「……さあ、選んでよ」
彼は促す。
彼が「大切な話」をする……正直、どちらの言葉でも構わない。
けれど、彼がどちらかを選んでくれと、そう言うのであれば……。
日向子はゆっくりと、蝉の手ごと左手を持ち上げた。
「……わかった。じゃあ、ちょっと待って」
日向子の右手を解放し、左手は握ったまま。
日向子のすぐ後ろで、カチャカチャ音がしていた。
彼は右手だけで器用にウィッグを外し、眼鏡をかけているのだろう。
「……お待たせ、致しました」
同じ声の筈なのに、全く違って聞こえる落ち着いた口調。
「雪乃……」
自然にその呼び方が口をつく。
左手は日向子の手を取ったままで、雪乃は日向子の左側に身を移し、大仰な身振りでそこにひざまずいた。
日向子の左手を優しく引き寄せて、その甲に口付ける。
「……ずっと恋焦がれておりました。
もし許されるならば、あなたの心をこの私に預けて頂けないでしょうか……」
女神の審判を待つように、彼はその目を閉じる。
「あなただけに、生涯変わらない愛を捧げます」
それが彼の「大切な話」。
とても彼らしい、愛の告白。
それは日向子が、ずっと待ち望んでいた言葉だった。
伯爵から卒業したあの日から、温めていた想いを受け止めてくれる愛しい言葉。
「……いてくれるのね、私の側に、ずっと」
「……あなたの望む限り」
「……わかりました」
日向子は頷き、愛しい人の顔を真っ直ぐに見つめた。
「わたくしの心は、あなたに預けます」
日向子の答えを受けて、雪乃はゆっくりとその目を開いた。
「……ありがとうございます」
そして、甲のほうを上にしていた日向子の左手を、おもむろに裏返した。
「……ご存知ですか? ヨーロッパの社交界では、最愛の方にダンスを申し込むときは、手の甲ではなく、手のひらにキスをするということを」
「手のひらに……?」
「これから踊る方は、社交辞令の挨拶ではなく、特別な方なのだと……印を示すために」
そして日向子の手のひらに、今、その印が降りる。
これから始まる長い長いワルツを、ともに踊るパートナーから。
《スノウ・ドーム》を出た2人は、生まれ変わって新しい季節を迎えようとしている、その場所を外からもう一度眺めていた。
この場所が新しくなるように、2人の関係も新しいものに変わっていく。
変わらないものをその中に秘めたままに。
感傷に浸る雪乃をしばらく見つめていた日向子だったが、ふと悪戯心が沸き起こる。
「雪乃!」
「……はい、お嬢さ……なっ、何を」
期待通り、雪乃はギョッとしていた。
無防備だった彼の腕に、そっと自分の細い腕を絡める。
「恋人同士ですもの、このくらいするのは普通ではなくて?」
「……それは、そうですが。しかし、お嬢様」
「まあ、誓いを交わした相手を《お嬢様》などと呼ぶのはおかしいですわ。
……日向子ちゃん、とでも呼んではどう?」
雪乃は気の毒になるくらい顔を真っ赤にしている。
「……それは、私の役割ではありませんから」
「ふふ、そうだったわね」
雪乃はひとつ咳払いをして、何とか気を取り直して日向子を見つめた。
「……私は、あなたのお気に召すまま……望まれる形の愛を示しましょう。
あなた次第で、何色にも染まることができますから……」
日向子はそれに微笑み、また沸き起こる悪戯心に任せて、彼の眼鏡に手を伸ばした……。
どんな形でもいい。
どんな順番でもいい。
2人が一緒にいられれば、どんな未来でもハッピーエンドになる。
《END》
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