「とても……信じられないようなことだけど」
万楼はそう前ふりして、言葉通りの衝撃的な事実を告げた。
「玄鳥が新しく加入するバンド、《BLA-ICA》にはね……粋さんと、うづみさんがいるんだ」
日向子と美々は絶句して、万楼の端正な顔を凝視した。
粋と言えばもちろん、初代・heliodorのベーシスト……そしてうづみは、蝉の幼馴染みで、一時期有砂と美々の父の新しい婚約者だった人。そしてheliodorのコピーバンドのドラマーでもあった。
いずれもheliodorのメンバーにとってはゆかりある女性たちであるが、その彼女たちがどういう経緯で高山獅貴の新しいバンドに入ることになるというのか。
意味がわからない。
「玄鳥が言ったんだ。だから嘘みたいでも本当の話」
万楼は、長い睫毛を伏せて呟くように続ける。
「……玄鳥は絶対に嘘がつけない性格だからね」
《第11章 日蝕、そして…… - BLACK-ICAROSS -》【4】
「玄鳥とはあれから連絡がつかないんだ……うづみさんも、スノウ・ドームの管理は代理人立ててるみたいで留守なんだ……蝉でも取り次いでもらえなくて。話ができない」
粋とはもちろん連絡の取りようがない。
つまり、どういう事情で彼らが高山獅貴のバンドに集ったのかは不明なままだということだ。
「みんな、仲間や理解者だと思ってた人たちに裏切られたと思ってるみたいで……特にリーダーはすごく塞いでるよ。
ついさっきみんなにheliodorは解散するって宣言した時も……別人みたいに力のない目をしてた」
それはそうだろう。
うづみは、heliodorをずっと応援してきたファンの一人だった筈だ。
三年も音信が途絶えていたとはいえ粋は、紅朱が性別を越えた親友だとすら感じ、認めていたバンド仲間。
そして玄鳥は紅朱が何よりも守ろうとしていた家族だ。
大切にしてきたもの全てに掌を返されたように思っただろう。
そんな紅朱の心中を想像するだけで、胸が引き裂かれそうで、日向子は祈るように指をくんだ。
美々もまた、我が身とも重なったものか、悲痛な表情を浮かべていた。
「……佳人や蝉さんも解散を受け入れたの?」
「……うん。自分たちも少なからずショック受けてる時に、あんなリーダー目の当たりにしたから、完全にね、心が折れちゃったみたいだ」
美々は悔しそうに顔を歪めた。
すんなり諦めようとするメンバー……特に兄を歯がゆく思う半面、heliodorの現状を思えば責めきれない……そんな複雑な感情が見てとれる。
日向子はくんだままの指にキュッと力を込めて万楼を見つめた。
「万楼様も……諦めたのですか……?」
声が震えてしまう。
万楼はそんな日向子をしばし透明な表情で見つめると、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……ボクは……嫌だ」
ふわりと微笑する。
「諦めてなんかいないよ」
渇れ果てたかと思われた心の泉に広がった、ひたひたと満ちる。
そんな優しく、強い言葉だった。
「ここであきらめても、ボクには帰る場所なんてどこにもない……独りぼっちでこの世界に生まれて、独りぼっちで虚ろに生きてきたボクにとって……heliodorはようやく見つけた希望なんだ。
こんなところで失いたくないよ……それに」
万楼は微笑したまま、見た目の雰囲気よりずっと大きくて、男性らしい力強さを感じさせる手を、しっかりくんだままテーブルの上に置かれていた日向子の冷たい手に重ねた。
「もう1つの希望になってくれた人……あなたにこれ以上悲しい思いなんてしてほしくないから」
「万楼様……」
日向子には、万楼こそが日蝕の暗闇に差す一条の残光……温かな希望だと思われた。
heliodorの中で一番幼く、プレイヤーとしても人間としても経験の浅い万楼が、今は誰よりも毅然と現実を受け止めて立ち向かおうとしている。
日向子にはそんな万楼が心強く、眩しく思えた。
「どうにか解散を撤回させたいと思う。ボク一人では難しいかもしれない……だから、力を貸してほしいんだ」
「わたくしで、力になれることがありますか……?」
「お姉さんは今まででと同じでいいよ」
「はい……?」
言葉の意味がわからずにきょとんとしていると、万楼は続けて言った。
「今までそうしてきたように、みんなと話をしてほしい。お姉さんの言葉ならきっと、みんなの心を動かす」
「わたくしの言葉が……?」
「うん。できるよ。ボクは信じてる」
どこまでも力強く響く言葉に、日向子は自然に首を上下していた。
「……わかりましたわ」
それに頷き返すと、万楼は美々を見た。
「ボクは……どうにかして粋さんと話がしたい。個人的にケリをつけたいこともあるしね……。美々お姉さんの人脈で、どうにかコンタクトがとれないかな」
二人のやりとりに奮い立ったのか、美々もまた力強く頷いてみせる。
「やってみます……!」
日向子の手重なったままの万楼の手のそのまた上に、美々の手が重ねられた。
為すべきことは見えた。
もう暗闇など何も恐ろしくはない。
「あ……えっと……」
「……ごきげんよう、蝉様」
「あ、うん……おはよう。日向子ちゃん」
日向子に「蝉」の名前で呼ばれるまで、困惑していたのは、眼鏡もウイッグもつけていない素の状態だったからだったろう。
一体どちらになったらいいものか迷ってしまったらしい。
日向子としても初めて見た姿だったのだが、今はそこに感慨を抱いている場合ではなかった。
「……お部屋に上がられて頂いても?」
「……うん、いいよ」
明るいとは言えない声音は、日向子が何を話に来たのかおよそ察しがついているためのようだった。
日向子はこれも初めて、蝉の部屋に足を踏み入れた。
今までに有砂の部屋と共有部分には入ったことがあったのだが、蝉のテリトリーはまだだった。
釘宮の屋敷にある雪乃の部屋なら家具はもちろん机の上の備品の配置すら思い出せるほど知っているのだが。
蝉が暮らしている部屋はとても記憶しきれないほど情報量が多く、雑多なものがあふれ、統一感なく様々な色が散らばっている。
「ごめんね、散らかってて。とりあえずベッドに座ってもらえる?」
散らばった雑誌類などをどかして作ったスペースに日向子をエスコートする蝉。
自分もその横に座る。
「……バンドのことで話しに来てくれたんだよ、ね?」
「ええ……万楼様からお聞きしましたの。heliodorが解散したと」
「そう……ごめんね、日向子ちゃんには応援してもらってたのに」
聞きたいのはそんな謝罪ではなかった。
「蝉様のバンドに対する覚悟はもっと堅いものだと思っていました……だから帰って来たのではなかったのですか? わたくし、がっかりいたしましたわ」
わざとまるで突き放すような口調で言い放つ。
「……自分でもカッコ悪すぎるって思うんだケドさ……」
蝉はうつむいて頭を左右に振る。
「……粋の時も、今回もさ……おれ、何やってたんだろうって……自分のことばかりで、仲間のことちゃんと見てなかったのかもしれない。
ずっと本当の自分を隠して、いつかは辞めて先生の後継者になるんだから、って、どこか上べだけの浅い付き合いをしてきたんだ。
だから気付けなかったんだよ。
もっとしっかりしてれば、こんな取り返しがつかないことになる前にどうにかできたんじゃないかって……」
深い後悔の思いを吐露し、蝉はうなだれる。
「そんなこと思ったら、もうバンド続けてく自信がないんだよ……」
眼鏡もウイッグもつけていない蝉は、まるで身を守る甲冑を全て剥がされたような脆さと、繊細さを感じさせ、日向子は思わずそっとその頼りない肩に頭を寄せた。
「……上べだけの付き合いをしてきた仲間のことでそんなに悩む人はいません」
優しく説いて聞かせるように囁く。
「取り返しがつかないかどうかなんてまだわかりませんわ……諦めるのが早すぎるとは思いませんか?」
「日向子ちゃん……」
ごく幼い頃にすらなかったほど近い距離で二人は視線を交わらせた。
吐息が頬をかすめるような位置で。
「……あなたはいつか、危険を省みず、わたくしを冷たい湖の中から救いだして下さいました。あの時の勇気をもう一度思い出して頂けませんか?」
蝉は、微かにその目を細めて、雪乃を思わせるような真剣な眼差しで日向子を見つめる。
「……思い出してみるよ。だから、少しだけ動かないで」
そう言うなり、日向子の肩を掴んで自分の胸に引き寄せた。
けして乱暴な動きではなく、壊れ物を扱うよりも慎重な、静かな仕草で。
「……蝉様……」
「あの時、こんなふうにキミの心臓が動く音を聞いて、呼吸する音を聞いて……どれほど安心したか。
……おれは弱い人間だから、すぐに自分を見失いそうになるけど……でも、キミを守りたいっていう気持ちは変わらない。
その想いがおれの勇気なんだ」
抱き寄せた時と同じように優しく、日向子の体を自分から引き離し、その顔を覗き込んで微笑んだ。
「……ありがとう。大丈夫……おれも諦めないよ。キミにこれ以上悲しい思いをさせたりしない」
「蝉様……よかった」
日向子もそれに微笑みで返した。
しばしそうして見つめあっていたかと思うと、蝉は1つ深い息を吐き出して口を開いた。
「……お手数かけちゃってもーしワケないんだケドさぁ、うちの寂しがり屋のルームメイトのことも頼んじゃってもいいかなあ?」
日向子は即座に頷いて、
「ええ、そのつもりですわ……ただ有砂様がどちらにいらっしゃるのかわからなくて」
「おれに心当たりがある……でもキミ一人だとちょっと心配だから」
一体どこから取り出したのか見慣れたフレームの眼鏡をかける。
「私に送らせて頂けますね? お嬢様」
繁華街のメインストリートから外れた、日の当たらない狭路に入る。
並んだ雑居ビルの一つ、その地下に位置するお世辞にも上品とはいえないバーの入り口をくぐる。
その場所からでも十分に店内を見渡すことができ、すぐに探し人は見付かった。
明らかに場違いな日向子の入店にいぶかしげな顔をする他の客や店のスタッフをよそに、日向子は奥のカウンターに座っていた彼のすぐ隣に座った。
少し背中を丸めて頬杖をついていた彼は、それでも日向子のほうを見ようとしない。
「……有砂様。このように早い時間からこういった場所に入り浸るのはいかがなものでしょうか?」
「……」
「仮とは言えど、あなた様は釘宮家令嬢の婚約者なのですから、いかなる時も毅然と構えて頂かないと、我が家の家名に傷がつきましてよ?」
「……そうきたか」
有砂はふっと苦笑を漏らした。
「……酒に逃げるくらいは多めにみてほしいもんやな……女に逃げへんかっただけでも立派やろう?」
有砂はメンバーの中では比較的酒に強いほうだった筈だが、それでも肌が紅潮し、目がうるんで見える程度には酔いが回っているらしい。
相当な量のアルコールをあおっているようだ。
「……有砂様は、お強くなられたのではなかったのですか?
尻尾を巻いて現実から逃げ出すなど……それでは以前と何も変わりません。何がご立派なものですか」
距離を計ろうなどとは考えてはいけない。
ぶしつけなくらいずけずけと踏み込むくらいがこの人にはちょうどいいのだと、日向子は経験から学んでいる。
有砂は頭痛を堪えるような顔をしながら日向子を見た。
「……強くなったつもりやった。けど、たまたま何度も運が味方してくれただけやったんかもな。
それで、これからは何もかもうまくいくような錯覚に陥ってた……けど、現実は違う」
吐き捨てるように言った言葉に、日向子はきつく有砂を睨んだ。
あまり迫力のある顔とは言えないが、精一杯睨んだ。
「有砂様は間違っています!!」
《つづく》
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