「……番までのチケットをお持ちのお客様ご入場下さい」
「どうぞ押し合わず前へお進み下さい」
「こちらでチケットを拝見致します」
「カメラ、テープレコーダーはお持ちじゃありませんか??」
「ドリンク代500円です……はい、どうぞ」
「今日はどちらのバンドを見にいらっしゃいましたか??」
「……heliodor、です」
《序章 太陽の国へ -Let's go,Rock'n'Role lady-》【3】
キャパシティの1.6倍ほどの人数を飲み込んだライブハウス「渋谷カルテット」。
4バンド目の演奏が終わり、客電がついた。
あとはトリの一組を残すばかりだ。
日向子は、わずかに逆流を始める人波の真っ只中でぴょんぴょん飛び跳ねていた。
一切の段差が存在しないこのライブハウスでは、身長150センチジャストの日向子の視界は完全に閉ざされてしまう。
「皆様……どちらにいらっしゃるのでしょう」
日向子が探しているのは先刻出会ったあの3人だった。
「実は、俺たちもそこに行くんです……だから、きっとまたすぐ会えますね」
どこか恥ずかしそうにそう言った、青年の顔を思い出す。
「……もしお会い出来なかったらどうしましょう。お名前も伺っておりませんし……」
男性客はあまりいないし、3人のうち1人はかなりの長身なのだから、 絶対に目立つと思うが、なぜかそれらしきは見当たらない。
「いらっしゃいませんわ……ワイン色の髪の背の高い方と、薄い桃色の髪のお綺麗な方と、それに黒髪に白いメッシュの……」
確認するようにボソボソ呟いていた日向子は、ふと何かを思い出しそうになった。
「……なぜでしょう……何かが引っ掛かりますわ……」
「誰かを探しているの? お友達とはぐれたのかしら」
明らかに挙動不審な様子だった日向子に、親切にも声をかけてきた女性がいた。
客層からやや逸脱した、少々年配とおぼしき女性で、優しそうな雰囲気だった。
「お友達……になりたい方々を探しておりますの」
「そう。見付かるといいわね」
その笑顔が、なんとなくあの黒髪の青年のそれとダブって見えた。
「あの……もしやあなた様は……」
問掛けは悲鳴にかき消えた。
目の前の風景が闇に溶けて、1秒の半分くらいの間をおいて、甲高い波音を響かせて押し寄せた怒濤が、自分の意思とは関係なしに身体を前へ前へと押し流していく。
「あ……」
一瞬波の隙間で、あの年配女性が倒れかけているのが目に入ったが、日向子はもう波に沈み、運ばれていくしかなかった。
「今の方……大丈夫でしょうか……」
スモークで煙るステージが、人の頭ごしにモザイクのように見え隠れする。日向子は身動きのとれない、他人の体温や呼吸や鼓動がダイレクトに4方から伝わる密集地帯で、爪先が攣るほど必死に背伸びしながら、なんとか可視の領域を広げようと頑張っていた。
本日のトリを飾るバンド……この華やかな狂乱の津波が求めるもの。
heliodor、をその目に焼き付けるために。
そしてギターのサウンドを全面に出したオープニングSEが響く中、とうとうメンバーが姿を現した。
「紅朱~ッ!!」
「マロ様ぁ!!」
叫ぶ声が幾重にも重なって、際限なくボルテージが上がっていくフロアで、日向子だけが爪先立ちでぽかんと立ち尽くす。
「……まあ」
先程いくら見渡しても見付からなかった人たちの姿を、ステージの上に見つけた。
一瞬、人違いだろうかと思ったが、すぐにそれは一転して確信となる。
すぐ隣にいた二人組の会話が耳に届いた。
「ねえ、玄鳥さぁ、右手に絆創膏貼ってない?」
「怪我してんのかなあ」
日向子もまさにそれを見ていた。
右手の甲に絆創膏を貼ったギタリストはまるで誰かを探すように、こちらを見渡している。
「あの方々……heliodorのメンバー様たちでしたのね……!」
どおりで引っ掛かった筈だった。
彼らの容姿の特徴は、資料に載っていた写真と全く同じだったのだから。
私服かステージ衣装か、メイクをしているかいないかの違いがそれに気付かせなかった。
ほの暗い緋色の照明を浴びながら、センターで意識を集中するように斜め下を向いている赤い髪の小柄な青年もまた、昨日カフェで出会ったあの人物。
そうに違いなかった。
「なんというめぐり会わせでしょう……」
ここに到る前にメンバー五人のうち四人と偶然にも出会っていたとは。
実はそれだけではないのだが、少なくとも日向子はそう思っていた。
SEがフェードするのと比例して、フロアはやがて水を打ったような静けさに変わっていった。
そして。
ボーカル、紅朱が顔を上げた。
「Ghost Ship」
ウイスパーボイスでタイトルが告げられた瞬間、再び沸き起こる歓声とともに、歪んだ重低音のイントロが空気を震わせるように鳴り響いた。
疾走感あふれるギターにタイトなビートを刻むドラム、風貌からは想像出来ない骨太なベースのライン、無機質なほど正確に絡み合うそれらの音に、彩りを与える華やかな音色はキーボード。
聞く者全てを強制的にバンドの生み出す世界に引っ張りこむ、畳み掛けるようなスピードチューン。
《まだ許すの? まだ揺れるの?
独り遊びが 思い出せない
君は夜型 彼仕様
泥の船だと 知りながら
降りられない 君
night cruise
航海は 終わらない》
艶を含んだハリのあるボーカルは、甘く耳に心地好い音域。
《言えないから?
癒えないから?
ぬるま湯も 5年浸かれば媚薬
シャドウの藍も 彼仕様
純愛の亡霊船(ゴースト・シップ)
風のない海
dead rock
後悔は 終わらない》
ステージの端ギリギリに立って、マイクスタンドを自在に操りながら唄う紅朱は、このそれぞれに独特の輝きを放つメンバーの中において、誰よりも鮮明なオーラをかもし出す。
間違いなく、このバンドの主役は彼だ。
《ねえ そろそろ
僕と行きませんか?
角度の違うキスと
平手打ちする勇気を 君に》
日向子は息をするのすら忘れるほど、ステージに釘付けになっていた。
「すごい……」
《「馴れ合い」「お芝居」「述懐」
他愛ない 「自愛」
言い訳を全て 論破して
君の弱さは 殺してあげる
残骸は そこに沈めて
海底に 辿り着く頃には
多分 朝に気付く筈だから……》
「あ」
日向子が明確な意識を取り戻したのは、アンコールの第一声が響いた瞬間だった。
すぐに沸き起こるアンコールの嵐の中で、日向子は立ち尽くす。
頭の芯が痺れていて、なんだかぼーっとするようだった。
高山獅貴のライブに行った後も似たような状態になるが、それとはまた違うような気もする。
散らばった思考をかき集めていると、ふと先程の二人組の声がまた聞こえた。
「さっき、途中で倒れて運ばれてた人いたね」
「うん、見えた。結構いいトシのおばさんだよね」
日向子の脳裏に、あの女性の優しげな顔が浮かんだ。
「まさか……」
日向子は、暗転したまま再びメンバーたちが戻るのを待ち続けるステージを見上げて、一瞬悩んだが、意を決したようにそちらに背を向けた。
日向子はまだ人もまばらなドリンクカウンターでミネラルウォーターを引き換えて、物販スペースを横切り、あの女性の姿を探し求めた。
と。
「だから言わんこっちゃないだろうが!」
聞き覚えのある怒声が響いた。
バックステージに向かう通路の扉の前で、今の今までステージに立っていたボーカルの紅朱が仁王立ちしていた。
激しいライブの余韻で、赤い長髪は汗で首筋に張り付き、肩口に引っ掛けた白いタオルとコントラストを描いている。
「ババアにはスタンディングのライブなんて無理に決まってる……だから俺は来るなって言ったんだよ」
紅朱の見下ろした目線の先には、パイプ椅子にしなだれかかるように座ったあの女性だった。
心なしか青い顔をしている。
「……ごめんね、お兄ちゃん」
少しかすれた囁き。
やっぱり、と日向子は思った。
あの女性は兄弟の母なのだろう。
女性的な柔らかい雰囲気ではあるが、よく見れば顔のパーツが二人によく似ている。
「……綾ちゃんもね、最初はすごく反対したんだけど……母さん、どうしても二人のやっているバンドが見たかったから無理を言って頼んだの……だからお兄ちゃん、綾ちゃんを叱らないであげてね」
紅朱は渋い顔をしたまま、深く溜め息をつく。
「あんたになんかあったら……ジジイに会わす顔ないだろ。頼むから、無茶するなよ……」
「……父さんも本当は来たかったみたいよ」
「……まさか」
「本当よ。確かに昔は父さん、二人が音楽の道に進んだこと、よく思ってなかったかもしれない。だけど今は応援してるのよ」
「……そんなわけねェだろ……だって俺は」
紅朱の、ステージの上で観客を堂々と煽っていた姿からは想像もできないような、どこか悲しげな顔。
それは日向子の胸を少し締め付けた。
「……我慢なんて、しなくていいの」
紅朱の母は苦しげながらも、優しく微笑んだ。
「お兄ちゃんも綾ちゃんも、私たちの自慢の息子……あんなにかっこいい姿見たら、ますます鼻が高いわね」
「……ありが、とう」
ぎこちなく感謝を口にする様は、不器用な優しさを感じさせた。
「……紅朱様」
とっさに呼び掛けていた。
驚いたように振り返る紅朱。
「げッ、昨日の……っていうか、なんでいる? 見てたのかよ!」
顔を赤くしてうろたえる息子を、母親は微笑ましいものを見るように見ていた。
日向子は二人に歩み寄り、いきなり頭を下げた。
「昨日のこと、申し訳ありませんでした」
「……あ?」
「紅朱様はお言葉こそ乱暴でいらっしゃいますが、お母様思いの優しい殿方でしたのね」
「な、何言ってんだ、お前……やめろ。俺はそういうキャラでは売ってねェ」
タオルで赤らんだ顔を半分多いながら顔を背ける。
「紅朱~、そろそろ出ないとお客さんはけちゃうかもしんないよ~」」
バックステージのほうからメンバーの一人、アップにしたオレンジの髪が鮮やかなキーボードの蝉がやって来た。
「ってちょっとちょっと、何こんな時に女のコナンパして……」
目が合った瞬間、蝉はまるで幽霊でも目撃したような顔で硬直した。
「おじょ……!?」
「はい?」
「……こ、紅朱ッ、とにかく早く来てッ」
尻に火がついたような勢いでUターンしてステージ裏に去ってしまった。
「なんだ、あいつ……」
紅朱もいぶかしがりながら、それを目で見送ったあと、
「ババアは椅子に座って袖からステージ見ろよ……それと……まあ、いいや。お前も一緒に来い」
と日向子に顎で通路を示した。
「よくわからないが、うちのギタリストが、昨日の女に会ったらVIP待遇にしてやれって言うんでな」
《つづく》
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