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麻咲による乙女ゲー風(?)オリジナル小説ブログ

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 懐かしい、メロディが聞こえる。

 美しく優しく、どこか悲しいピアノの旋律。


「レディ、何故泣いているのですか?」

 低く、心地好く響く甘やかな声。

「……伯爵様……」

 漆黒のロングコートをまとった青年は、右手の革の手袋を外して、芸術品のように美しい形をしたその手を差し出した。

「いらっしゃい」

 日向子はためらいがちに手を伸ばし、その手を取った。

 ひんやりと、冷たい。

「……レディ、貴女を悲しませるものはなんだろうか?」

「わたくしが……悲しいのは……」

 すん、と鼻を鳴らして涙を飲み込む。

「人の心が、わからないからです……」

「これは奇妙なことを……他人の心がわかる者など、どこにもいる筈がない。この私とて、貴女の心を透かし見ることなど叶わないのだよ」

「……ではわたくしは、どうすれば……」

 「伯爵」はコートの中に日向子をそっと抱き込んだ。

「どうすればいいかわからない……では私が『こうしなさい』と言ったら、そうするのかな? レディは」

「……え……?」

「それならば私の意見はこうです……『あきらめなさい』」

 驚いたように視線を上げる日向子。

 ぼやけた視界の中で、「伯爵」は優しく笑う。

「……今『そんなの嫌だ』と思ったね? それが……全てだよ」










《第2章 悪夢が眠るまで -solitude-》【3】














「……伯爵様……」

 重い瞼を開けた。

「……夢……?」

 そう、それは夢だった。

 けれど。

 目が覚めた後も、あのメロディは確かに日向子の耳に届いていた。

「……ピアノ……」


 日向子の視界には、毎日挨拶をする伯爵の肖像がある。
 ここは間違いなく自宅のピアノ室らしかった。

 誰かが日向子のピアノを弾いているのだ。

 日向子はその音色を奏でる者を確かめるべく、身体を預けていたソファからゆっくり上体を起こす。

 グランドピアノの前に座る人物の、オレンジ色の髪を見た瞬間、日向子は息を呑んだ。


「ぜ、蝉様……!?」


 演奏が、止まる。

「おはよん♪ 日向子ちゃん」

 蝉はにっこり笑う。

「びっくりした?」

「び、びっくり致しました……」

「遊びに来たんだけど、迷惑だったかな?」

 日向子は寝起きということも手伝って、ゆっくりとパニック状態に陥ろうとしていた。

「あ、あの……雪乃は……」

「雪乃さんって、あのクールでかっこいい人? その人がおれを部屋に入れてくれたんだケドさ、急用があるとかで出掛けちゃったんだよねー」

「まあ、そうでしたの……」

 よく考えてみればあの雪乃に限って、よく知らない男を日向子の自宅に上げて、あまつさえ二人きりにしていなくなることなどありえないのだが、今の日向子は気付く余裕がない。

「今の曲……mont suchtの『月影逢瀬』……わたくしの好きな曲ですわ」

「マジで? そりゃちょうどよかったなぁ」

「……ありがとうございます。おかげ様で、良い夢が見られたような気が致しますわ」

「……そっか」

 蝉はどこか満足そうに呟いて、立ち上がった。

「ホントはさ、話そうと思って来たんだよね」

「え……?」

「まあ、日向子ちゃんが聞きたければ話すし、聞きたくなければ話さないつもりだケド」

 蝉は日向子が上体を起こしたことで生まれた、ソファのスペースに腰を下ろした。

「あいつのコト、まだ知りたいって思う?」

「あいつ……と申しますと……」

「日向子ちゃんを泣かせたバカのコト」

「……有砂様の……」

 蝉はじっと日向子を見つめて、待つ。

 日向子はその視線を受け止めて、そして、答えた。

「まだあきらめるわけには参りません……わ」
















「おれが施設で育ったって話、誰かに聞いた?」

「はい……伺いました」

 リビングに場所を移し、温かい紅茶とお茶うけのリーフパイが乗ったテーブルで、蝉は話し始めた。

「実はよっちんも一時期だけ同じ施設にいたことがあって、おれたちはそん時に出会ったんだ」

「でも、有砂様にはご家族が……」

「うん、そうなんだけど……ある事件があって、その後始末に大人が追われてる間、よっちんは施設に匿われてたんだよね」

「事件……」

「……よっちんさ、双子の妹にナイフで刺されたんだって」

「……!」

 それは一言で十分過ぎるほど陰惨で残酷なインパクトを日向子にもたらした。

「その双子の妹が『有砂』ちゃんっていうんだ。
よっちんのホントのお母さんのモデル時代の芸名でもあるんだけどね」

 「有砂」という名前は、「沢城佳人」にとっては、深い因縁のある名前らしかった。

「よっちんが物心ついた頃には両親の仲はとっくに冷えてて、親父さんには何人も愛人がいたみたい。
お母さんも精神的に追い詰められて、子どもにまで手が回らなかったんじゃないかな。
そんなんだから、よっちんと有砂ちゃんは、いつも二人きりで、小学校に上がってからも一緒のベッドで寝るくらい仲が良かったんだって」

「それでは……何故?」

「親父さんが愛人の一人……薔子さんと再婚するってんで、ご両親は結局破局。お母さんは子どもを二人とも引き取りたかったんだケド、経済的に無理だったらしい。
で、有砂ちゃんだけを引き取った。……有砂ちゃんはお母さんによく似てたから、薔子さんにあんまり気に入られてなかったみたいで。
その頃のよっちんには有砂ちゃんが全てだったから、マジで辛かったと思う」

 日向子の胸は痛んだ。

 有砂にも……大切なものは、あったのだ。

「離れてから一年ちょっとしたある夜に、よっちんは親父さんたちに内緒で有砂ちゃんに会いに行った。
お土産の、お菓子を持ってさ。
もちろん、喜んで迎えてくれるって信じてたんだケド……その夜、事件は起きた」

 蝉は、わずかに目を伏せる。自分で話していて、いたたまれなくなったというように。

「有砂ちゃんさ、虐待されてたんだよ……離婚がきっかけで、お母さんの心は限界だったんだね……。
そして有砂ちゃんの幼い心も限界だった。
どうして自分だけこんな目に遭うのか、どうして母親に引き取られたのは自分だったのか……そんな気持ちだったのかなって思う」

 不遇な運命は、まだ小さな少女の心を狂わせてしまったのか。
 慕っていた筈の兄に、憎悪の刃を向けてしまうほどに。

「お母さんは強制入院、有砂ちゃんもどっかの施設に送られて、それっきりだよ。
当時は結構センセーショナルな事件で、世間も騒ぎまくってさ……よっちんがマスコミ嫌いなのは多分そのせいだと思うよ」

「そのようなことが……」

 日向子は誰を責めたら良いのかすらもわからない、不幸としか言いようのない過去に、深い悲しみを感じずにはいられなかった。

「……けれど蝉様、そのことは有砂様が自ら蝉様に話されたのですか? ……わたくしが考えるに」

「あいつは人にそんな話をしたがらないんじゃないかって? ……いいとこに気付いたじゃん。
これはさ、よっちんが不覚にもおれに借りを作った時に、その返済のために話してくれたんだよね~」

「借り……ですか」

「うん……それがまた、ある意味ちょっとエグい話なんだケドね~……」

 蝉はなんだか意味深な苦笑を浮かべた。

「施設にいた時なんだけどさ、おれとよっちんはたまたま部屋が一緒で、布団並べて寝てたのよ。
そしたらあいつ、夜中に人の布団に入って来てさ、抱きついてくんの! マジで!!」

「まあ……」

「毎晩毎晩、無意識にだよ。多分、妹をだっこして寝るのがクセんなってたんだろうね。
おれ的にはたまったもんじやなかったんだケド、振りほどくとあいつ、必ずうなされるしさぁ……なんか可哀想じゃん?
結局施設にいる間、おれはずっとよっちんの抱き枕だったってワケ!」

 笑っては申し訳ないと思いながら、日向子は思わず少しだけ笑みをこぼした。

「……なんだか、可愛いです……お二人とも」

「そ……可愛いもんでしょ。もうずっと昔の話だけどね。でもよっちんはさ、多分あの頃と変わってないんだよね。
独りで寝るのが辛いから、誰でもいいから一緒に寝てほしいんじゃないのかなって思う」

「あ……」

「それにさ、よっちんって実は人一倍庇護欲が強くて、誰かを守りたいとか、大切にしたいとか思ってるのに、その対象がなくなっちゃって、自分でもどうしていいんだかわかんなくなっちゃってる気がする。
その証拠に玄鳥や万楼には遠回しにアドバイスしてやったり、なんだかんだ心配してんのわかるし」

 有砂には大切なものが、ない。

 再び噛み締めたそれは、日向子の中に昼間感じたのとは違う感情を呼び起こしていた。

「……わたくしは愚かで、浅はかでした。有砂様のお気持ちを思いやることができませんでした……。
何も知らないのに、理解しているようなつもりでいたから、裏切られたような気がしてしまったのだわ……」

「何言っちゃってんの、そんなヘビーに取らないで」

 蝉は今までの重い空気を払拭するように明るい笑顔で日向子を見た。

「人の気持ちなんて、本人にだってよくわかんなかったりするんだし、しょーがないってカンジ。
おれが話したこともほとんど推測入ってるしさ。
けどおれ、こんなんでも一応自称よっちんの親友だからね」

 ぽん、と得意気に胸を張る。

「全っ然了承はされてないケド、そう思うのはおれの勝手だし!
ほっとけないんだもん。仕方なくない?」

「……そうですわ……」

 リアルな夢の中で、伯爵が言っていたことが頭をよぎる。


――どうすればいいかわからない……
  では私が『こうしなさい』と言ったら
  そうするのかな? レディは


――……今『そんなの嫌だ』と思ったね?
  それが……全てだよ


「どうすればいいか、より、どうしたいか……。わたくし自身がどう思うかですのね……」
















「……お嬢様、ご気分はいかがですか?」

「心配かけてごめんなさい……わたくし、少し元気が出ました」

 蝉と入れ替わりで帰ってきた雪乃を出迎えて、日向子は微笑んだ。

「……それは何よりです」

 雪乃はあくまで冷静な口調だったが、その瞳にはどこか優しげな色があった……ような気がした。

 それも日向子の推測でしかないのかもしれないが。

「折角帰って来たばかりで申し訳ないのだけれど、わたくし出掛けたいので、車を出して頂けて?」

「このような夜更けにお出掛けですか? 私としては賛成致しかねますが」

「ええ、どうしても今夜のうちに会ってお話したい方がいらっしゃいますの」

「……左様ですか。それでは、特別に黙認致します。
ただし……くれぐれも、無茶はなさらないで下さい」

「ええ、ありがとう!」

 日向子は久しぶりに心からの笑みを浮かべた。



「わたくし、絶対に諦めませんわ!!」















《つづく》
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