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麻咲による乙女ゲー風(?)オリジナル小説ブログ

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「……またやっちゃった……おれ何やってんだろ……」

 眼鏡を外した蝉は、クラクションを避けながらハンドルの上に突っ伏した。

「ある意味チャンスだったんだよなぁ……」

 放っておけば日向子は挫折したかもしれない。

 有砂の取材をあきらめて、heliodorの企画をあきらめて、日向子が引けば。

 日向子とメンバーの誰かがどうにかなってしまわないかという心配も、けしてバラしてはいけないと、日向子の父親から厳重に注意されている「二重生活」が発覚する心配も減る。

 日向子があきらめてくれれば、蝉は今よりずっと楽になれたのだ。

 だが結局、蝉は日向子に助け舟を出してしまった。

 その訳は、有砂に対する自称親友としての情愛。
 それと……。

 スーツの胸を濡らした、温かい雫。

「……あの涙はちょぉっと卑怯なんじゃない……? ……お嬢様……」

 自嘲の笑みが唇を歪める。

「……さて、今夜は誰に泊めてもらおっかな……」










《第2章 悪夢が眠るまで -solitude-》【4】










 チャイムを三回鳴らしたが、応答がなかった。

 部屋には薄く灯りがついているし、駐車場には有砂の車があるのを確認したから、いないわけではない筈だ。

 少し迷ったが、そんな時は使うようにと託された蝉の鍵を、日向子は使うことにした。

 蝉は鍵を渡す時あっけらかんと、「マンションの名義はおれだから! おれが許可したってことで気にしなくていいよ♪」などと言っていたが、やはり人の家に勝手に入るのは少し気が引ける。

「……お邪魔致します……」

 小声で呟きながら、ゆっくりドアを開けた。

「有砂様……いらっしゃいますの……?」

 玄関口と入ってすぐのダイニングは灯りが消えて真っ暗だった。日向子は闇に目をこらす。

 室内は「生活感」という表現で許される程度には散らかっていたが、男二人が居住する空間としては綺麗なほうだった。

 もっとも日向子は男性の部屋に立ち入った経験が、先日の万楼宅の他は父の書斎くらいしかないので、その辺りの感覚はよくわからなかったが。

 転がっていたビールの缶を踏みそうになったり、部屋干ししていた洗濯物に頭をぶつけたりしながらダイニングを横断し、日向子は灯りが漏れているドアを目指した。

 そしてようやくたどり着き、ドアノブを掴んでひねろうとした瞬間……。

 先にドアノブが回転し、日向子の意思と関係なしに、目の前のドアが開いた。

「っ」


 そのまま日向子はろくに声も出せずに固まった。

 ドアの向こうから姿を見せた有砂も、その瞬間目を丸くして絶句していた。

 ふわり、と微かに甘い香りを含んだ温かい水蒸気が日向子の頬を撫でる。

 ぽたり、と有砂の髪から滴った雫がその鎖骨の窪みを経由して、厚くはない胸を流れ落ちるのを無意識に目で追っていた。
 そこには真新しい青い痣と、引き攣れたような古い傷痕がある。

「……どこ見てんねん。どスケベ」

「えっ、あ、あの……申し訳ありません! そのようなつもりでは……」

 流石の日向子も顔を赤く染めて、くるっと回って有砂に背中を向けた。

 そこはバスルームのドアだったのだ。
 かなり大きなサイズのバスタオルをばっさりと頭から被ってはいたが、一糸まとわぬ有砂の上半身はほとんど完全に晒されている。

 下は黒のスウェットを履いてくれていたのが救いだったが、それでも男性の裸に免疫のない日向子には、十分過ぎるほど強烈なビジュアルだった。

「……わざわざこんな真夜中にノゾキに来たんか? お嬢」

 冷ややかな言葉が背中に突き刺さる。

「わたくし……有砂様とお話がしたくて参りましたの」

「話……?」

「昼間は取材を放り出して途中で帰ってしまって、申し訳ありませんでした……仮にもプロとして仕事する人間にあるまじきことと反省致しました」

「別に、反省するようなことでもないんちゃうか。普通、あんな場面に出くわしたら逃げたくもなるやろうからな」

 あんな場面、という言葉にその「あんな場面」が頭をよぎり、日向子は一瞬どきっとしで、それを必死に振り切ろうと深呼吸する。

「それでも、わたくしは逃げるべきではありませんでしたわ」

 有砂はそれを鼻で笑う。

「ホンマは軽蔑したんやないんか? ……オレがどういう男か思い知ったやろう」

 日向子は後ろを向いたままで、首を左右した。

「確かに、本心を言えばとてもショックでしたわ……ですが、わたくしは有砂様を軽蔑したりはしておりません。
……有砂様のことをもっと理解したいと思っています。
何故なら有砂様は……きっと本当は純粋で温かい心を持った方だから」

 バサッと音を立てて、湿ったバスタオルが床に落ちた。

「……何を言うかと思えば。ホンマにアタマの悪い女やな」

「っきゃっ……っ」

 大きな手が後ろから日向子の口を塞いだ。

「そんなにオレのことが知りたいんやったら、教えたる……」

 そのまま有砂は半ば無理矢理、軽々と日向子を抱き上げた。

「……っ……んっ」

 声を発することも、有砂の腕から逃れることもままならず、触れ合う肌から直接伝わる体温に日向子はうろたえるしかなかった。


 そうするうちに日向子は、いともたやすく寝室に運ばれ、乱暴にベッドに投げ込まれた。

「……っ……あり……ささま……っ」

 仰向けの姿勢で、手首を頭の横で押さえ付けられた日向子は、闇に浮かび上がる有砂の冷たい眼差しを見上げていた。

「……忠告はした筈や。そんな調子でおったら、怖い目に遭うってな」

 日向子の身体はそのままバラバラになってしまうのではないかというほど、小刻みに震えていた。

 頭の中が真っ白になって、心臓が破裂しそうに鼓動する。

 有砂は口の端を吊り上げる。

「ようやっと大人しなったか……? お嬢」

「……」

「……もう、諦めや」


 日向子ははっとした。

「……あきらめ……」

 少し視線を動かして、戒められた自分の左手首を見やった。

 月を模したシルバーの輝きがそこにある。

 夢の中の光景が、あの穏やかな甘い声が、そして優しい旋律が日向子の中に蘇る。

 その瞬間、身体の震えは止まっていた。


「あきらめるわけ、ないです……」

 渇いた喉から声を絞り出した。

「だってわたくし……怖くありませんから」

「なんや、て?」

 いぶかしげに眉根を寄せる有砂を、日向子はもう一度真っ直ぐ見つめた。

 恐怖に脅えた眼差しなどではなく、強い意志を湛えた瞳で。



「お友達を抱き枕にしなければ眠れないような甘えん坊さんなんて、わたくしはちっとも怖くなんかありません」



「っ……な」

 有砂の顔に明らかに動揺が走った。
 思わず緩んだ戒めから手首をすり抜けさせ、日向子は自由になった右手を大きく振りかざす。

 パン、と小気味良い音を立て、日向子の右手が有砂の左頬を、打った。

「つっ……」

 打たれた頬を押さえて、有砂は覆い被さっていた身体を日向子から離した。

 日向子もまた、解放された身体を起こし、ベッドの上に品良く正座で座った。

「有砂様、ご自分の手でご自身を貶めるような真似はおやめ下さい」

「……なんや、今度は説教か」

 頬を押さえて視線を明後日の方向に逃がしている有砂。

「いいからちゃんとこちらを見て、わたくしの話を聞いて下さい」

 日向子の有無を言わさぬ強い口調に、有砂は微かに怯んでいるように見えた。

 いつの間にか形勢は逆転していた。


「有砂様にはご自分を労る義務がありますわ」

「なんや……義務って」

「何故なら、そんな有砂様を大切に思う人がたくさんいるからです。
蝉様たちheliodorのメンバーの皆様、ファンの皆様、それにわたくしとて……有砂様が傷つくことを望みません。心の傷でも、身体の傷でも。
そしてわたくしたちはあなた様を傷付ける者を断じて許しません。それが、有砂様ご自身だったとしてもですわ」

 無言のまま、まだ頬を押さえている有砂に、日向子はにっこりと微笑む。

「……乱暴なことを致しまして、申し訳ありませんでした」

 有砂は目を半眼して、溜め息をついた。

「……それをお嬢が言うのは何か逆な気がする……」

「まあ……そういえば、そうですわね」

 何か感心したように頷く日向子を見やりながら、有砂は額に手を押し当てた。

「……かなんわ……」

「はい……?」

「……ホンマのアホには勝たれへん」

 有砂は、まるで身体の奥に蓄積されたものを全て吐き出すかのように、更に深く深く息をついて、そして、苦笑を浮かべた。


「……悪かった。オレの負けや」


 有砂は、なんだかきょとんとしている日向子に、手で「もっと端に寄れ」と合図した。
 日向子は素直にセミダブルのベッドの上を壁側に滑るように移動した。

 日向子が移動し終わると、有砂はおもむろに、空いたスペースに身体を横たえた。

「……なんや疲れたわ……」

 うつ伏せになってボソリと呟く有砂を、正座した姿勢のまま、日向子は見つめた。

 そして、何故かそっと伏している有砂の、まだ半乾きの髪を、撫でた。

「……何しとん」

「いえ、なんとなく」

「……意味わからん。なんや、眠気がくる……」

「では、おやすみ下さい」

「……なあ」

「はい」

「……蝉からどこまで聞いた?」

「……」

「……まあ、ええわ。あの件をバラしよったゆーだけで十分や……あいつ、極刑やな……」

 表情の読めない姿勢で、なかなか不穏当なことを口走る有砂に、蝉のこれからを少し心配しながら、日向子もようやく一息ついた。
 安堵した途端、思わずこみ上げてきた欠伸を押さえきれず、日向子は、目をこすった……。













「あ……あ……あぁぁぁぁっ!!!」

 まるで断末魔のような恐ろしい悲鳴という、効果覿面な目覚ましアラームで、日向子はぱちっと目を開けた。

「……あら? わたくし、いつの間に」

 ゆっくりベッドから身体を起こすと、寝室の入り口に見知った顔を見つけた。

「まあ……蝉様、おはようございます……」


「お……お……おはよう、じゃないからっ!!」

「はい?」

「何この状況!?」

 蝉はしゃがみこんでオレンジの頭を抱え込み、ふるふる震える。

「なんでよっちんのベッドで二人で寝てんの!? ……しかもよっちんってば半裸だしぃ!?
……うそだぁぁぁ……」
「あの蝉様、まだ有砂様、眠っていらっしゃいますので。お静かに」

 常識然とした日向子の注意に、蝉はぴたっと黙った。

 それから小声に改めて再び口を開いた。

「こんな騒いでも起きないか……眠りの浅いよっちんには珍しいかも」

 二人は、ベッドに横向きに身体を投げ出して、無防備な寝顔を晒している有砂を覗き込んだ。

 規則正しい寝息から、有砂が安らかな眠りの中にあることは明らかだった。

「……日向子ちゃんの隣だと安心できんのかな」

「え……?」

「……そ、それともそんなに疲れて、ぐっすり寝ちゃうほどすごいことしちゃったの? キミたち」

 再びふるふる震える蝉を不思議そうに見つめながら、若干寝惚けた口調で日向子は言った。

「ちょっと痛かったし、ちょっと怖かったですけど……やっぱり有砂様は優しかったです」


 そうして、近所迷惑な悲鳴が再び辺りに響き渡ったのだった。
















《つづく》
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