「蝉、いつ帰って来るのかなあ」
万楼は綺麗な顔を少し歪めて溜め息をつく。
カウントダウンライブまで、あと二週間を切っている。
未だに五人揃って練習が出来ていないことに、焦りを感じていたのは万楼だけではなかった。
スタジオに集まってはみても、なんとなくモチベーションが上がらず、手応えも得られないのは無理もない話だ。
「……確かに、そろそろリミットかもな」
「四人ではもうやれることをやりきってしまったような感じだし」
紅朱も玄鳥も、もはや蝉抜きでの練習には大して意義がないことをとっくに悟っていた。
だが蝉がいずれ必ず戻って来ることを前提に考えている彼らとは、一線を画している男もいる。
「……後でオレが、蝉の様子を見てくる」
有砂が口を開く。
三人は明らかに驚きの表情で見やった。
「え、お前がか?」
「有砂さんが積極的に行動するなんて、なんて珍しい……」
「ダメだよ二人とも、あんまり言うとまたへそ曲げちゃうから」
言いたい放題の仲間たちに、有砂が嫌味のひとつでも返そうとしたその時。
「すいません。お邪魔します!!」
《第9章 嘘つきな彼等 -play-》【1】
スタジオの入り口からひょっこり顔を出した人物を見て、4人はそれぞれ全く違う反応を示した。
「……誰?」
初対面の万楼は首を傾げ、
「え、あの時の……?」
一度たまたま遭遇していた玄鳥は驚き、
「よう、久しぶり」
普通に面識のある紅朱は気さくに声をかけ、
「……なんや、どうした?」
有砂は何故かほんの少しばつが悪いような顔をしている。
「日向子が急に来れなくなっちゃったから、約束のヤツをあたしが代わりに持って来たんだけど……あ、万楼さんと玄鳥さんは一応ハジメマテ、ですよね」
モデルばりの美女はにっこり笑って告げる。
「蓮芳出版『RAPTUS』編集部の井上美々と申します。日向子の親友で、あと……そこで恥ずかしがってる人の、妹です♪」
「なっ……誰がや、アホ!」
思わず半分立ち上がりかける有砂を、他3名は振り返り、今度は全員同じ反応を示した。
「妹……っ!?」
メンバーたちは一様に愕然とした表情で叫んだ。
「えッ、有砂って兄妹いたの!?」
「え、えッ……だってこの前はなんか険悪な雰囲気で……」
「前会った時は全然そんな話してなかっただろ!?」
大騒ぎする3人に、美々は苦笑して見せる。
「……ついこの前まではちょっとだけ、兄妹喧嘩してましたから。……ね?」
同意を求められた有砂は、溜め息をつきつつも無愛想な顔を上下させた。
「……ちょっとだけ、な」
「そうそう。それで、日向子が仲直りのお祝いにってケーキ焼いてくれて、皆さんでどうぞってことらしいんで持って来たんです」
「ケーキ!?」
数秒前までプチパニック状態だったのに、一気にテンションの上がる万楼の前で、美々はテーブルの上にケーキの箱を乗せて、オープンする。
「じゃじゃーん☆」
ホワイトチョコレートでコーティングされた5号サイズのホールケーキの上には、ゼリー掛けのカットフルーツがほとんど隙間なく埋めつくされて、更に三種類のクリームでデコレートされている。
「わあ」
宝の山を見つけたかのようなキラキラの目をした万楼の横で、浅川兄弟は若干青ざめていた。
「……これ、いくらなんでも……凄過ぎねェか? 見てるだけで胸焼けしそうなんだが」
「あ、兄貴、失礼だろ? ひ、日向子さんのお手製だぞ?」
「お前も引きつってんじゃねェかよっ」
「……いや、それは……だから……」
「あー……すいません、あたしがめちゃめちゃ甘くしてって頼んじゃったから……じゃあこれは三等分かなあ」
「三等分??」
美々が箱にしっかり入れられていた使い捨て出来るケーキナイフを手にして、手際よく3つに切り分ける。
一般的なショートケーキの二倍以上の体積があるそれらを、これも持参してきた紙皿三枚に取り分けていく。
「すごいなあ、中が三層になっててシロップ漬けのフルーツが入ってる」
万楼が断面を眺めながら更に興奮した様子で実況する。
「万楼さんは絶対気に入ると思いました。……味もイケてる筈ですから」
皿からはみ出さんばかりのケーキの巨塊が、プラスチックのフォークを添えられて万楼に手渡され、
「はい」
有砂にも回ってきた。
有砂はそのスウィート・モンスターを凝視したまま固まっている。
「いや、そりゃ有砂には……」
「絶対無理だと思いますけど……」
浅川兄弟は口々にそう言ったが、美々はケーキの皿を手にしたまま微動だにせず黙っている有砂を見つめて、ふっと柔らかい笑みを浮かべる。
そして、
「ええんよ、佳人」
自身長年封印していた、両親や兄と同じ言葉で囁きかける。
「……あたしも食べるから、あんたも食べ」
有砂は美々を見やると、無言で頷いた。
「え? まさか」と思っているギャラリーの目の前でフォークを握った有砂はケーキの鋭角の部分をストッと切り落として、フォークをつき立てると、そのまま口に運んだ。
一同が固唾を飲んで見守る中、有砂は無表情なまま、一言も声を発することもなく、そのままもくもくとケーキを端から順に片付けていく。
「ねえ、どういうこと? 有砂って甘い物嫌いじゃないの?」
万楼の問いに、美々が答える。
「ううん。あたしが好きなものは、大体佳人も好きだから」
言いながら美味しそうにクリームの塊を掬って口にする。
「あたしたち、甘い物は大好きだよ」
「でも有砂、甘い物なんて全然食べてなかったし、ボクが横で食べてるのだって、いつもすごく嫌がって……」
「……食べたくても我慢、してたみたいですから」
美々はほんの少し、長い睫毛が縁取る目を伏せる。
「甘い物が食べたくても、食べさせて貰えなかった女の子に遠慮して、食べられなかったらしいです」
有砂は一瞬フォークを握る手を止めて、何か遠い記憶を心に浮かべるような顔を見せたが、すぐにまた黙ってケーキを食べ始めた。
「……よくわかりませんけど、ようするに」
玄鳥が苦笑いしながら言った。
「万楼は知らず知らずにいつも有砂さんを拷問にかけてたわけだ」
「ええっ、ごめんね、有砂が我慢してるなんて思わなかったから……!!」
有砂は驚異的な速度で完食したケーキの皿をつ、と万楼に差し出した。
「悪かったと思うんやったら、それを半分」
「えっ、ダメだよ。これはボクの分!」
「半分」
「嫌だ」
「半分」
「嫌だってば!」
「……くっ、まさかリズム隊のケーキの奪い合いを見れる日が来るとはな」
紅朱はそのあまりにも微笑まし過ぎるやりとりに思わず吹き出した。
「……ところで日向子はどうしたんだ? 急な用事とか言ったよな」
それはみんな内心気になっていたらしく、四人とも美々のほうへ視線を向けた。
美々はその視線を受けて、何故か少し困ったような顔をした。
「実は今日、大変な事件がありまして……実家に抗議しに帰っちゃったんですよね~」
「これは一体どういうことですの!?」
「……品のない大きな声を上げるんじゃない」
「声も大きくなるというものですわ。お父様は一体何のおつもりですか?」
日向子は書斎の革張りの椅子に身をもたげた実父・高槻に飛びかかかるほどの勢いで問いつめる。
「あんまりですわ、職場の上司に勝手に、わたくしが婚約するなどとでたらめを報告なさるなんて……!!
いつの間にかわたくしが寿退社するなどと噂が広まってしまって、大変な事態ですのよ!!」
高槻は高音で響く抗議の訴えに頭が痛いような顔をしていたが、
「婚約の準備が進んでいるのは事実だ。24日に後継者の指名と同時にお前の正式な結納も執り行う」
あっさりと言い放つ。
「そのようなことは、わたくしは聞いておりません……! 第一どなたと婚約しろとおっしゃいますの!?」
「お前の嫁ぎ先は私が決める。間違いのない相手を選ぶから何も心配はいらない」
「わたくしの生涯の伴侶をお父様がお決めになるなんて、納得できませんわ!!」
いよいよヒートアップする日向子に、高槻は厳しい表情を緩めることなく問掛けた。
「よもや……誰かすでに将来を誓いあった男がいる、などと言うのではないだろうな?」
予想もしない問いに、日向子は、
「え?」
素に返って驚いてしまう。
「どうなんだ?」
ダメ押しとばかりに問われ、日向子は思わず、
「……は、はい、そうなのです……!」
と、答えていた。
「……なんだと?」
高槻の眉間に通常より4本余計に深い深い皺が刻み込まれる。
「……どんな男だ??」
「す、素敵な方ですわ……!」
「どういう家の生まれで、どういう仕事をしている男かと聞いているんだ」
「それは……あの……」
答えに窮してしまう。しばしのにらめっこを続けた後、高槻は溜め息をついて、言った。
「明日、ここに呼びなさい。実際に会って、ふさわしい相手かどうか私が見極める」
「そんな、明日などと……先方にもご都合というものが……」
「お前との将来より自分の都合を取る男ならばそれまでだろう。見極める必要もない」
高槻の発言はかなり理不尽ではあったが、一概に否定出来ない部分もある。
本当に日向子に真剣に交際している恋人がいるとすれば、黙っていられる状況ではないだろう。
ただ残念なことにこの場合は日向子のとっさのハッタリに過ぎないのだが。
「……話は終りだ。私には取り急ぎの仕事がある。もう行きなさい」
……などと言われて一方的に書斎を追い出された日向子は、ドアを背にして深く深く溜め息をついた。
「……一体、わたくしはどうしたらいいのかしら……」
心に決めた相手ならば、いる。
伯爵……高山獅貴だ。
だが将来を誓いあうなどとは程遠い……10年以上直接会ってすらいない相手だ。
もちろん明日、この屋敷に呼ぶなどという真似ができるわけがない。
仮に呼んだとしても、高山獅貴とはある種の遺恨のある高槻が結婚を許すとは到底思えないが。
絶望的な暗い気持ちになり、マンションに帰る気力もないので、とりあえず今夜は実家で過ごすことに決めた日向子は、重い足取りで自室に向かう。
最後の角を曲がったところで、
「……あ」
ばったりと、出くわした。
「……雪乃? 雪乃ですわね。眼鏡をかけていないから一瞬わかりませんでしたわ」
仕事中なのかスーツ姿の彼は、涼しい眼差しで日向子を見下ろす。
「……何か、御用でしょうか?」
「ずっとお祝いを言いたかったの。おめでとう、雪乃」
「……恐縮で、ございます」
彼のいつもと変わらぬ丁寧な言葉には、しかしこれまでにはけっしてなかった凍りつくような冷気が含まれていたが、日向子は気付いていない。
「……そうだわ、雪乃。あなたからお父様にお考えを改めるように進言して頂けませんこと?
わたくしはまだ婚約など……」
「いいえ、ご婚約はして頂きます」
日向子が雪乃と呼ぶ青年は、キッパリと言い切った。
「私としてもあなたには、釘宮の籍から外れて頂きたい」
「……雪乃?? それは、どういう……」
「あなたは十分、私の役に立って下さいました。感謝しております……ですが」
日向子は瞳を大きく見開いた。
その瞳に映る青年は、ひどく酷薄な笑みを浮かべていた。
「……今後、釘宮を名乗るのは私一人でいい。
……言っている意味が、わかりますか?」
彼の名は、「釘宮 漸」。
「……家族ごっこは、もう終わりました」
《つづく》
PR