「はいはい、リズム隊しゅーごー!」
つき抜けるような、耳に優しくない声がスタジオにこだました。
「どうしたの? 蝉。お菓子くれるの??」
「……まったく、やかましい奴やな」
「リズム隊」とくくられた二人は片や不思議そうに、片や迷惑そうに声の主を振り返った。
「はいはい、とにかくこっち来るの~!!」
蝉は、万楼と有砂を半ば無理矢理引っ張って、スタジオの外の自販機の横に並べた。
そしておもむろに、二人を指差してこう言い放った。
「言っとっケド! キミたち絶対に、あのお嬢様記者ちゃんに手ー出しちゃダメだから!」
《僕たちは、彼女と出会った》
「え?? 何それ」
「薮から棒に……何ゆーとんねん。ジブン」
お嬢様記者といえば、この間のイベントライブで楽屋まで直接取材交渉にやってきた、かなり風変わりな新米雑誌記者のことに違いないが……。
「あのお姉さんに手を出しちゃダメってどういうこと? 蝉、あのお姉さんが好きなの?」
万楼の問いには首を横にしつつも、蝉は柄にもない難しい顔をして頭をかいた。
「いや……そーゆーんじゃなくて、さ。おれ的に、あのコになんかあるとヤバイっていうかぁ……路頭に迷うっていうかぁ、むしろ殺されかねないわけよ」
「……はあ?」
有砂はいぶかしげに眉をひそめる。
「……ジブンの知ってるオンナやったんか? アレ。こないだはジブン、顔見るなり逃げ出しとったみたいやったけど」
蝉はいよいよバツの悪い顔つきで、視線を泳がせる。
「……よっちんには昔、話したじゃん……例の……ほら」
「例の……って、まさかあれが、ジブンの?」
「そゆこと」
「ねえ、何の話?」
一人だけ蚊帳の外にされてしまった万楼が二人を交互に見る。
有砂は一つ溜め息をつくと、
「大人の事情や」
めんどくさそうに呟いた。
「……蝉はどうなっても別にかまへんけど、流石にそんな厄介なオンナはオレもお断りや。……万楼もやめとき」
「んー……よくわからないけど、わかった」
これ以上ないくらい曖昧な返答ではあったが、蝉は一応安堵の表情を浮かべた。
しかし万楼は、こう続ける。
「でもさ、お姉さんと友達にだったらなってもいい?」
「え?」
「これから半年間も色々取材しに来るんだしさ、仲良くなるのはいいでしょう? 遊んだりとかして」
蝉は少し首をひねったが、
「ま、万楼ならいいケドさ……」
と譲歩し、
「よっちんは不可で」
とキッパリ言い捨てた。
「……なんや人を危険人物扱いしよって。別にオレはああいうタイプ興味ないし、困らへんけどな」
「よし、じゃあそれで二人は、オッケーってことで」
蝉は「二人は」のところに意識的にアクセントをつけた。そしてゆっくり後ろを振り返る。
その意味を察したリズム隊は揃って視線を同じ方向へシフトする。
「うん、ボクたちはいいとして……」
「あれは一体どうするつもりや? 蝉」
「……ソレが問題だよね~……やっぱ」
あれだソレだと囁かれている問題の人物は、三人のすぐ近く、ロビーのあまり座り心地のよろしくない長椅子の端に座って、壁に頭を預けるようにしながらぼんやりしていた。
ぱっと見ただけではうたた寝でもしているかのようだが、よく見るとたまに溜め息をついたりしている。
「あれからずっとあの調子だもんね……玄鳥は」
「……一応、ギター持ってる時はいつも通りなんやけどな」
「……やっぱ心を鬼にしてあいつにも言っとかないとだよなぁ」
蝉は、よし、と心の中で決意を固めた。
「玄鳥! ちょっとオマエもこっち来て!」
「……」
「ノーリアクションだね」
「聞こえてへんな。完全に」
呆れているのか楽しんでいるのかよくわからない二人を横目に、蝉は再度呼び掛けを試みる。
「おーい! 玄鳥~!?」
「……」
「もしもしぃ? 浅川さん家の綾くん!?」
「……」
「あ、日向子ちゃんだ」
「えぇっ!? ひ、日向子さん!!?」
玄鳥はそれまでが嘘のような素晴らしい反射速度で完全に声を裏返らせながら、半分前のめりで椅子から飛び上がった。
「いるわけないじゃん、こんなとこに。マジ重症って感じ……可哀想に」
「……蝉、さん?」
玄鳥はようやく我に返ったように蝉のほうを見た。
「重症って、何の話ですか??」
「……オマエのコトだって」
ぽかんとしている玄鳥。そこまでの一連の流れを見ていた万楼が、ふと口を開いた。
「大丈夫、ボクは玄鳥を応援するからね」
「え? 何?」
「玄鳥と記者のお姉さんは結構お似合いだと思うよ」
「……ッ」
瞬時に、玄鳥の顔はあまりにもわかりやすく色付いた。
「……お似合いって……そんな……俺は別に」
「遅れてきた春か……よかったやないか」
有砂がふっと小さく笑った。
玄鳥は何か言い返そうとしていたが、それより早く蝉が動いた。
「ちょっ、二人ともそんな発破かけるみたいなコト言っちゃダメじゃん! これ以上本気んなっちゃったらどーするワケ!?」
「本気……?」
玄鳥がぽつりと反芻した。
「え? だってボクは手を出さない約束はしたけど、他の人の恋路を応援しちゃいけないとは別に言われてないし」
「恋路……?」
まるで初めて聞いた言葉のように、玄鳥は繰り返す。
「ダメに決まってんじゃん!!」
「……まあ、そんなに目くじら立てることないんちゃうか。温かく見守ったれや……玄鳥がオンナに惚れるなんて滅多にないことやしな」
「……惚れ……あっ」
そして玄鳥はまるで長い夢が覚めたような顔で呟いた。
「そうか……俺は今……恋してるのか……」
体感時間にして10秒、実際には2秒半ほどの沈黙のあと、三種類の笑い声がロビーに響き渡った。
「……え?」
「あははははは、玄鳥面白すぎるよ!」
「くく……らしいねんけどな、そういうとこが」
「うひはははっ……! ハラいてーっ……やばい、超名言!」
「……あの、なんで笑われてるんだか全然わかんないんですけど……とりあえず怒っていいですか?」
若干引きつっている玄鳥をよそに三人は笑いが収まるまで一頻り大騒ぎしていた。
なんとか落ち着いたところで、蝉は軽く咳払いして、不機嫌な顔の玄鳥の肩に手を置いた。
「残念だケド相手が悪すぎるから。高嶺の花ってのはわかるっしょ? マジで諦めたほうがいいんじゃない?」
「……蝉さんって、一体あの人のなんなんですか……?」
「それは……」
打ち明けるべきか。
打ち明けざるべきか。
蝉が躊躇っているうちに、
「騒ぐんなら中で騒げよ……迷惑な団体だな」
コンビニまで出かけていた紅朱が、ビニール袋を引っ掛けながら戻ってきた。
「建物の外まで笑い声が聞こえてたぞ。何かあったのか?」
その問いだけで、先程の玄鳥の発言を思いだし、三人は吹き出しそうになるのを必死で堪えるはめになった。
「た、大したことじゃないから。兄貴は気にしなくていいよ」
玄鳥は三人を恨めしげに見やりながらもごまかしにかかった。
この上実兄にまで爆笑されてはたまったものではない。
「ま、なんでもいいけどな……それよりお前ら、俺はこの後用事が出来ちまったから、ちょっと抜けさせてもらう。楽器隊だけで練習続けててくれ」
「用事? 随分急だね、リーダー。何かあった?」
「ああ、大した用じゃないんだが、ちょっと森久保日向子の家に行ってくる」
「は??」
一瞬にして、その場にいた全員が言葉を失った。
「別にいいってのに、この前の礼に持ってけって、実家から野菜が大量に送られてきちまって」
紅朱はその空気を察することなく平然と、話し続ける。
「しょうがねェから明日か明後日にでも届けようと思って連絡したら、今日しか都合が合わねェって言うから」
「……兄貴、日向子さんの連絡先、知ってたんだ……?」
「あ? おお、帰り際に携帯教えてったからな。それがどうかしたか?」
「……」
玄鳥は苦手な刺激の強いガムを大量に口に放り込まれたような顔で軽くよろめいた。
「……おい、しっかりせいや」
「ほら、紅朱はリーダーじゃん! だからなんだって!」
左右両脇から思わず支えてしまう有砂と蝉。
それでもまだ紅朱はなんにも気付いていなかった。
「しかし、あの女も随分気に入られたもんだよな。野菜と一緒に入ってたババアの手紙に『あんな素敵なお嬢さんがお前のお嫁さんになってくれたらいいのに』とか書いてあってよ……わけわかんねェ」
「……母さんまで……あぁ……俺、もう無理かも……」
「玄鳥しっかりして。ボクが応援してあげるから」
「……なんでこんなに色恋に鈍感な奴がラブソングとか書けるんやろ……」
「ヤバイじゃん、こんなとこに伏兵がいるとは……」
「は?? お前ら何言ってんだ??」
それはまだ始まったばかりの、あるラブストーリーの小さな欠片だった。
《END》
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