「楽しくない……」
溜め息混じりの呟きがもれる。
「男の衣裳見立てるなんて、パパはちっとも楽しないで~、佳人~」
「やかましいオッサンやな……この間の件をホンマに反省しとんやったら黙って協力したらええねん」
「はいはい……わかりましたぁ。
まあ、やるからには完璧に仕上げますケド~?
ほんならキミたち、こっち来て」
子どものようにむくれる中年男と、その息子の傍らで居心地悪そうにしていた三人は不意に促されて顔を見合わせ、揃って頷いた。
とりあえず、致し方ない。
「有砂のパパ、よろしくね」
「どうぞお手柔らかに」
「とっとと頼むぜ、若作りのおっさん」
「……佳人、僕この赤いの嫌い」
「ええからとっととやれ」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【5】
「お麗しいですわ、お嬢様」
十ほど年上のメイドが感嘆の悲鳴を上げた。
「まるで奥様が蘇ったかのようですよ」
日向子は感慨深く、鏡の中の自分を眺めていた。
バロックパールをあしらったプリンセスラインの黒いドレス。
実際、こんなドレスを着た若いころの母親の姿を写真で見せてもらったことは何度もある。
「わたくしよりお母様のほうがずっと綺麗でしたわよ」
「まあ、そんなにご謙遜なさらなくともよろしいではありませんか。
ああ、そう遠くない日に今度は純白のウエディングドレスを着たお嬢様を見られるなんて……まるで夢のようですわ」
「はあ……」
日向子は明らかに戸惑った表情を見せたが、テンションの上がっているメイドは気付くことなく、鼻唄まじりにアクセサリー選びを始めていた。
なんとも落ち着かない気分になってしまう。
このドレスは、アトリエでのことへの謝罪を兼ねて秀人が今日のためにと言って贈ってきたものだ。
一体秀人はどこまで知っているのだろう。
まさか本当に沢城家に嫁ぐと思っているのではないだろうか。
それ以前に気になるのは有砂の真意だった。
今日の夕刻、式は始まってしまう。あと数時間しかない。
釘宮高槻の後継者の指名と、釘宮家令嬢の婚約を発表するための式だ。
有砂には何か考えがあるのだとは思うが、万が一このまま有砂と正式に婚約することにでもなってしまったらどうしよう……という不安が頭を去来する。
別に有砂が嫌だというのではない。
だが、こんな形で将来の結婚相手がいきなり決まってしまうのは困る。
何より。
日向子の心の中にはまだ「伯爵」がいる。
「伯爵」への思慕は未だに揺るぐことなくここにあるのだ。
こんな気持ちを抱いたまま誰と結ばれることができるだろうか?
「どうも、大変ご無沙汰を致しまして」
「ああ、息災のようだな」
「ええ、おかげさまで」
実際に親しげに挨拶を交す二人を見るまで、有砂は内心どこかで疑っていたのだが、真実二人は友人と呼べる関係のようだった。
高槻と秀人。まるでタイプの違う二人が、肩を並べている様は何とも不思議な光景だった。
「あいにく到着がギリギリになってまうんやけど、あとで僕のハニーちゃん紹介しますね♪」
「懲りん男だな、君は……」
「ええ、僕には恋が必要なんです。常に恋をしてへんと、僕のイマジネーションの泉は枯渇してまうんですよ。……ねえ、みんな? そうやろ」
振り返った先には一目で「SIXS」製とわかる独特なデザインの黒いフォーマルウエアを着た三人の青年が立っていた。
赤毛と黒髪に白いメッシュと、ピンクがかった白金の髪の三人はそれぞれに何とも複雑な表情を浮かべながら、
「……はい、先生のおっしゃる通りです」
前もって言われた通りの言葉を口を揃えて答えた。
「彼らは……?」
高槻の問いに、有砂が答えた。
「父のアシスタントです。今日は勉強のために同行していますが、邪魔にならないようにしますから、どうぞお気になさらずに」
「あ」
小さく声を上げた。
身支度を整えて、式の会場に向かう途中、日向子はまたしても彼と鉢合わせてしまった。
「雪乃……」
アルバムの一件以来、一度も顔を合わせていなかった。
式で披露する曲の制作にかかりっきりでろくに部屋から出て来なかったからだった。
数日ぶりに見た彼の顔には疲労の色がくっきりと見て取れる。
無言のままにすれ違おうとした瞬間、ほんの少しその身体が不自然に傾げた。
「雪乃……!」
とっさに支えるように腕に触れていた。
すぐに振り払われるかと思ったが、それはなかった。
「……雪乃、疲れているのでしょう?
まだ式までは時間があるわ、お部屋でお休みになってはいかが?」
彼は相変わらず表情の変化に乏しい面を、わずかにふせた。
「……お気遣いなく」
そっと、日向子の手に自身の手を重ね、静かに腕を離させる。
「……雪乃」
頼りない足取りで遠ざかっていく姿を見送って、日向子は今ほんの束の間彼に触れていた手を見やった。
あの綺麗な手から「温もり」を感じたのはとても久しぶりだった。
一瞬の触れ合いで感じた、戸惑うほどの優しさ。
「わからないわ……雪乃。あなたはわたくしを……本当はどう思っているのですか……?」
「……有砂のパパって本当に面白い人だね」
「え、面白いかな……? 俺はちょっと、いや大分苦手だけど」
「な~にが、『僕の機嫌損ねたらすぐに退場やからね~♪』だ。調子に乗りやがって。
おい有砂、あいつなんとかしろよ!!」
「……帰ってもええよ。お嬢が心配やないんやったらな」
なかばコスチュームプレイの様相を呈したheliodorの面々が、一人を除いて釘宮邸の一室に集っていた。
沢城秀人のアシスタントという設定は、有砂の提案だった。
確かに怪しまれずに潜り込むにはいい作戦かもしれなかったが、少なくとも紅朱と玄鳥は不満をのぞかせていた。
「……だいたいなんで有砂さんが日向子さんの恋人なんですか!?」
「せやから説明したやろう? ただ『反応』を見たくてゆうただけの冗談のつもりやったって。
……まさかあっさり許可されるとは思てへんかったけどな」
実際有砂は『彼』が動揺するかどうか見たかっただけだった。そのあとは、今のは冗談だと言うつもりだったのだが……。
「……だったら俺がその役、やりたかったんですけど……」
「え~、玄鳥には無理だよ」
万楼が笑う。
「玄鳥は役者に向いてないもんね。バカ正直だから」
「う」
確かに人よりかなり嘘の下手な玄鳥は何も言えなくなってしまった。
今日とて見破られてしまうのではないかとかなり神経をすり減らしているほどだ。
あの見るからにおっかない釘宮高槻の前で、日向子の恋人を装うことなどとても出来そうにない。
「……で、どうなんだ有砂。そろそろ本当のところを教えろよ」
気の毒な弟をよそに、紅朱はゆっくりと問掛ける。
「……日向子と、『あいつ』はどういう関係なんだ。偶然たまたま同じ名字でした、なんて馬鹿なことは言わねェだろうな?」
有砂からメンバーに語られていたのは真実の断片。
森久保は母親の旧姓、日向子の本当の姓は「釘宮」であるということ。
日向子の婚約が発表される場に、必ず蝉がいるということ。
そして、そこで蝉は何らかの答えを出すということだった。
「……悪いが」
有砂はきっぱりと返した。
「オレの口から全てを話す気はない」
いぶかしげな面々を見渡して、更に続ける。
「黙って見ていれば真実は自ずと判明する……どんな形にせよ、な。判明した後にどうするかは各自の自由や」
有砂のいつにない毅然とした雰囲気に、メンバーたちは押し黙った。
「……あの男は何年もの間さんざん嘘をついて、さんざん秘密を作って、さんざん悩んで、さんざん苦しんだ。
せやから、最終決断はあいつがするべきやと思う。
それであいつが……二度と帰って来なかったとしても」
すっかり日が落ちたというのに小さな灯り一つ灯らない暗い部屋の中で、青年がベッドの上に横たわっていた。
今日の式の主役の一人だった。
「……ん……」
浅い、とても浅い眠りから目が覚める。
それでも丸一日も眠っていたかのように、とても頭の中がすっきりしていた。
自分がするべきことがクリアに見えている。
最後の迷いが打ち払われていた。
もう今度こそ揺れることはない。
「……おれは、弾く……あの曲を」
小さく呟いて、ゆっくりとベッドから起き上がった。
運命の時が今訪れたのだ。
日向子は、高槻の隣に座って視線を純白のテーブルクロスに落としていた。
着々と式が進行するにつれ、日向子の心臓はその高鳴りを強くしていった。
ちらりと有砂や秀人のいるテーブルを見やったが、有砂は落ち着いた表情で、式の進行を見守っているばかりだ。
その近くに立っている(予定外のゲストのためテーブルが用意されていなかったようだ)、何故だかどこかで見たことのあるような三人組の存在にも気付いていたが、ゆっくり確認するだけの心の余裕が日向子にはなかった。
「日向子」
高槻が口を開く。
「あまりそわそわするな。みっともない」
「……すみません、お父様……」
「……いよいよ、漸が出てくる。ちゃんと見ていなさい」
「……ええ」
確かに、自分のことで頭がいっぱいになっているとはいえ、漸の晴れ姿はやはりしっかりと見ておきたいし、見ていなければいけないと思った。
漸はホワイトタイで正装し、彼のために用意された舞台の上に姿を現した。
漸がどういう経緯で釘宮家の後継となるに至ったか、会場内に知らない者はほとんどいなかったが、堂々とした歩みで颯爽と現れた漸は、生まれながらの名家の令息だと言われても疑う余地がないほど立派なものだった。
肉眼で日の光を見上げるかのような眩しさを感じながら、日向子は漸をじっと見ていた。
ゲストたちに向けて深く礼をした漸が頭を上げた時、ほんの一瞬だけ視線がぶつかった気がした。
「……!」
その一瞬、漸は微笑していた。
日向子に向けて確かに微笑んでいた。
見たこともないような……けれど初めて見たのではない、そんな笑顔だった。
……誰かに似ていた?
でも誰に……?
困惑している日向子の前で、漸はゲストたちの拍手と品定めのような数多の視線を一身に受けながらピアノの前に座っていた。
日向子の横で舞台を見上げる高槻の眼差しにも力がこもる。
やがてゆっくりと、最初の指が最初の鍵へ。
踊るように動く10本の指は、奏でていく。
それはせつなく。
それは優しく。
それは独創的で。
そして日向子と、他の何人かにとっては驚愕に満ちた旋律だった。
「これ……この曲は……」
ピアノソロとして、大幅なアレンジを加えられてはいるが、軸となるメロディは全くそのままだ。
全くそのままの、
「……Melting Snow……?」
《第10章へつづく》
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