……おお。悪ィ、仕事中だったか?
何回かかけたけど、なかなか携帯繋がらなかったぞ。
……あ? BLA-ICAぁ? なんだよ、あっちもお前が取材すんのかよ……。
……いや、怒ってねェよ。別に怒っちゃいねェけど……っつーか、んなことはどうだっていい。
仕事、何時で上がれんのか聞きたかったんだ。
迎えに行ってやるよ……多分びっくりするぜ??
《終章 紅い糸、紡いで ―End of curse―》
「な、びっくりしだたろ?」
「は、はい……びっくりいたしました……」
「びっくりした」というよりは、現在進行形でびっくりしているのだ。
落ち着かなくてキョロキョロしたり、いずまいをただしたりしている日向子に、右隣に座る紅朱はたまりかねて笑う。
「心配すんなって」
彼が座っている場所は、ドライバーズシート。
何とも見慣れない光景がそこにあった。
紅朱から「迎えに行く」という電話が入った時には、てっきりいつものようにバイクを飛ばして来るのだろうと思った。
ところが待ち合わせの場所へ向かった日向子を迎えたのは、いつも機材車として玄鳥が運転している、あの車だった。
紅朱がそれを運転してきたのだと知った瞬間、彼の思惑通りに日向子は心底驚いたのだった。
「免許証、お持ちだったのですね」
「取ったんだよ、ついこないだようやくな。
……練習してたのはギターだけじゃない」
確かに見慣れた車体の前と後ろには、鮮やかな色合いの「初心者マーク」が輝いていた。
肝心の運転のほうは、身の危険を感じるほどではないが、やはりぎこちなさを残しており、技術云々というよりは運転者の性格によるものかもしれないが……少々荒っぽい。
雪乃や玄鳥の安全運転に慣れている日向子には、全く別の乗り物のようにすら感じられた。
「あの、何故、わざわざ紅朱様が免許を? 玄鳥がいらっしゃらなかった間、蝉様や有砂様が機材搬送をなさってましたし、特に必要なかったのでは……」
「……綾が担ってたもんを、全部自分で背負わなきゃなんねェ、と思ってたからな……」
「紅朱様……」
「厄介な性分だよな、実際に背負えるかどうかもわかんねェのに抱え込む……一生直んねェかもな」
自嘲を含んだ呟きだったが、その横顔には言葉ほど気負ったものは感じられなかった。
玄鳥は、帰って来たのだ。自らの意志で。
今の紅朱には、彼の役割まで背負う必要はない。
「実はな、運転の練習がてら、一昨日綾と実家に帰ったんだ」
軽く顎で指し示した先には、フロントガラスに吸盤で取り付けられた「交通安全」のお守り……が、何故か3つ。
「地元の神社のお守りなんだけどな、ジジイとババァと綾がひとつずつよこしやがって……そんなに俺の運転が心配かって感じだよな」
それは、家出同然に家を出た紅朱にとっては数年ぶりの家族団欒を過ごせたということ。
特に対立していた父親とも、ちゃんと向き合うことができたということを意味していた。
「……綾と話し合って、打ち明けることにしたんだ……綾が本当の両親のことを知ったってこととか、色々な。
結局ババァは泣かしちまったけど、話せて良かった。ようやく溝が埋まったって感じたぜ」
そう語る紅朱の声も表情も、晴れ晴れとしている。
「……ジジイも、俺たちのやりたいようにやれ、って言ってくれたしな」
茨に閉じ込められて眠りについた、お伽噺のお城のように、長い間浅川家の時間は止まっていたのかもしれない。
秘密と不安を抱えて、大切なものを失うことに怯えて、閉ざされていたのかもしれない。
真実が明らかになったことでいっそ、家族の絆は強まった。
紅朱の独りで抱え込む性格は確かに簡単には変わらないのだろうが、今までと本当に何も変わらないわけではない。
力で押さえつけるばかりでは解決しないことに気付いた彼は、本当に潰されそうになったらちゃんと周りに頭を下げて協力を求めることができるに違いないし、協力を求めれば力を貸してくれる人間はたくさんいる。
彼の最愛の家族、そして頼もしいメンバーたち……それにもちろん、日向子もその一人だ。
「これで何もかも、落着ですわね」
「……」
「……紅朱様?」
「……」
紅朱が急に黙ってしまったので、日向子は何か走行に問題でも発生したのかと、思い出したようにまたまたそわそわしてしまう。
しかし理由はそういうことではなかった。
結局日向子のマンションの前に着くまで、沈黙を守ったままだった紅朱は、車のエンジンを切った後で、ようやく口を開いた。
「……お前、断ったんだってな……綾の、告白」
あまりにも意表を突いた言葉に、日向子は思わず顔を赤らめた。
「それは……」
紛れもない事実だった。
heliodorとBLA-ICAの運命のライブの、その後。
合同ミーティングという名の合同打ち上げの帰り、日向子をマンションまで送る役を買って出た玄鳥は、今と全く同じようなシチュエーションで、マンションの前に停めた車の中で、自らの想いを告げた。
そして日向子は、その想いを受け入れることができなかった。
「……他に、好きな奴がいるって言ったらしいな」
「……はい」
紅朱があまりにも神妙な顔つきをしているので、日向子もつられて真剣な顔になってしまう。
「……お前の、好きな奴って……誰だ?」
「えっ……」
心臓が跳ねる。
「やっぱり、高山獅貴か……?」
「……いいえ……」
それはもうすでに卒業した「憧れ」。
今の日向子にはもっと大切な人がいる。
「……俺の知ってる奴か?」
「……はい」
「……heliodorの、誰かなのか?」
どんどん鼓動が加速する。それは多分、お互いに。
「……はい」
「……日向子!」
名前を呼ばれると同時に、肩に手がかけられる。
わずかに痛みすら感じるほど強く掴まれて、驚いている間に、黒い色素の薄い、炎のような2つの瞳に真っ直ぐ射すくめられていた。
「……日向子、俺は……お前が、好きだ」
「……紅朱様……?」
「自分でも最近まで自覚してなかったが、もう随分前からお前のことは、女として見てたと思う……」
声音にも、肩に感じる指先の感触にも、じんじん熱を帯びているようだった。
「……それもただの女じゃなく、特別な、女としてだ。
……だから……」
次の言葉が発せられるまでのわずかな沈黙が、まるで永遠のように長く感じられた。
紅朱は、その眼差しをわずかに細めて微笑する。
「……お前は幸せになれよ、絶対」
「……え?」
肩を掴んでいた手が離れて、微熱だけがそこに取り残される。
「……お前の好きな奴が、俺の仲間なら何も心配はねェな。
それが綾の奴なら言うことなかったが……」
「……紅朱様?」
「万楼はまだまだガキっぽいところはあるが、芯は強いし、素直で可愛い奴だ」
「……えっと」
「蝉は……俺よりお前のほうがわかってるかもな。あれで真面目な奴だし、信頼できる」
「……あの」
「有砂は……まあ、色々あったが、今は落ち着いてるし、あいつも兄貴だけあって意外に面倒見はいいんだよな」
「……紅朱様」
「クセのある奴ばっかりだが、みんな俺の自慢の仲間だ。だから、お前が誰と一緒になっても俺は……」
「……紅朱様っ!!」
思わず大きな声で制してしまっていた。
そうでもしなければ延々と聞かされそうだったからだ。
紅朱のいささか的外れ過ぎる激励の言葉を。
日向子はふーっと一度呼吸すると、また紅朱が何か言い出す前に先に口を開いた。
「紅朱様は、大切なメンバーをお一方お忘れでいらっしゃいませんこと!?」
「は?」
「heliodorは5人でheliodorですのに……紅朱様は4人しか名前をお出しになっていないでしょう?」
言われた紅朱は、ぽかんとしていたが、今しがた自分が上げたメンバーの名前を反芻しながら、親指から順に左手の指を折っていく。
「……いや、合ってるだろ、綾と万楼と蝉と有砂……」
日向子は、最後に残った指……紅朱の左手の小指にそっと手を重ねる。
「もう1人はどなたでしたか……?」
紅朱は触れ合った手を凝視ながら、呟くように答えた。
「……お……俺??」
ようやく辿り着いた答えに、日向子は今更ながら少しはにかんだ笑みを見せた。
「……はい」
「違う」
「……はい?」
「違う。そんなわけねェ」
「???」
紅朱はまるで逃げるように、日向子の手から自らそれを逃がし、随分伸びてきたワンレングスの髪に突っ込んだ。
「俺は……口が悪いし、態度もデカいし、女の扱いなんかろくにわかんねェし……」
「でもお優しい方ですわ」
出会ってすぐにそう言った時、紅朱はそれを否定した。
しかし、彼のことをよく知る度に、日向子は彼の優しさを目の当たりにしてきた。
heliodorの狂信的なファンの団体に狙われた時には、自らの危険も省みずに何度も助けてくれた。
メンバーのため、家族のため、時にはうちひしがれながらも頑張っている姿を見て、何か力になりたいと思うようになった。
その想いが恋へと変わっていったのはいつからだったのか。
「本当に、俺……なのか」
「ええ」
「……っ」
紅朱は、いきなりガクッとハンドルに頭を伏せたかと思うと、
「やべェ……どういう顔していいかわかんねェ……」
と、吐息まじりの言葉を漏らした。
耳や頬が髪と同じ赤い色に染まっている。
「……両想いってわかってたら、もうちょっとカッコよく気持ち伝えたのに……なんか俺、超ダサいじゃねェか……」
「では……もう一度、聞かせて頂けませんか?」
「……」
紅朱はしばらく押し黙り、そのまま自分自身が落ち着くのを待っているようだった。
やがてゆっくり頭を持ち上げると、コホン、と若干わざとらしい咳払いをして、日向子に向き直る。
そして。
「俺はお前が好きだ……俺が必ず、お前を幸せにしてやる」
率直で飾り気のない、けれど力強く紅朱らしい愛の言葉だった。
「……やっぱり紅朱様はすごい方ですわ」
「あ……?」
「その言葉だけでもう、わたくしはこんなにも幸せな気持ちになれたのですもの」
そう言った日向子の顔には自然に心からの笑みが浮かんでいた。
向かい合う紅朱の顔にも同じ笑顔が生まれる。
想いの通い合った2人だけができる幸せな笑顔だ。
紅朱は、少しシートを後ろに下げて、日向子の背中に手を回し、自分のほうに引き寄せた。そのままギュッと抱き締める。
「俺も、ヤバいくらい幸せだ」
「紅朱様……」
「でもこんなもんじゃなくて、これからもっともっと幸せにしてやるから覚悟しとけよ」
――それから一週間後。
サイドシートに座ってすぐ、日向子は言った。
「あの……なんだか、随分増えましたわね」
「そうなんだよな、流石に邪魔になってきちまってよ」
紅朱は溜め息をつきつつ、それらをひとつひとつ指差していった。
「あれが万楼、デカイのは蝉で、バックミラーのとこが有砂。あのキラキラしたやつは美々。その横はあのゴスロリ猫女……ったく、なんであいつまで」
それらは全部交通安全のお守りで、この一週間、乗る度にどんどん増えてきていた。
「まあ、望音様まで……紅朱様のご心配を?」
「俺の、じゃなくて、いつも助手席に乗るお前の心配してんだろ」
お守りの加護なのか、本人のポテンシャルなのか、紅朱の運転技術はぐんぐん向上している。
本人も、ハンドルを握る姿が最近とても楽しげだ。
「……そのうち自分の車も買わねェとな」
「楽しいですか? 車は」
「ああ、いいな。バイクに2人乗りもいいが……車なら、お前の顔が見られるしな」
サラッと囁かれた甘い台詞に、日向子は思わず赤面した。
《END》
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