 金色の髪と藍色の目。
 只の詰襟がまるで軍服のようだったのを覚えている。

 ああ、これか。
 噂の留学生は。

 特徴的過ぎる。
 すぐにわかった。

「あっち」

 短く答えて、窓の外を指さして見せた。

「あっちって?」

「西棟」

「何階のどの部屋?」

「4階の突き当たり」

「どっちの突き当たり?」
「階段上がって右の突き当たり」

「ここからはどうやって行けばいいの?」

「……」

 簡潔な説明方法を探して一瞬答えに窮したその刹那、

「案内、してよ」

 手を掴まれていた。

「いいよね?」

 軽くムカつくくらい白くて、綺麗な手だった。

「……いいけど」



 「めんどくさいやつに捕まった」、と思った。

 そう。

 「捕まった」んだ。









序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【1】








「大丈夫ですか?」

「え?」

「……少し顔色が悪いようですが」

 いけない。
 仕事中なのに。

 マキナは軽く首を左右して見せた。

「何でもないんです。続けて下さい」


 思考をジャックしていたのは、明け方に見た夢の残像。

 8年も前のことを、どうして今更夢になんて見てしまったのか。

 たかが夢で、いまだにこんなにも動揺してしまう自分はなんなのか。

 まったくもって腹立たしいことばかりだった。

「いいえ、少し休憩にしましょう。お茶を淹れましょうね」

「あ、私がやります」

 慌てて立ち上がろうとしたマキナを、軽い手の動きで制し、マキナの「新しい上司」は応接室を出て行ってしまった。

「……はあ」

 マキナは革張りの椅子に深く腰掛け直し、盛大に溜め息をついた。

 新しい職場で本格的に仕事を始める初日だというのに、こんな調子でいいわけがない。

 仕事の話をしてる最中に上の空になったり、いきなり上司に気をつかわせるなんてもっての他だ。

「……もっとちゃんとしなくちゃ……」

 一週間。
 たった一週間だったが、完全に仕事から離れた空白の時間を過ごしたことが、歯車をひとつ、狂わせてしまったのかもしれない……マキナはそう考えていた。

 短大を卒業して、この業界に入ってから5年。
 思えばガムシャラに突っ走って来た。

 芸能界、音楽業界といえば華やかな響きだが、華やかな世界のけして華やかではない裏側で奮闘する、アーティストマネージャーという仕事こそがマキナの選んだ職業だった。

 それでも、大手というほどではないが、名の通った音楽事務所に就職して、順風満帆というほどではないが、それなりに自信の持てる仕事を幾つかして来た。

 ところがその事務所がこの春、経営者の大変個人的な事情で事実上消滅した。

 「個人的な事情」とは一体なんなのか十分に説明されることなく、所属アーティストもスタッフも、事務所の持つ色々な権利もバラバラに切り売りされて、散らばってしまった。

 法に訴えたら勝てそうな状況だが、スタッフが誰も訴えなかったのは、各々に破格の退職金と、再就職先の厚遇があったからだった。

 マキナもまた、未だかつて見たことのない数列を刻まれた預金通帳に驚嘆しつつ、紹介されたこの新しいオフィスで再出発することになった。

「お待たせしました。コーヒーでよかったですかね?」

「あ、はい。ありがとうございます。頂きます」

 テーブルにコーヒーカップと焼き菓子の載った皿とを並べる仕草が、まるで漫画に出て来る執事のように様になっている、この眼鏡をかけた男性。

 彼がここ「フジムラ・エージェンシー」の社長であり、著名な音楽プロデューサーでもある藤群高麗(フジムラ・タカヨシ)だ。

 年の頃は恐らく30代後半くらいの筈なのだが、外見はまったくもって年齢不詳。

 派手ではないが、品の良い仕立てのグレーのスーツ(高級ブランドのものだろう)に身を包み、背中にかかる長さで緩いウェーブのかかったマロンブラウンの髪を左の肩口で結わえている。
 かけている眼鏡のフレームは黒かと思っていたが、角度が変わると光の反射で、深い紫に見えた。

 前の事務所の社長もたいがい若く見えたものだが、この人ほどではなかったかもしれない。

 加えてこの柔らかい物腰に、優しげな微笑……どこまでも少女漫画的だった。
 さぞかし女性に人気があるのだろうと思うが、未だに独身で通しているようだ。

 マキナは目の前の人物をつぶさに観察しながら、コーヒーを口に運んだ。
 ほろ苦い香りが広がる。

「マキナさんはブラック、なんですね」

 スティックシュガーの先端を破りながら、藤群が口を開いた。

 マキナは、いきなり「マキナさん」とファーストネームで呼ばれたことに一瞬驚きながらも、

「はい……コーヒーはブラックじゃないと飲めないもので」

 と、答えた。藤群は更に重ねて問う。

「では紅茶も、ストレートがお好きなんですか?」

「!」

 カップを握る手がほんのわずかに揺れて、琥珀色の水面が波打つ。

 記憶の扉のひとつが、微かに動き、隙間が生まれる。


――紅茶はストレートで飲む以外ありえないね。……ミルクやフレーバーを加えるなんて、紅茶に対して失礼じゃないか。


 夏の日差しの下。
 他愛もない会話。

 ああ、だから。
 思い出してどうする。

 くだらない男のことなんて……。


「……紅茶は、ミルクを入れます。ストレートでは飲みません……」

「そうですか。私と同じですね」

 言いながら藤群は、コーヒーにもたっぷりミルクを注ぐ。ほとんどカフェラテと呼んで差し支えないような状態だ。

 それを一口飲んで、藤群は満足そうにひとつ息を吐く。

「雇用契約に関しては、お渡しした書類と先程お話したことでだいたい全てです。
待遇について、あなたの今までのキャリアと実績を十分考慮したつもりですが、いかがでしょうか」

「ありがとうございます……ここまで厚待遇で迎えて頂けるとは思っていませんでした」

「私としても今このタイミングで、若くて能力のある方に来て頂けて、とても嬉しく思っています」
 
 思わずこそばゆくなってしまうような賛辞を嫌みでもなくサラッと口にしながら、藤群はまた、にっこりと微笑む。

「新しいプロジェクトには、あなたのような人材が必要だったんです」

 新しいプロジェクト……マキナはカップを置き、何枚も束になった書類の中から、一枚を抜き出し、視線を落とした。

 その書類の見出しには、大きな文字で『Sternebogen・プロジェクト』と記されている。

 英語ではない、ローマ字の羅列。確認するように、マキナはそれを口にした。

「……シュテアネボーゲン……これは、ドイツ語ですよね」

「直訳すると、星の弓となりますが、これは『星虹(セイコウ)』……宇宙の虹という意味で名付けました」

 『星虹』……理系ではないマキナにはそれが具体的にどんなものか、あまりぴんと来ていなかったが、それでも何かの本で読んだことはあった。

 空に虹がかかるように、ある条件下では、宇宙空間でも虹に似た現象が発生すると考えられていると。

 藤群はとても楽しげに笑う。

「理論上の産物、現実にはまだ誰も見たことのない、幻の虹ですよ……ロマンを感じますよね!」

「はあ……そうですね」

 マキナは若干曖昧なリアクションをしつつ、社交辞令を貫いた。

 だがマキナにしてみれば、名前の意味など大した問題ではなかった。

「すみません、藤群さん……この書類だけではあまりに情報が不足していると思うのですが……」

 マキナがこの「フジムラエージェンシー」で初めて担当することになるアーティスト。

 それが「Sternebogen(シュテアネボーゲン)」というロックバンドだ。

 書類からわかるのは、20代の青年たちによる5人編制のバンドであること。パートの内訳がボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムであること。

 プロデューサーである藤群自身が海外からスカウトしてきたボーカリストをデビューさせるに当たり、本人の希望でバンドという形を取ることになったという経緯。

 2ヶ月後の5月末にデビューシングル発売の予定ですでに各方面動き出していること。

 そんな端的な情報ばかりだった。

「プロデュースのコンセプトや、セールス上の戦略もお聞きしたいですし、マネージャーとしてはメンバー個々の情報も把握しなくては……」

「コンセプトや戦略は特に考えてません」

 藤群はこともなげに断言する。

「全て白紙の状態です」

「しかし、2ヶ月後にデビューなら、すぐにでも楽曲を用意してレコーディングに入らなければ間に合わないのでは……」

「そうですね~……しかしその前にメンバーがまだ決まっていませんからね~」

「はい?」

「実はまだ、ギターとキーボードとドラムが決まってないんですよ」

 あまりにもあっけらかんとした藤群の口調に、マキナは思わず頭を抱えたくなった。

「つまり、ボーカルとベースしかまだ決まっていないと……」

「はい、その通りです」

 同じ業界に5年いたのだ、「藤群高麗」なる人物の人となりについて全く聞いていなかったわけではない。

 かなりマイペースで風変わり、掴みどころのない人物で極めて浮世離れしている……有り体に言えば「変人」だと。

 プロデューサーとしての手腕は業界中に轟いていたが、同時に誰もがその「紙一重」っぷりを噂してもいたのだ。

「残りのメンバーについては、順次オーディションで決定する予定です」

 藤群はこの期に及んで、悪びれもなく「順次」だ「予定」だと悠長な単語を連発する。

「メンバーの選出は、すでに決まっているメンバーたちの意見を最優先にするつもりですが、マキナさん、あなたの意見も是非聞かせて頂きたいですね」

「……わかりました。一刻も早くオーディションを準備しましょう」

 この上は自分が迅速に動くことで、少しでも早く計画を推し進めるしかない。

 マキナは、残ったコーヒーを流し込み、立ち上がろうとした。

「まあそう慌てずに」

 藤群は先程と同じジェスチャーで、マキナに椅子にかけ直すように促す。

「実はもうすぐ、ボーカルとベースの子がここへ来る予定なんです。マキナさんに挨拶をしたいと」

「はあ……わかりました」

 マキナは、促されるまま再度椅子に座り直す。

「おかわりを用意しますから、待ってて下さいね」

 空のコーヒーカップを引き下げて、再び部屋を出て行く藤群の背中を視線で追い、扉が閉ざされたのを確認してから、マキナはまた「はあ」と溜め息をついた。

 このペースに慣れるには少々時間がかかりそうだ。

 それにしても。

 前の事務所の社長といい、今度の人といい……「mont sucht(モント・ザハト)」の元メンバーは、なんて変わった人ばかりなのだろうか。

 そして、なぜこうも自分の人生には風変わりな人物ばかり現れるのか。

 あの、藍色の瞳の主のように……。

 グルリと回った思考が、再びあの暑い夏の記憶に辿り着く。

 長い年月を経て、やっと忘れた筈の過去が、理由もなく今になって頭をもたげてくる。

 振り払おうとしているのに、何故か追憶に浮かぶ、あの憎らしいほど綺麗な笑顔。



 後にしてみればそれは予感だったのだろう。


 コンコン、と応接室の扉をノックしてくる音が響いた。


「……はい」

 半ば条件反射的に返事していた。


「入るよ」


 ドアごしに声が聞こえるのと、扉が開くのはほぼ同時だった。

「Hi♪」

 たった今思い出していた、憎らしい笑顔が、すぐそこにあった。















《つづく》
「Hi♪」

 驚くほど一直線にこちらへ向かって来た。

「次の時間、Japanisch(国語)の教科書、貸してよ」

 日本語ペラペラのくせにわざと母国語を織り混ぜて話すのが鼻につく。

 ただ一昨日、たまたま声をかけられて音楽室まで案内しただけだ。

 それなのに何故そんなに親しげに見つめてくるのだろう。

 藍色の目で。

 そして他の無数の視線が今、四方から突き刺さってきてもいた。
 男女を問わず、教室中のほとんどの人間がこちらを見ていた。

 やめてほしい。
 誤解しないで。

 冗談じゃない。
 こんなもの。

「……なんで私に言うのよ。友達でもないのに」

 藍色の瞳は楽しげに笑う。

「Na und?(だから?) 僕は全く構いやしない」

「私が構うわよ」

「当てにしてたツレが見当たらないんだ。別にいいだろ?」

「よくない。よく知らない人には貸したくないの」

「Ja? じゃあたった今から友達になろう」

「遠慮します」


「Schade(残念)……じゃあ、恋人でも構わないよ」


「……は?」


「君はなかなか可愛いし、僕はすごくいい男だからそれでも構わないよね」

 わからない。
 ドイツ語混じりだったからではなく、そんな言葉をあっけらかんと言い放つこの男の考えていることがわからない。

「だから教科書、貸してよ」

 ただ忘れ物をしただけでしょう?

「いいよね、Mein schatz?(ダーリン?)」

 どうかしてる。
 なんなんだこいつ。

「……っ、もういいからコレ持って自分の教室戻ってよっ」


 国語の教科書を鞄から引っ張り出して、思い切り投げつけてやった。

 無駄に端正な顔面に当たって落ちた教科書をキャッチして、奴はまた、小さく笑った。

「Ja♪」









序章 いつかその目に映る虹―Sternebogen― 【2】







 そうだ、忘れようがない。

 「教科書を貸してほしいから恋人になれ」と、そう言った男だ。

 マキナの、あまり明るくない青春時代において、唯一無二の強烈なインパクトを残した……奴のあの腹の立つ笑顔が、時空を超越したかのように目の前にあった。

「……アイ、ン……?」

 信じられない。
 いくらなんでもこれは……。

 目を見開いて固まるマキナに、男……アイン・ライスフェルトは、驚く様子もなく口を開いた。

「オリカサ・マキナってやっぱり君か」

 他人のそら似などではないのだと。

 紛れもなくその人なのだと。

 そう証明する言葉だった。

「……君が僕のManager(メニジャ)に、なってくれるんだって?」

「アインの、じゃない。マキナは『Sternebogen(シュテアネボーゲン)』のマネージャーだろう」

 呆然としたまま、物も言えないマキナに静かに追い討ちをかけるかのように、もう1人の青年が彼の後ろに現れた。

「また面倒をかけるが、よろしく頼む」

 左耳にピアスを開けた、小柄で無愛想なつり目の青年……。

「……え?」

 それは確かに記憶の中に存在していた。

「嘘、渕崎(フチザキ)くん……?」

「おや、揃っていましたか。念のため4人分用意した甲斐がありましたね」

 このタイミングで戻って来た藤群は、

「……何かありましたか?」

 室内に漂う何やら異様な空気を察して、3人の顔をそれぞれ見渡した。

 マキナは相変わらず驚き顔で固まっており、アインはにやにや笑っていた。

 もう1人のポーカーフェイスの青年は、至極冷静な口調で答えた。

「藤群、マキナは今、自分の担当するバンドのボーカリストとベーシストが、高校時代の交際相手と同級生だったことを知って驚いているところだ」

「はあ……?」

 何のことやら意味がわからない、という顔をする藤群と対照的に、マキナはさーっと我に返っていった。

 彼の言葉は簡潔に、明確に今の状況を言いあらわしていたからだ。

「『Sternebogen』の……メンバー、なの? ……アインと渕崎くんが……??」



















『リサ@花粉前線上等↑↑:そっかー、すごいじゃん。世の中、広いようで狭いよねえ』

『マキナ@引越し完了★:感心してる場合じゃないって……! 私これから連中と同じ職場で毎日のように顔を合わすことになるんだから!』

『リサ@花粉前線上等↑↑:確かに気まずいよね、元カレと、付き合ってた当時を知ってる共通の友達ってことでしょ??』

『マキナ@引越し完了★:……ありえないよね、やっぱり』

 モニターに映る「書き込んでいます」の表示を見つめながら、マキナはまた深く深く溜め息をついた。

 新しい部屋に引っ越して、ようやくネットが繋がって、2週間ぶりのリサとのメッセが盛大な愚痴の連発になるとはさすがに思わなかった。

 思えば2週間前も、前の事務所のことで盛大な愚痴を聞かせてしまっていたことだし、流石に申し訳ないような気もしたが、誰かに愚痴らなければやってられなかった。

 顔も知らない、ネットだけで繋がった女友達は、愚痴の相手としてはこの上なく便利な存在とも言えた。

 まだ荷解きの半分終わっていない段ボールの積まれた1DKで、悶々としたまま、ぶつぶつ夜明けまで独り言を続けるよりは、いくらか健全だし、建設的な行為だった。

 リサの言葉は前向きで、いつも励まされる。


『リサ@花粉前線上等↑↑:いっそのこと、ヨリ戻しちゃえばいいじゃん』

 前向き過ぎることもなくはなかったが。

『マキナ@引越し完了★:絶っっっ対無理!!』

『リサ@花粉前線上等↑↑:なんで??』


「なんで、って……」


『マキナ@引越し完了★:嫌いだから。あんな最低なやつ。たった1ヶ月とはいえ、付き合ったこと自体後悔してるんだよ、私!』


 1ヶ月……自分がキーボードで打ち出した言葉だったが、改めて考えると本当に短い時間だ。

 短い時間だが、アイン=ライスフェルトと折笠マキナは確かに恋人同士だった。

 思い出したくなくても。

 認めたくなくても。

 それは事実だった。


『リサ@花粉前線上等↑↑:でも、そんなこと言いつつ、仕事は引き受けるつもりなんでしょ?』

『マキナ@引越し完了★:まあ、ね……仕事は仕事だから……』


 本当は明日にでも言うつもりだったのだ。
 「この仕事を下りさせて下さい」と。
 せっかく期待をしてくれた藤群には悪いと思ったが、いくらなんでもこんな状況ではきつ過ぎる。

 しかし、言えそうもなかった。
 いや……言うつもりがなくなったというべきか。

 視線をモニターから少しだけずらす。

 マウスの脇に無造作に置かれた、白いミュージックプレイヤーが目に入る。

 そのイヤホンをそっと、耳につけて、その中に保存されたたった一曲を再生する。

 動揺するマキナに「今日はもう帰って構いませんが、落ち着いたらこれを聞いてみて下さい」と言って、藤群が手渡したそれは、ドイツのアンダーグラウンドでひっそりと活動していたというアインの唄う歌だった。

 ピアノの伴奏に合わせて紡がれる、ドイツ語のバラード。

「ムカつく……」

 日本でも屈指の名プロデューサーを唸らせ、虜にしたというその、歌声。

「……アインのくせに」

 とろけるほどに甘く、酔いしれるほどに艶のある、それでいてせつなく、鼓膜を包む。

「……なんて、いい声してんのよ」

 まともな耳をしていれば、素人だってわかる。

 これは、売れる。
 間違いなくものになる。

 アイン=ライスフェルトは間違いなく、将来音楽業界を席巻するシンガーになる……売り込み方さえ誤らなければ、必ずだ。

 そんな金のタマゴを目の前に差し出されている。

 温めて孵すのを手伝ってくれと。

 そう言われているのだ。

 アーティストマネージャーとして、これほど魅力的な仕事があるだろうか。


「……こんなチャンス、きっと2度と来ない……」



















「よかった、引き受けてもらえるんですね」

「はい……是非、やらせて下さい」

 翌日、昨日と同じ部屋で、マキナは藤群に正式にマネジメントを引き受ける旨を伝えた。

 すでに全てを察している様子の藤群は、心底安心したふうだ。

「……よかったでしょう。アイン君の歌は」

「はい……正直、驚かされました。藤群さんが選んだだけのことはあります」

 素直に感想を伝えると、眼鏡の奥の瞳が満足そうに笑った。

「貴女ならわかってくれると思いました。……高山獅貴(タカヤマ・シキ)の推薦するマネージャーですからね」

 高山獅貴は、マキナにとっては以前の雇用主にして上司、藤群にとっては昔の仲間……業界から突如姿を眩ましたカリスマミュージシャンだった。

 そんな大それた人物を引き合いに出されるまでもない……あの音源を聴いて、わからないようならもはやこの業界にいる資格がないだろう。

「しかし、何故藤群さんは彼をバンドのボーカリストとしてデビューさせようと考えたんですか?
ソロでも特に問題はないと思うんですが……」

「それには……まあ、いくつか理由があるのですが」

 藤群はクスリ、と微笑む。

「僕の趣味、と言ってしまえばそれまでかもしれません」

「はあ……」

 やはり藤群高麗は相当風変わりな人物のようだ。

「そうそう、バンドのメンバーですが」

 不意に話の矛先は、空席になっているバンドメンバーの問題へと動く。

「知り合いのつてで、ギタリストを2人紹介されましてね」

「ギタリスト……2人、ですか」

 確か「Sternebogen」のメンバー構成は、ボーカル・ギター・ベース・キーボード・ドラムで5人。ギターはツインではない筈だ。

「どちらか1人を正式にメンバーとして迎えるんですね」

「どちらを選ぶか、あるいはどちらも選ばないか……貴女や、あの2人にも一緒に考えてもらいたいんです。
急で申し訳ないんですが、本日の夕方、都内のスタジオで直接会ってみることになりました」

「急でちょうどいいです。残りのメンバーの選出は、さしあたっての急務ですしね」

 私情を捨て、一旦腹をくくったからには、このプロジェクトを必ず成功に導かなくてはならない。

 プロデューサーである藤群がバンドで、と決めたのならバンドという形で、あのボーカリストを売り出さなくてはいけない。

 それが自分の役目。

 失敗は許されない。

 「二度と」は許されないのだ……。

















「Tag(やあ)、マキナ。お迎えご苦労様」

 アーティストを車で迎えに行くのも、マキナの大切な仕事だ。

 指定されたカフェの前で待っていたのはアインひとりだけ。
 渕崎翠人(フチザキ・スイト)はバイクで現場に向かうということだった。

 2人きりでいるよりは3人でいるほうがいくらかマシだったのだが、仕方がない。

 後部座席に乗り込んで、嫌みなくらい長い脚をもてあまし気味に組み、ふんぞり返っているアインを、ミラーごしに軽く睨む。


「タークじゃないわよ、タークじゃ。一応あんたも業界人のはしくれなんだから、挨拶は『おはようございます』にしてちょうだい」

「じゃあ他の人にはそうするよ」

「私にもそうしなさい」

 線を引きたい。
 なるべく太くて、消えない線をここに、引きたい。

「僕と君の仲なのに?」

 線を踏むんじゃない。
 その足を、どかして。

「アイン……最初に言っておくわ。
私とのこと、人前では絶対に話さないでほしいの」

「Ja?」

「渕崎くんはもともと知ってるし、藤群さんにもバレちゃったけど……それ以外の人には秘密にするって約束して。
じゃなかったら、あんたとは仕事ができない」

 ミラーに映った金髪の男は、やはりミラーごしにマキナを真っ直ぐ見つめ、腹の立つ美声で一言、呟いた。

「Jawohl,Mein manager(了解です、僕のメニジャさん)」











《つづく》
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