道玄坂プロポーズ事件。
これを知っているか知らないかで、heliodor(ヘリオドール) のファンは新規と古株に分けられると言われる。
そしてこれは偶然にもその歴史的現場に居合わせてしまった男の物語。
東京の空を初雪が舞った、その寒い夜。
釘宮漸(クギミヤ・ゼン)はまだ蝉(ゼン)ではなかった。
#4・【蝉 ―2000・冬―】
「クギミヤ? 釘宮漸……って名前だったのか、お前」
ああ、また聞かれるかな? と思った。
「ピアニストの釘宮高槻(クギミヤ・タカツキ)の親戚か何かか?」
漸はいつも通り、
「……違いますよ♪」
と軽く返事した。心の中で「今はまだね」と付け足しながら。
「そうか、よくある名字ではないからもしかしてと思ったが」
「よく聞かれるんですケド、そんなわけないじゃないっスか」
「まあな……」
今日のクリスマスイベントのトリを飾るバンド・《foi(フォア)》は、たった今リハを終えたところだった。
このバンドの正式メンバーではない漸ではあったが、まさか本番当日まで名前を覚えてもらっていないとは思わなかった。
もっとも中抜けして入ったこのファーストフード店でこうして向かい合わせでハンバーガーにかじりつくまで、まともにメンバーと食事をしたことすらなかったのだが。
「大体お前は付き合いが悪すぎる。ミーティングにも滅多に参加しないし、練習が終わればあっという間に消える」
「それはその~、おれってばいつも予定ぎっちりなんですよ……だから~」
「苦手なら無理に敬語を使うな。タメなんだろ」
「え、いいの? サンキュ☆粋ちゃん」
「ちゃん、はやめろ。ちゃん、は」
見た目も中身も男前ではあったが、《foi》のベーシスト・粋(スイ)は女だった。
四人編制のバンドの中で女なのは粋ただ一人で、他のメンバーと行動をともにせず、何故か彼女はいつも一人だった。
だから漸も思わず、こうして誘ってしまったのだが。
昔から、群れからはみだしてぽつんとしている人間を見つけると構いたくなる性分なのだ。
お節介だとはねのけられることも少なくなかったが、それでも漸のクセは直らなかった。
幸い粋は漸を疎むことはなかった。
「お前、いくつ掛け持ちしてるんだ」
「13……かなぁ」
「13……? 全部サポートなんだろ?」
「そう」
「1つのバンドに腰をすえる予定はないのか?」
これもまた、よく投げ掛けられる質問だった。
「おれは……そんなにマジでやってるカンジじゃないし……」
「マジでやってるカンジ、になってみたらどうだ。お前はなかなかいいぞ」
この寒いのにLサイズのコーラを飲みながら、粋は半分説教でもするように言った。
「技術はまあまあだし、少なくとも、うちの男どもよりはずっと面白いプレイをする」
「そんなこと言っちゃっていいの?」
「ああ。嘘を言っても仕方がないだろ。お前だってそう思っているんじゃないか?」
「……ぶっちゃけ」
「だろ」
粋は深く溜め息をついた。
「見た目ばかり気にする奴らだ。私のことも、客寄せパンダ程度にしか思っていない」
「いくらなんでもそれはないんじゃない? ……みんな粋の腕を見込んでメンバーにしたんじゃ……」
「この間なんて面と向かって、ボーカルに転向しないかと聞かれたぞ。お前が前に出たほうが客が呼べるからだそうだが?」
流石の漸も頭痛がしそうだった。
「……あのさ。なんで、そんな奴らと組んでんの?」
「好きで組んでいるわけじゃない。何度か見所のある連中に打診したこともある。だが」
粋は自嘲的な微笑を浮かべた。
「女はいらない、と」
「そんな……」
「仕方ないだろ。真剣にやってるバンドなら無用なトラブルを抱えたがらないの当然だ」
確かに、女が入ることで恋愛絡みのイザコザが起きて分裂したりするバンドも少なくはない。
もっと単純な偏見もあるのかもしれないが。
「なめられないようにはしているつもりだがな……半分諦めている」
「いっそギャルバンでも組んだらどうよ?」
「そうだな……それもまあ、いいかな……」
本気かどうかよくわからない返答をしながら粋はまたコーラをすする。
「……降ってきたな。天気予報が当たった」
言われて窓の外を見ると、ちらほらと白いものが降りてきていた。
「おお、ムードあるじゃん、いいねいいね♪」
「そうか? 私は雪は嫌いだ。引退したら余生は雪の降らない街で暮らしたいもんだな」
「余生って……いっくらなんでも今からそんなこと考えなくていいじゃん」
「お前が言うのか?」
「え?」
粋が目を細める。
「自分のキャパシティをオーバーするほどのバンドを掛け持ちして、毎日毎日弾き続けて、お前は何か生き急いで見える。余命宣告でもされているのか?」
「それは……」
「まあ、どうするかはお前の勝手だが」
「……どうするか……って」
どうするかは決めている。
というか、決まっている。
約束は守らなければいけないから。
だから、もう。
時間は限られている。
立ち止まっている暇はない。
しかし。
本当にそれで、いいのだろうか……?
イベント本番はつつがなく進行し、foiの演奏も残すところ一曲となった。
ボーカルの長いMCの間、粋はタオルで汗を拭きながらキーボードのところへ下がってきた。
「……お前、演奏中はバカに見えないな」
「えぇ~、それじゃ普段おれがバカみたいじゃん」
「それはボケか? ツッコんでほしいのか?」
「いいんだケドさぁ……」
粋が近くにいると、オーディエンスの視線が自分のほうに集まってくるような気がする。
ボーカルの大して中身のないMCなどみんなどうでもいいのだろうか。
誰もが感覚的にわかっているのだろう。このステージの主役が誰なのか。
他愛ない話をしている間に、ボーカルの長話は終わろうとしていた。
「さて、戻るか」
粋がポジションに戻っていくのを目で追っていると、漸は客席に妙なものを見つけた。
「……なんだあれ。あの赤いの」
漸や粋のいる下手側の壁際からなんだかすごい目付きでステージを睨んでいる赤い長髪の男がいる。
客の99パーセントが女しかいないせいもあり、やたらと目立って見えた。
「ちょっと待ってくれ、私は聞いてないぞ」
粋の声で意識をステージに引き戻された。
気が付けばなんだか客席全体がキャーキャーうるさいことになっている。
赤いの、に気をとられていたとはいえ、それに一瞬気付かなかったとは自分で信じられないほどのお祭りぶりだった。
一体、何が起きた??
「ほら~、みんな粋の唄聞きたいって言ってるから」
「嫌だ。誰が唄うか。私はベーシストだ」
無理矢理マイクを押し付けようとするボーカルと、拒絶する粋のやりとりで、漸はついさっき粋が話していたことを思い出した。
「……信じらんない……接待カラオケじゃないっての……」
漸は思わず小声で吐き捨てて、前に出ようとした。
が。それより先にずんずん前に出てくる奴がいた。客席から、ステージに向かって。人垣を押し退けるようにして。
それはあの、赤いの、だった。
「マイクとギターをよこせ。俺が唄う」
何故か、よく通るいい声だな、などと思ってしまった。
実際はそんな呑気な状況ではない。
なんだかよくわからない奴が勝手にステージに上がってきているは、客席はドン引きして静まり返っているは、メンバーは殺気立ってくるは、もうどうあがいても平穏にイベントが終了してくれるとは思えなかった。
「あんたは……?」
あの粋ですら完全に面食らっている。
「自己紹介は後でしてやるよ。とりあえずどアタマにやった曲、もっかいやれ。ギターとボーカルは俺がやってやる」
「やってやる、って、出来るのか??」
「寝惚けたこと言ってんじゃねェ。わざわざ恥をかきにこんなとこまで出てくる奴がいるかよ」
赤いの、はfoiのギタリストに掴みかかる勢いでギターを略取する。やりたい放題だ。
ハコのスタッフは一体何をやっているのだろう?
と思ったが、どうやらこれが意図された「演出」なのかどうか計りかねているらしい。
それくらい現実離れした出来事だし、なにしろ今日はクリスマス。
多少のサプライズはあってもおかしくはなかった。
まあこれが、多少、かどうかは怪しいところだったが。
「ちょっと待てよぉ部外者がなにしてんだよ」
ボーカルの男が食ってかかる。
赤いの、はさっきステージを見ていたのと同じ目付きでボーカルを睨んだ。
「うっせェな、耳障りな卑しい声でわーわー言ってんじゃねェよ。お前こそとっとと消えて無くなれ」
赤いの、が粋の腕を、掴んだ。
「このベーシストは俺が連れていく」
どよめきが広がる。
赤いの、は粋へ振り返った。
「心配するな。きっとすぐにお前は俺について来てよかったと思う筈だ」
「……」
呆然としていた粋は、しばらくしてから苦笑に転じた。
「私を拐いに来たのか?」
「そうだ。俺について来いよ。絶対に後悔はさせないから」
何故か客席から黄色い悲鳴が上がった。
「疲れた……マジ疲れた……」
楽屋に戻るなり漸は椅子にへたり込んだ。
結局一曲どころか時間ギリギリまでアンコールを四回も繰り返した。
もちろんあの赤いの、がボーカルをとった。
歌詞は半分以上適当だったが、メロディは完璧に再現していた……いや、完全に自分のものにして昇華していたと言うべきか。
オーディエンスは完全に、赤いの、を受け入れていた。
それは漸も同じ。
そして……。
「俺と、来るよな?」
「……ああ。拐われてやってもいい」
あんなに楽しそうな粋を見たのは誰もが初めてだったに違いない。
二人がステージで握手をした瞬間は、誰もが思わず拍手していた。
しかし、一緒になって呑気に拍手をしていた漸に、いきなり赤いの、が振り返ったのは思いがけないことだった。
「おい。お前も来たかったら来ていい。どうする?」
「え?」
二人は真っ直ぐに漸を見つめて、答えを待っていた。そして漸は……。
「……俺も、行きたい……かも」
その瞬間を思い出して、漸は一人で笑ってしまった。
道は決まっている筈なのに、なぜあんなふうに答えてしまったのか。
自分でもよくわらない。
わからないが、多分それは本心だった。
「……もうちょっと……もうちょっとだけ寄り道、いいかな……お義父さん」
夜明けを待っていた。
今、待ちかねた太陽が地平線からようやく姿を見せた。
日が昇る。
新しい時代が、ここから始まる。
《END》
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